35 / 67
34 透明な檻の中で
しおりを挟む
寮の掲示板に貼られた再検査通知。その中に自分の名前を見つけた瞬間、世界が小さく、しかし確かに軋んだ音を立ててひび割れた。
もう、これまでのように“ベータ”として、何も知らない顔で生きていくことはできないのか――
乾いた喉を無理に動かし、息を飲む。
いつものように放課後の図書室にいた…でも胸のざわつきは収まらなかい……。ノエルとテオの話し声が遠くから聞こえる。どこか夢の中にいるようで、現実感が薄い。
ポンッ、レオンが俺の背中をそっと押し、椅子に座らせてくれた。だが、その瞬間、自分の手のひらを見て愕然とした。強く握りしめていた拳が、びっしょりと汗に濡れていた。
数日前、ノエルが探し出したデータベースの記録。クラウス医師の語った「未登録オメガ保護案件」。それらが今、一つの線となって繋がっていく。
「……なぜ俺が、再検査の対象にされたのか分からない。でも……誰かが、俺の過去を知ってる。そうとしか思えない」
ぽつりと漏れた言葉に、ノエルが目を見開いてこちらを見つめた。
「ユリス……まさか、“あの火災”で保護された未登録の……?」
返答できなかった。ただ視線を落とし、言葉を飲み込む。
――十年前の旧校舎の火災。そこから救出された未登録オメガ。秘密裏に管理されていたプロジェクト。そして、俺の本名――フラン。
「……違うって言い切れたら、どれだけ楽だっただろうな……」
苦笑まじりにこぼすと、テオが黙って温かなハーブティーを差し出してくれた。
「まずは飲め。話すのはそれからでいい」
「……ユリス、焦らないで。俺たちは待ってるから」
ノエルの優しい声が、逆に胸に突き刺さる。
「……ごめん。ノエル、テオ。今はまだ、全部を話す勇気がない。でも、いつか必ず……話す。だから、もう少しだけ、時間をくれ」
「バカだなぁ。俺たちは友達だ。何があっても、お前の味方だからな」
「……うん。ユリスは、大切な友達だから」
ノエルの言葉が空気を静かに包む中、レオンが静かに立ち上がった。
「……ユリス。そろそろ部屋に戻ろうか」
「レオン……その前に、医務室へ行ってもいい?」
理由はうまく言葉にできなかった。ただ、確かめたかった。何かを知りたかった。
俺たちは走り出した。向かうのは学院の医務室――クラウス医師のもとへ。
「クラウス先生、どういうことなんですか!」
医務室の扉を勢いよく開けたレオンの声に、クラウスが一瞬だけ眉をひそめた。
「ユリス……やはり、掲示板を見たのか」
「なぜユリスの名前が? 記録は封じたはずです、マルディ医師と一緒に!」
「落ち着け、レオン」
クラウスは静かにため息をつき、椅子に深く腰を預けた。
「確かに記録は封じた。だが……数ヶ月前、マルディ医師が外部と接触した痕跡がある」
「接触……? 誰と?」
「“ユリスを守るために動く”と、彼は言っていた。ただ、それが何を意味するのかは分からなかった」
「マルディ医師が……俺を?」
「真意は不明だ。しかし、君の名前が再び表に出た今、もうここも安全ではないな…」
「じゃあ、今回の通知は……マルディ医師の意思じゃない?」
「違う。政府内部、もしくは王家の一部が動き出した。君の存在に疑問を抱いた者がいる。しかも、君に“異常な執着を示している”という噂まで流れている」
「王家」その言葉に、レオンの喉がわずかに震えた。
「……ユリスは、自分の人生を静かに生きたいだけなのに……なぜ」
「だが、“特異核保持者”である以上、国家にとってはただオメガではない。それは君自身が一番よく分かっているはずだ」
「そんなことは、俺には
関係ない」
レオンの声は低く、しかし揺るがなかった。
「誰がなんと言おうと、俺はユリスを守る。俺の意思で、俺の手で…」
その決意を、クラウスは静かに見つめていた。
その夜、部屋の隅でレオンと肩を並べて座った。電気はつけず、窓から差し込む月明かりだけが静かに空間を照らしていた。
肩に触れたレオンの手が、わずかに震えていた。
「なあ……どうして俺たちは、アルファだのオメガだの、そんな“運命”に縛られ続けなきゃいけないんだろうな……」
自分自身への怒りを押し殺したようなその声が、胸の奥に沁みた。
「なぁレオン、俺もっと、普通に……お前と出会いたかったな」
沈黙の中で、レオンが言った。
「ユリス……俺はお前が好きだ。だけど今、“フラン”の名前が公になってしまった。もう、お前は安全じゃない。俺は……守りたい」
「逃げたくない」
自分でも、こんなにもはっきり言えるとは思っていなかった。
「また“あの時”みたいに逃げて隠れて……守られたとしても、それは自由じゃない。ただの檻だ」
「……君は強いな、ユリス」
レオンが、苦笑いをこぼす。
「そんなお前が、俺は好きになったんだよ」
頬が熱くなるのを感じながらも、胸に残ったのは――あの“火”の記憶。
炎の中、煙と血に包まれた光景。抱き上げられたあの腕。それが、マルディ医師だったのかもしれない。そして今、また選択を迫られている。逃げるのか、立ち向かうのか。
この名前が何を意味するのか。なぜ、いま掘り返されたのか。
俺の中の“フラン”が問いかける。
――お前は誰だ?
――何のために生きてきた?
霧はまだ晴れていない。
だが、決意だけははっきりしていた。
――俺は、ユリス・フェルナンド。
たとえ誰に否定されようとも、俺が選んだ“名前”だ。
唇を、きゅっと噛んだ。
けれど、隣にいるこいつの手だけは、決して最後まで離れない気がしていた…
もう、これまでのように“ベータ”として、何も知らない顔で生きていくことはできないのか――
乾いた喉を無理に動かし、息を飲む。
いつものように放課後の図書室にいた…でも胸のざわつきは収まらなかい……。ノエルとテオの話し声が遠くから聞こえる。どこか夢の中にいるようで、現実感が薄い。
ポンッ、レオンが俺の背中をそっと押し、椅子に座らせてくれた。だが、その瞬間、自分の手のひらを見て愕然とした。強く握りしめていた拳が、びっしょりと汗に濡れていた。
数日前、ノエルが探し出したデータベースの記録。クラウス医師の語った「未登録オメガ保護案件」。それらが今、一つの線となって繋がっていく。
「……なぜ俺が、再検査の対象にされたのか分からない。でも……誰かが、俺の過去を知ってる。そうとしか思えない」
ぽつりと漏れた言葉に、ノエルが目を見開いてこちらを見つめた。
「ユリス……まさか、“あの火災”で保護された未登録の……?」
返答できなかった。ただ視線を落とし、言葉を飲み込む。
――十年前の旧校舎の火災。そこから救出された未登録オメガ。秘密裏に管理されていたプロジェクト。そして、俺の本名――フラン。
「……違うって言い切れたら、どれだけ楽だっただろうな……」
苦笑まじりにこぼすと、テオが黙って温かなハーブティーを差し出してくれた。
「まずは飲め。話すのはそれからでいい」
「……ユリス、焦らないで。俺たちは待ってるから」
ノエルの優しい声が、逆に胸に突き刺さる。
「……ごめん。ノエル、テオ。今はまだ、全部を話す勇気がない。でも、いつか必ず……話す。だから、もう少しだけ、時間をくれ」
「バカだなぁ。俺たちは友達だ。何があっても、お前の味方だからな」
「……うん。ユリスは、大切な友達だから」
ノエルの言葉が空気を静かに包む中、レオンが静かに立ち上がった。
「……ユリス。そろそろ部屋に戻ろうか」
「レオン……その前に、医務室へ行ってもいい?」
理由はうまく言葉にできなかった。ただ、確かめたかった。何かを知りたかった。
俺たちは走り出した。向かうのは学院の医務室――クラウス医師のもとへ。
「クラウス先生、どういうことなんですか!」
医務室の扉を勢いよく開けたレオンの声に、クラウスが一瞬だけ眉をひそめた。
「ユリス……やはり、掲示板を見たのか」
「なぜユリスの名前が? 記録は封じたはずです、マルディ医師と一緒に!」
「落ち着け、レオン」
クラウスは静かにため息をつき、椅子に深く腰を預けた。
「確かに記録は封じた。だが……数ヶ月前、マルディ医師が外部と接触した痕跡がある」
「接触……? 誰と?」
「“ユリスを守るために動く”と、彼は言っていた。ただ、それが何を意味するのかは分からなかった」
「マルディ医師が……俺を?」
「真意は不明だ。しかし、君の名前が再び表に出た今、もうここも安全ではないな…」
「じゃあ、今回の通知は……マルディ医師の意思じゃない?」
「違う。政府内部、もしくは王家の一部が動き出した。君の存在に疑問を抱いた者がいる。しかも、君に“異常な執着を示している”という噂まで流れている」
「王家」その言葉に、レオンの喉がわずかに震えた。
「……ユリスは、自分の人生を静かに生きたいだけなのに……なぜ」
「だが、“特異核保持者”である以上、国家にとってはただオメガではない。それは君自身が一番よく分かっているはずだ」
「そんなことは、俺には
関係ない」
レオンの声は低く、しかし揺るがなかった。
「誰がなんと言おうと、俺はユリスを守る。俺の意思で、俺の手で…」
その決意を、クラウスは静かに見つめていた。
その夜、部屋の隅でレオンと肩を並べて座った。電気はつけず、窓から差し込む月明かりだけが静かに空間を照らしていた。
肩に触れたレオンの手が、わずかに震えていた。
「なあ……どうして俺たちは、アルファだのオメガだの、そんな“運命”に縛られ続けなきゃいけないんだろうな……」
自分自身への怒りを押し殺したようなその声が、胸の奥に沁みた。
「なぁレオン、俺もっと、普通に……お前と出会いたかったな」
沈黙の中で、レオンが言った。
「ユリス……俺はお前が好きだ。だけど今、“フラン”の名前が公になってしまった。もう、お前は安全じゃない。俺は……守りたい」
「逃げたくない」
自分でも、こんなにもはっきり言えるとは思っていなかった。
「また“あの時”みたいに逃げて隠れて……守られたとしても、それは自由じゃない。ただの檻だ」
「……君は強いな、ユリス」
レオンが、苦笑いをこぼす。
「そんなお前が、俺は好きになったんだよ」
頬が熱くなるのを感じながらも、胸に残ったのは――あの“火”の記憶。
炎の中、煙と血に包まれた光景。抱き上げられたあの腕。それが、マルディ医師だったのかもしれない。そして今、また選択を迫られている。逃げるのか、立ち向かうのか。
この名前が何を意味するのか。なぜ、いま掘り返されたのか。
俺の中の“フラン”が問いかける。
――お前は誰だ?
――何のために生きてきた?
霧はまだ晴れていない。
だが、決意だけははっきりしていた。
――俺は、ユリス・フェルナンド。
たとえ誰に否定されようとも、俺が選んだ“名前”だ。
唇を、きゅっと噛んだ。
けれど、隣にいるこいつの手だけは、決して最後まで離れない気がしていた…
21
あなたにおすすめの小説
僕たちの世界は、こんなにも眩しかったんだね
舞々
BL
「お前以外にも番がいるんだ」
Ωである花村蒼汰(はなむらそうた)は、よりにもよって二十歳の誕生日に恋人からそう告げられる。一人になることに強い不安を感じたものの、「αのたった一人の番」になりたいと願う蒼汰は、恋人との別れを決意した。
恋人を失った悲しみから、蒼汰はカーテンを閉め切り、自分の殻へと引き籠ってしまう。そんな彼の前に、ある日突然イケメンのαが押しかけてきた。彼の名前は神木怜音(かみきれお)。
蒼汰と怜音は幼い頃に「お互いが二十歳の誕生日を迎えたら番になろう」と約束をしていたのだった。
そんな怜音に溺愛され、少しずつ失恋から立ち直っていく蒼汰。いつからか、優しくて頼りになる怜音に惹かれていくが、引きこもり生活からはなかなか抜け出せないでいて…。
【完結】まずは結婚からで。〜出会って0日、夫夫はじめました〜
小門内田
BL
ドケチで貧乏な大学生の瀧本 純也は、冷徹御曹司の諏訪 冬悟に交際0日、いや、初対面で結婚を迫られる!?
契約から始まった奇妙な結婚生活は、次第に互いの心を少しずつ変えていく。
“契約から本物へ―”
愛を知らない御曹司×愛されたがりの大学生の、立場も性格も正反対な二人が、不器用に心を通わせていく、ドタバタあり、じんわり甘い、ゆるやかな日常BL。
※最初は少し殺伐としていますが、ゆっくりと変化していく物語です。
※男同士の結婚が、一般的な世界線となります。
※関係性をわかりやすくするため、「嫁」や「妻」といった表現を使用しております。
※同タイトルのpixiv版とは、加筆・修正しておりますので、若干内容が変わっております。
予めご了承ください。
※更新日時等はXにてお知らせいたします
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
8/16番外編出しました!!!!!
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭
4/29 3000❤️ありがとうございます😭
8/13 4000❤️ありがとうございます😭
12/10 5000❤️ありがとうございます😭
わたし5は好きな数字です💕
お気に入り登録が500を超えているだと???!嬉しすぎますありがとうございます😭
祝福を授かりましたが、まるで呪いです。
めっちゃ抹茶
BL
異世界に生まれ変わって出会った、一組の運命の番であるαとΩの話。
※ご都合主義があります
※オメガバースの知識がある人向け/作中で説明は一切ありません
※主人公が可哀想、ハッピーエンドではありません
主人公目線、あまり悲壮感はありませんがタグをご確認のうえ以上の事を念頭に、大丈夫な方のみお進み下さい。
欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点
Endless Summer Night ~終わらない夏~
樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった”
長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、
ひと夏の契約でリゾートにやってきた。
最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、
気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。
そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。
***前作品とは完全に切り離したお話ですが、
世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる