【完結】聖クロノア学院恋愛譚 ―君のすべてを知った日から―

るみ乃。

文字の大きさ
30 / 67

29 記憶の鍵が開く

しおりを挟む
 放課後の空き教室。
 差し込む西日が、床に長く影を引いていた。
 静まり返った空間のなか、ノエルは教壇の前に立ち、手に持った資料をユリスへ差し出した。

「……例の火災で保護された少年たちの記録を調べてみた」

 その声は平静を装っていたが、奥にある緊張は隠せなかった。

 ユリスは黙って資料を受け取り、一枚目に目を通した。

 > 氏名:フラン・ロシュ
 年齢:7歳
 性別:Ω(オメガ)
 出身:不明
 状況:孤児として施設へ収容後、火災により行方不明(死亡扱い)



「……フラン……?」

 口に出したその名前は、自分のものとは思えないほど遠く感じた。

 ノエルは静かに続ける。

「この“孤児”って表記は表向きのもので、本当は“親によって売られた記録”が裏にあった」

 ページをめくると、細かく書かれた備考欄に、小さな文字でこう記されていた。

 > 『保護者による非合法売買ルート使用の疑いあり。親権喪失。父親は行方不明』



 ユリスの手がわずかに震えた。

「……オメガの子どもを、商品として……」

「父親はベータ。調査が入る直前に逃げて、その後消息不明」

 それを聞いた瞬間、何かが決壊した。

 ――無機質な白い壁。小さなベッド。窓のない部屋。
 拘束ベルト。
「黙れ。なんでオメガなんて産んだん」「お前は商品だ」
 背筋を凍らせる声。冷たい手。感情のない父の瞳――

 膝が砕けるように力を失い、その場に崩れ落ちた。

「……僕が……フラン……?」

 声にならない声。世界が反転し、意識は闇の底へと沈んでいった。


 ---

「ユリス! しっかりして!」

「だれか、医務室に!」

 ノエルとテオの叫びが響き、慌ただしくユリスの身体が抱え上げられる。
 廊下を駆け抜け、医務室のドアが勢いよく開け放たれた。

白衣の男がすぐに立ち上がると、手際よくベッドを指し示した。

「寝かせて。過呼吸とショック症状だな、急がなくていい」

 医師の動きは迅速で、しかしどこか慈しむような優しさがあった。
 鎮静剤と酸素吸入。ユリスの顔から、次第に青ざめた色が薄れていく。

 やがて、ユリスのまぶたがゆっくりと震え、かすかに開いた。

「……ここは……」

「医務室だよ、ユリス。安心していい」

 クラウス医師が落ち着いた声で、震える意識をなだめた。

 クラウス医師は少し間を取り、静かに語り始める。

「君が“フラン”である可能性は――ほぼ間違いない」

 ユリスの視線が、揺れた。

「火災の前後、施設にいた子どもたちの中で、彼の年齢・特徴と一致するのは君しかいない。資料には書かれていないが、僕もあの時、ひとりの少年を……」

 言葉を切ると、クラウスは穏やかに表情を和らげた。

「その頃、まだ五歳くらいだった君には、いつもそばにいてくれた年上の少年がいたはずだ」

 ユリスは反応しない。ただ、目だけが僅かに揺れていた。

「名前は――ジュリオ。覚えていないかい?」

 その名前が落ちた瞬間、心の奥で、何かが軋んだ。

 ――光の射す白い部屋。
 年上の少年の膝の上で、抱かれている小さな自分。
「フラン、今日はどんな夢を見た?」
 絵本。歌。あたたかい声。
 ……その腕の中が世界のすべてだった。

「……ジュリオ……」

 ユリスは、夢の中の自分のように呟いた。

 クラウスは微かに頷く。

「彼は、君のことをとても大事にしていた。
 怖がっていた君の頭を撫で、何度も“だいじょうぶだ”って繰り返していた。
 誰よりも、君を守ろうとしていた」

「……覚えてる……あの匂いと声……」

「ジュリオも、君と同じ“希少なオメガ”だった。
 だからこそ、あの場所に拘束されていた。
 でも――火災の少し前、彼は突然姿を消した」

 ユリスが、はっと顔を上げた。

「……え?」

「記録はない。ただ、誰かに連れていかれた可能性が高い。」

 ユリスの喉が、音を立てて震えた。

「僕……ジュリオに、守られてた……あの人は……兄みたいで…
 誰からも愛されなかった僕に、“心”ってものを、教えてくれた……」

 しばらく沈黙が流れたあと、クラウスはそっと言った。

「……本当はね。ジュリオのことを話すとき、君に重なる瞬間がある。……いや、気にしないで」

 それ以上語らなかったが、その言葉の“あと”に何があったか、ユリスには分からなかった。

「……でも、君の中には、ちゃんと彼との記憶が残っている。
 記憶が曖昧でも、心がそれを覚えているんだよ」

 ユリスは、枕元のシーツを握りしめる。

「……あの人の分まで、生きなくちゃいけない気がする。
 ……でも、俺は……どうして、忘れてたんだろう……?」

「忘れたんじゃない。耐えるために、心が閉ざしていたんだ。
 君は弱くなんかない。生き延びたことが、強さの証だよ」

 クラウスの言葉は、静かに、しかし確かな重みでユリスの胸に届いた。

「けれど大切なのは、“過去の名前”じゃない。“今の君”なんだ。
 フランであっても、ユリスであることに変わりはない」

 その一言が、まるで救いのようだった。

 ユリスは、かすかに微笑み――目を閉じる。

 扉の向こう、ノエルとテオの声がかすかに聞こえる。
 気遣う気配が、安らかな眠りを呼んだ。

 “ジュリオ”――
 その名を胸の奥で呼んだとき、幼い日のぬくもりが、笑ってくれた気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

【完結】期限付きの恋人契約〜あと一年で終わるはずだったのに〜

なの
BL
「俺と恋人になってくれ。期限は一年」 男子校に通う高校二年の白石悠真は、地味で真面目なクラスメイト。 ある日、学年一の人気者・神谷蓮に、いきなりそんな宣言をされる。 冗談だと思っていたのに、毎日放課後を一緒に過ごし、弁当を交換し、祭りにも行くうちに――蓮は悠真の中で、ただのクラスメイトじゃなくなっていた。 しかし、期限の日が近づく頃、蓮の笑顔の裏に隠された秘密が明らかになる。 「俺、後悔しないようにしてんだ」 その言葉の意味を知ったとき、悠真は――。 笑い合った日々も、すれ違った夜も、全部まとめて好きだ。 一年だけのはずだった契約は、運命を変える恋になる。 青春BL小説カップにエントリーしてます。応援よろしくお願いします。 本文は完結済みですが、番外編も投稿しますので、よければお読みください。

オメガの僕が、最後に恋をした騎士は冷酷すぎる

虹湖🌈
BL
死にたかった僕を、生かしたのは――あなたの声だった。 滅びかけた未来。 最後のオメガとして、僕=アキは研究施設に閉じ込められていた。 「資源」「道具」――そんな呼び方しかされず、生きる意味なんてないと思っていた。 けれど。 血にまみれたアルファ騎士・レオンが、僕の名前を呼んだ瞬間――世界が変わった。 冷酷すぎる彼に守られて、逃げて、傷ついて。 それでも、彼と一緒なら「生きたい」と思える。 終末世界で芽生える、究極のバディ愛×オメガバース。 命を懸けた恋が、絶望の世界に希望を灯す。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

塩対応だった旦那様が記憶喪失になった途端溺愛してくるのですが

詩河とんぼ
BL
 貧乏伯爵家の子息・ノアは家を救うことを条件に、援助をしてくれるレオンハート公爵家の当主・スターチスに嫁ぐこととなる。  塩対応で愛人がいるという噂のスターチスやノアを嫌う義母の前夫人を見て、ほとんどの使用人たちはノアに嫌がらせをしていた。  ある時、スターチスが階段から誰かに押されて落ち、スターチスは記憶を失ってしまう。するとーー

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

この手に抱くぬくもりは

R
BL
幼い頃から孤独を強いられてきたルシアン。 子どもたちの笑顔、温かな手、そして寄り添う背中―― 彼にとって、初めての居場所だった。 過去の痛みを抱えながらも、彼は幸せを願い、小さな一歩を踏み出していく。

処理中です...