御曹司だからと容赦しません!?

あかし瑞穂

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1巻

1-2

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「香苗、あんたねえ……どうしてそう毎度毎度、穂高の手の平の上で転がされてるのよ」
「だって腹立つのよ、あいつはああああっ!」

 がつがつとおにぎりを食べる私の左隣で、深い溜息の音が聞こえる。

「で? 穂高に渡された資料、確認したの?」

 むぎゅむぎゅ、と噛みしめた後で、私はむすっと言った。

「したわよ。……凄く参考になった」

 過去、うちが請け負った類似事例がわんさか載っていた。CADキャドが主流になる前の、手書きの設計図とか、凄く綺麗な線で描かれていて、思わず見惚みとれてしまった。この三日間、暇さえあれば資料を確認していたのだ。

(穂高は嫌みったらしいけど、仕事上で私のこと、馬鹿にしたりはしない。対等に扱ってくれてる……のはわかってるんだけどっ)

 こういう時に、穂高との差を感じてしまう。関連資料がどこに保存されているのか、さっと出てくるってことは……あの部屋の資料を読み込んで覚えているってことだ。
 ……そりゃあ、穂高が努力してない、なんて思ってはいないけれど。

「こうも負けが続くと、あのすまし顔をぎゃふんと言わせたくなるのよっ」

 ふるふると右拳を震わせる私に、何故か生ぬるい視線が向けられる。

「穂高も無駄な努力を……よりによって、香苗だもんねえ……わかるわけないじゃない」

 冬子の声は小さくて聞き取れなかった。

「まあ、頑張りなさいよ。ペアを組んでも穂高の鼻を明かすことはできるでしょ」
「そう、よね!? そうだよね!」

 そう、一緒にいれば腹が立つことも多いけど、参考になることも多いのだ。ここで穂高の技を盗んで、もっと成長して、絶対あっと言わせて、認めさせてやるっ……!

「よし、やるぞ!」

 えいえいオー! と拳を天に向かって突き出した私の隣で、冬子はもぐもぐと静かに食事を続けていたのだった……


   ***


「おい三森、外出するぞ」

 ランチ後、自席で資料とにらめっこしていた私は、穂高からほいっと白いジャケットとショルダーバッグを渡された。「え?」と首を傾げると、カーキ色のトレンチコートを着て黒のビジネスバッグを左手に持った穂高が、ついと壁掛け時計の方を向いた。

「今から行けば日没前に着く。現場、どんな場所か直接確認したいだろ?」
「!」

 思わず穂高の顔をあおぎ見る。時計の針は午後四時を過ぎたところ。現場までは大体一時間ぐらいかかるから、建物の形を見るのなら今出た方がいい。

「じゃ、行くぞ」

 くるりときびすを返した穂高に、私は慌てて立ち上がる。廊下を大股で歩く彼の後を、ちょこまかちょこまかと追いかける私。

「ちょい、ストップ! 用意させてよ、穂高!」
「……」

 ちらと私を見下ろした穂高が足を止める。やや荒くなった息を整えながら、私はジャケットを着て、首にかけていた社員証を外しバッグに仕舞った。

「ったく、そんなに焦らなくてもいいじゃない。課長に話す暇もなかったわ」

 ぷうと頬を膨らませると、まばたきをした穂高がつと目を逸らした。

「俺が話しておいたから、大丈夫だ。それに」

 ――早く現場を見に行きたかった……

(……え?)

 穂高の口がわずかに動く。なんて言ったのか、はっきり聞き取れなかったけど。まさか。

(お前と……って言ってた?)

 穂高が? あのいっつも私に絡んでは嫌みを言ってくる穂高が? 私よりもずっと前を歩いていて、いつかあの大きな背中を追い越してやると思っている、私のライバルが?

(気のせい……だよね?)

 ちらと穂高の顔を見ると、もうしれっとした表情になってる。うん、気のせいだった。

「さあ、行くぞ。今からだと直帰になると課長にも言ってあるから、ゆっくり確認できる」
「わかったわよ」

 穂高と私の身長差は、頭一つ分ほど。並んで歩くと、思わず背伸びしたくなるのは何故だろう。
 エレベーターで一階ロビーに降りる。ガラス張りのロビーは吹き抜けになっていて、明るい陽の光が射し込んでいる。私達とすれ違いざまに、何人かの女性社員が穂高へにこやかに挨拶あいさつをした。

「行ってらっしゃい、穂高さん」
「ああ、ありがとう」

 ……右隣にいる私も一応会釈えしゃくはされるが、どう見ても穂高のおまけ扱いだ。まあ、社長令息で天才デザイナーと名高い穂高と、同期社員だっていうだけの私とじゃ、扱いが変わるのも無理はないけれど。
 穂高だって、凄くキラキラした笑顔を振りまいてない!? 私の時とえらく態度が違うんだけど!?

「穂高って、そうやってると御曹司って感じよねえ」

 そう呟いた私の声を、ヤツは聞き取ったようだ。穂高はさわやかな御曹司スマイルで、私を見下ろし、嫌みったらしく言った。

「社長の息子という肩書きらしく振る舞ってるだけだ。三森にもそうしようか?」
「今更何言ってるの」

 私の目から見ると、穂高の『いかにも御曹司』って笑顔は、胡散臭うさんくさくてしょうがないのよね。

「御曹司だろうが、なんだろうが、私には関係ないわよ。穂高は穂高だから」
(そうよ、いつか絶対こいつを乗り越えてやるんだから!)

 そう思いを込めて、きっとにらみ付けると、穂高はふぬけた顔をしていた――と思ったけれど、すぐにいつもの黒い笑みに戻る。

「三森が俺を超えるのを楽しみにしてる」

 ふん! と視線を逸らした先に、ロビー奥のフリースペースがあった。観葉植物とソファが設置されたその場所は、受賞したデザイン画が飾られていて――私にとっては聖地のようなもの。

「ちょっと見てくる。少し待ってて」

 つかつかと足早に歩き、誰もいないスペースに足を踏み入れる。白の壁のあちらこちらに、額縁がくぶちに入れられたデザイン画が飾られていた。私の目当ては、その一番奥にある。かつんと足を止め、A3サイズの作品を見上げた。

「……」

 それは、不思議な家だった。青い海の見える丘の上。こんもりとした緑の丘の中腹にガラスの窓と白いドアが並んでいる。斜面を利用して、半分地下になっている住宅なのだ。
 全体の外観図の横に飾られているのは、リビングや寝室のパース図。繊細な線で描かれた緻密ちみつな画は、あの頃の私には作成できないレベルで……悔しいを通り越して凄いと思った。
 そう、就職活動中にこのデザイン画を見て、私はここに入ろうと決意した。私が大学生時代に落選した建築賞の大賞。一目で心奪われた作品が、ここにあるなんて!? と信じられない思いだった。入社したら、絶対この作品のデザイナーと話がしたいと捜したけれど、先輩からこの作品は社長の知り合いがデザインしたものだ、と聞かされた。
 なんでもワケありの人らしく、社長が代理となってチーム名でエントリーしたらしい。大賞を取った後、この作品はお礼としてその人から社長に贈られたのだそうだ。
 今見ても、地下なのに何故か開放感を感じる色使いや、部屋の仕切りや置いてある家具の一つ一つにセンスを感じる。リビングの壁の一面だけ差し色薄いブルーになっているのも、凄くオシャレだと思う。

「やっぱり……凄いなあ」

 思わずそう呟くと、後ろから低い声が聞こえてきた。

「三森は今でもこの作品が好きなのか?」

 振り向くと、無表情の穂高がじっと私を見下ろしていた。ちょっとむっとした私は、口を曲げながら答える。

「当然じゃない。発想は奇抜きばつだけど、地下だから温度差が少なくて夏も冬も過ごしやすい空間になってるし、なんと言ってもワクワクする作品でしょ? こんなところに住めたら、毎日楽しいだろうなあって思う」
「……」
「穂高は気に入らないみたいだけど」

 そう、新人歓迎会の飲み会で、私がこのデザイン画を絶賛した時の穂高の顔は、今でも覚えている。さっきまでのにこやかな表情を消して、何言ってるんだこいつ、みたいな目でにらんできた。そんな穂高をやり込めかけたけど、歓迎会という場の雰囲気を壊すこともできず、口を閉ざしたのだ。

「毎日楽しい……か」

 穂高の口は、皮肉げにゆがんでいる。彼の瞳は、私を見ているようで見ていないように思えた。

(何が気に入らないのか知らないけど、作品に失礼じゃない)

 むすっとしながら、「さ、行くわよ」と穂高の横を通り過ぎる。穂高も黙って私の隣に並ぶ。
 そうして会社を出て、穂高がタクシーを拾うまで……私達の間に会話のかの字も存在しなかった。


   ***


「ここが……」

 私は、駅前のバスターミナルに面した古いビルを見上げた。一番高いビルは七階建てで、隣にも同じ高さのビルが並んでいる。その間に設置された渡り廊下は、横から見ると少し斜めになっていた。ビルのフロアの高さが微妙に違うみたいだ。
 夕日に照らされたコンクリートの壁の色もところどころすみのようになっている。一階は薄汚れた緑のシャッターで閉ざされていて、その上のスーパーの看板跡が妙に白く残っていた。穂高がタブレットで資料を見ながら話す。

「元々一つのビルで開業していたのを、隣のビルを買い取って、渡り廊下で繋げたらしい。営業時も段差や階段の多い造りで、買い物かごを持って移動するのが大変だと顧客や元店員からの意見があったそうだ」
「そうよね、無理矢理くっつけたのがわかる見た目だわ、これ。で、そのまた隣が映画館……こちらも随分古いわね」
「場所も微妙に良くないな。駅に直結していない上、駐車スペースも少ない。駅から歩いて移動するにも、その間に屋根がない。買い物には不便だろう」

 雨の中、傘を差して買い物袋を手にげて……って面倒よね。駐車場の確保が難しいなら、せめて駅かられずに来られるようにしないと。

(土地の広さからいって、地下駐車場はあまり広さが確保できなそうだし、ビル一棟を立体駐車場にするか、屋上を駐車場にするかにした方がいいかも)

 ビルの谷間、渡り廊下の下の路地は、小さな飲食店が並んでいた――ようだけど、ほぼシャッターが下りている。営業しているのは、一、二軒ってところか。斜めにずれた看板がそのままになっている店もあるし、閑古鳥かんこどりいているのは間違いない。

(だけど、スーパーが最盛期だった頃は、きっとこの辺りも人が沢山通っていたはず)

 とりの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。ぶわっと私の目の前に、りし日のセピア色の風景が広がる。ちょっと一杯引っかけるサラリーマンや、焼き鳥を包んでもらう親子連れの足音まで聞こえてくる気がした。
 かつてここにあふれていた人の笑顔。それを取り戻したい。

「ここだったら、欧風マーケットの雰囲気で屋台を出して……ああ、レトロな昭和風でもいいかも。ちょっとした隠れ家的雰囲気を出して」

 ターゲットはどうしよう。若者向け? それとも……
 くすり、と右隣から小さな笑い声がした。

「何よ?」

 じろりと穂高を見上げると、彼は「すまん、三森らしいと思って」と笑った。

「見えてるんだろ、お前には。ここで楽しい時間を過ごしていた、過去の人の姿が。そして、ここの未来の姿も」
(!)

 私を見つめる穂高の顔は、いつも私に突っかかってきていた時のものじゃない。穏やかで、瞳の色は優しくて、口元もふわりとほころんでいて。まるで――恋人に微笑んでいるような甘い雰囲気まで漂ってきた。

(うくっ!?)

 どん、と心臓を殴られた気がした。いつもの嫌みったらしい穂高なら、すぐにでも言い返せるのに……こんな表情かおするなんて、ずるくない!?

(こうやって見ると、穂高ってイケメン……よねえ……って、何考えてるの私!?)
「そ、そうよ。いくつかアイデアが浮かんだわ」

 こほんと咳払いをしつつ、私は穂高から視線を逸らしてスマホをバッグから取り出した。
 パシャパシャと写真を撮っていると、すっと頭の上に影が落ちた。カメラのど真ん中にヤツが映っている。

「穂高。邪魔なんだけど」

 私が口をへの字に曲げると、大きな手がひょいと私のスマホを奪った。

「ちょっと穂高っ!?」

 右手を伸ばしてスマホを取り返そうとしたその時、奴の左手がするっと私の身体を引き寄せる。穂高が顔を寄せてきて、さわやかな香りが鼻腔びこうをくすぐった。

「っ!?」

 パシャリ、と機械音が鳴る。慌てて穂高の胸板に手を当てて離れた私に、穂高は満足げな表情を見せた。

「ほら、記念撮影」

 ぽんと私の右手にスマホが渡される。画面を見ると、灰色のビルをバックに、穂高と私が顔を寄せ合って写っている画像が表示されていた。

「……何、この満面の笑みは」

 穂高はさっきみたいに、嬉しそうに笑っている。一方の私は、穂高の方を向き、口をとがらせて何か文句を言ってる感が凄い顔だ。

「俺達同期だけど、二人一緒の写真ってないだろ。その画像は待ち受けにでも使ってくれ」
「やだ。私の待ち受けは、愛しいベルちゃんに決まってるのよ!」

 ちなみにベルちゃんは、実家にいる白猫だ。ふっくら気味で、短い毛がもふもふしていて、実家に帰るたびに肉球吸いをするのがお約束。

(ベルちゃんと穂高なんて、比べる対象にさえならないわよ!)

 ぷくっと頬を膨らませると、穂高はにこやかに私に言った。

「じゃあ、俺宛てに画像送ってくれ。記念に保存しておく」
「なんの記念なのよ」
「もちろん」

 にっこり笑った穂高の顔が、傾きかけた陽の光を浴びている。

「俺達が初ペアを組んだ記念。三森との仕事は――きっと良いものになる。受注して記事になった時に使えるだろ?」

 受注してって、さらりと言ったな、こいつは。もちろん私だって、コンペに出る限りは受注目指してベストを尽くすつもりだ。でも穂高は、目指してるじゃなくて受注すると言っている。

(こういうところがかなわないって思うのよね、悔しいけれど)

 私にはそこまでの自信が持てない。だから穂高に追いつけ追い越せと懸命に努力しているけれど、穂高はすいすい先に行ってしまう。
 ……QRコードが表示されたスマホの画面が目の前に。どうやら穂高は私からの送信を待っているらしい。はいはい、わかりましたよと、コードを読み取った後、穂高宛てに画像をぽちっと送信。隣でピロン、と電子音が鳴った。
 ささっとスマホをいじった穂高は、目を伏せ、画面を見ながら口端を上げた。その表情に、心臓がまたうるさくなる。

(なんだろう、この動悸どうきは……)

 私がよくわからない感情に絡まれている間に、ヤツはすっかりいつもの穂高に戻った。私は穂高から視線を外して、また路地の方を見る。赤い暖簾のれんが下りた屋台から、さっきの匂いがする。そういえば小腹がいたな。

「ねえ、あそこの屋台美味おいしそうじゃない? 私ちょっと買って」
「ああ、そうだな。ついでに食べながら話を聞くのもいいだろう」
「はあ?」

 穂高の声が私の声をさえぎる。ぽかんと口を開けた私に、穂高が不思議そうな顔になった。

「え? 路地裏の屋台だよ? 穂高がそこで食べるの?」

 そう聞くと、穂高の眉間にしわが寄った。

「……三森。お前俺のこと、どう思ってるんだ」

 私の眉間にもしわが寄る。

「うちの会社の御曹司でお金持ち。いつもは、一流ホテルのレストランで夕ご飯食べてるんじゃないの?」

 だって穂高って、派手派手しいというより品が良いというか。どう見ても、屋台で焼き鳥を食べている姿が想像できない。
 はああ、と穂高が深い溜息をつく。

「お前が嫌みで言ってるんじゃないっていうのはわかるが」
「事実でしょ」
「……俺だって学生時分は、三森と似たような環境で過ごしたんだ。ほら、行くぞ」
「ちょっと!」

 がしっと右手首を掴まれた私は、ずるずる穂高に引きられて屋台に近付く。醤油しょうゆの焦げた香りが濃くなった。くうっ、お腹を刺激してくる!

「へい、らっしゃい! こんな若いカップルが来るとは、珍しいねえ」

 屋台の中から、お父さんと同じ年ぐらいのおじさんが声をかけてきた。屋台に備え付けられた折りたたみのテーブルの前に、穂高と私が並んで座る。目の前で、炭焼きの焼き鳥からじゅわっと肉汁が落ちた。

「ももと皮、ぼんじり……あ、軟骨の唐揚げも。穂高はどうする?」
「三森と同じでいい。おじさん、アルコールはある?」

 ちらと腕時計を見ると、もう終業後だった。だったらいいか。

「ビールかノンアルになるけど、どちらにします?」
「じゃあ、私はノンアルで」

 穂高はビールを頼んだ。コップをカチンと合わせて乾杯し、ぐぐっと飲む。最近のノンアルは結構風味が良いなあ。そうこうしているうちに、目の前に良い匂いがする焼き鳥が並べられる。

「あ、もも美味おいしい! 焼き加減もちょうどいいし、肉汁もじゅわっと。タレも美味おいしい!」

 そう言うと、おじさんは嬉しそうに顔をほころばせた。

「そうだろう、自慢のタレなんだ。塩焼きもいけるよ」
「あ、じゃあそれ追加で」

 もぐもぐと食べる私の左隣で、穂高も美味おいしそうに焼き鳥を食べ、ビールを飲んでいる。あーこの味、ビールに合うんだろうなあ……と思っていたら、穂高がこちらを向いた。

「三森、アルコール結構いけるんじゃなかったのか?」
「え?」

 私は目をしばたたいた。穂高の顔は至極真面目だ。

「確か、新入社員の頃、そう言ってたのを聞いたんだが」

 会社の飲み会ではアルコールを飲んでなかったはずだけど……そんなことも言ったかなあ。首を傾げながら、私はノンアルを一口飲み、目を伏せた。

「ああ、うん。飲めないわけじゃないけど……一度お酒で失敗したから」

 ――そう、思い出すのも恥ずかしい、あの黒歴史。割り切りが早い私でも、完全に吹っ切るのに数年はかかったわよ。今だって思い出すと赤面してもだえてしまいそうになる。

「交流会みたいなのに参加して飲みすぎて、記憶を飛ばしちゃったの。朝起きたら、全く何も覚えてなくて、怖くてパニックになって……それで、あんな思いをするんだったら、もう飲まないって決めたの」

 あの場には百名以上参加していたし、出席者全員の顔も名前も当然わからない。結局、誰と一夜を過ごしたのかは不明のままだった。

(幸い身体に暴力のあとはなかったし、合意の上……だったと思いたい)

 いかんいかん、思い出すな。ふるふると首を横に振った私は、ごぶごぶとノンアルを一気飲みし、誤魔化そうとした。

「……そう、か。覚えてなかった……のか」
「あ、おじさん、ノンアル追加で!」

 からになったコップをだん! とおじさんの目の前に置いた私は、穂高がぼそっと呟いた言葉など、耳に入っていなかった。


「うーん……」

 ワンルームのベッドにあお向けで寝転がった私は、スマホの画面を見つめていた。そこに表示されているのは、穂高からのメッセージだ。
 ――今日はお疲れ様。明日も打ち合わせあるから、よろしく。お休み――

『メッセージアプリや会社の電話だけじゃ繋がらないこともあるだろ?』

 ……そう言われて、プライベートの電話番号も交換した、けど。

「……」
(穂高ってマメだよね……さすがモテるはずだわ)

 焼き鳥屋からの帰りも、さっさとタクシーを捕まえて、私のマンションまで送ってくれた。うちはセキュリティ付きドアだから中には入れないけれど、ガラスのドアが閉まるまで、ドアの前に立って見送ってくれていたのだ。
 茶色の前髪とトレンチコートの裾が夜風に揺れていた。ガラス越しに見る穂高は、背が高くて、脚が長くて……どこのファッション雑誌のモデルかと思うぐらい、格好良かった。
 穂高と並んで歩いていると、とにかく女性陣の目をく惹く。穂高の方を見て頬を赤らめ、うっとりした女性が、隣の私に視線を移した途端、は? みたいな表情になるのだ。
 まあ、私はいくらお化粧しても童顔だし、背は低めだし、着ているものも動きやすいパンツスタイル(もちろん量販店で購入)ばっかりだし、いかにもお金持ちオーラを出している穂高と並ぶと、落差が激しいんだろう。
 だからきっと、彼女の一人や二人いるのかと思いきや。

「意外に女っ気がないというか」

 誰に対しても(特に女性社員には)ジェントルマンな穂高だが、なんというか一歩引いているみたいな感じを受けるのだ。
 ……セレブだから、だまされないようにガードが堅いんだろうか。

「……そういえば総務の高井たかいさんが、穂高をモデルに薄い本作ってるって、冬子から聞いたっけ」

 叶わない恋に身を焦がす社長令息の話らしいけど、読んだ冬子によると人物描写がもろ穂高なのだとか。私は読んだことがないけど、その本は社内では結構出回ってるそうで……ヤツは知っているのだろうか。

(イケメンは苦労も多いんだろうなあ……)

 少しだけ、穂高に同情した私だった。

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