【完結】聖クロノア学院恋愛譚 ―君のすべてを知った日から―

るみ乃。

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32 重なる想い、溶けない身体

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 月が、霞んでいた。
 薄く伸びた雲の切れ間から、わずかに滲む光が、ベッドの上を静かに照らしている。
 今ではもう、ふたりの時間が刻まれてきたこの寮室に、深い沈黙と、微かな衣擦れと、肌が触れ合う熱が滲んでいた。

 背中に、レオンの体温を感じる。
 腕が、肩越しにそっと回されてくる。
 胸に回されたその手が、ためらいがちな動きで俺を包むたび、心臓が跳ねる。
 丁寧で、優しくて、壊れ物を抱くようなその触れ方に、呼吸が浅くなる。

(……こわい。こんなふうに触れられたら、簡単にほどけてしまう)

 俺の中の、何かが微かに軋んだ。
 レオンに近づきたくてたまらないのに、身体が、過去の記憶に怯えて動けない。
 頭の奥で、「逃げろ」と叫ぶ声が、かすかに響き続けていた。

「……ユリス。嫌なら……やめるよ」

 耳元に落ちた声。
 吐息が、耳の裏を優しく撫でる。
 その熱だけで、背中に走る震えが止まらない。

「……嫌じゃない……」

 震える声が喉に引っかかる。
 振り返ると、レオンの指がそっと俺の頬を撫でた。
 目が合った瞬間、あまりに優しいまなざしに、涙がこぼれそうになる。

「お前が“誰”であってもいい。……お前がいい」

 その囁きは、甘い毒のようだった。
 優しく、深く、俺の奥に浸透して、心を溶かす。

「でも……俺が……」

 言葉にならない思いが喉の奥に絡まる。

「……信じて、今この瞬間、俺は……お前を抱きたい。ユリス、お前を」

 正直で、真っ直ぐな声だった。
 逃げ場のない真実が、心をざわつかせる。

 レオンの手が、ゆっくりと腰の辺りに滑り降りていく。
 布越しに触れた指の熱が、じわじわと広がり、神経の奥に染み込んでいく。

「俺も……好きだよ、レオン……」

 かすれた声が、唇から漏れる。
 その瞬間、彼の唇がうなじに落ちた。

 熱く、湿ったキス。
 舌先が、髪の根元から首筋へと這い、肌の薄さを確かめるように舐める。
 そのたびに、喉の奥が震え、ひくりと息が漏れる。

 シャツの裾をまくり上げる手。
 その下から忍び寄る指先が、肌をそっとなぞってくる。
 腹筋が緊張で震え、吐息が思わずもれた。

「あ……っ」

 鎖骨に、唇が這う。
 舌が、喉元を軽く吸い、また撫でて、湿った音を立てる。
 どこか獣のような、けれど優しさに満ちた欲が、肌の上を這っていく。

 触れるたびに、自分が“ここにある”ことを実感させられる。
 過去に否定された身体が、いま、レオンの手の中でゆっくりとほどけていく。

 けれど――

 その唇が胸元を舐め、手が太ももへと滑り、指先が下着に触れかけたその瞬間、
 俺はその手を、震える指で押さえた。

「……ダメ……まだ……」

 その言葉が精一杯だった。
 レオンの動きが止まる。
 一切の怒りも苛立ちも見せず、ただ、俺の目を見つめ返してくる。

「……わかったよ」

 その声が、たまらなく優しかった。
 許すでも、慰めるでもなく、ただ、受け止めてくれる声だった。

 そして彼は、何も言わずに、俺を抱きしめ直した。
 逃がさないように。壊さないように。
 でも、熱だけは確かに伝わってくる強さで。

「……好きなのに、怖いって……ずるいよな、俺……」

 こぼれた言葉に、涙が混じる。
 レオンは何も言わず、俺の瞳に伝った雫を、そっと舌で拭った。
 まるで、キスより深く、心の奥に触れようとするように。

 夜が、ゆっくりと過ぎていく。
 重ねられた肌の熱は、深く、静かに、ふたりを繋げていた。

 最後まで進まなくても、今夜のこのぬくもりは、確かなものだった。
 レオンの匂いが、胸の奥まで沁みていく。
 お前となら、いつか本当にすべてを預けられるかもしれない――そう思った。

 俺は目を閉じる。
 もう過去に迷いたくなかった。
 この夜だけは、レオンの熱だけを信じていたかった。

 彼の腕の中で、静かに、深く、俺は眠りに落ちていった。
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