【完結】聖クロノア学院恋愛譚 ―君のすべてを知った日から―

るみ乃。

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40 夜明けに君と(ノエル視点)

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 ユリスの寝息が、静かに部屋に溶けていた。

 ようやく熱は下がり、薬の効果も出てきたらしい。呼吸は落ち着き、少し前まで見せていた苦悶の表情も、今は消えている。

 その寝顔を見ながら、俺はずっと傍に座っていた。

 ……でも、胸の奥がずっとざわついている。

 オメガであること。発情。番の記憶。ユリスの抱えるものは、きっと想像以上に重い。
 誰よりも彼の苦しみに寄り添いたいと思っていたのに、あの瞬間、俺は……自分の感情に押し流されそうになった。

 ノエル、お前もオメガだろ? ユリスを守るなんて…何ができる?

 ずっと昔から、俺は“守られる側”として生きてきた。

 生まれながらのオメガ。しかも、三大財閥のひとつ、“ファサード家”の末の息子。
 父も兄たちもアルファとして堂々たる存在で、周囲から「選ばれし血」と呼ばれることもあった。

 その中で、俺は“特別なオメガ”として育てられた。
 丁重に、徹底的に守られ、誰にも触れさせないように扱われた。

 愛されていた。疑いようもなく。

 けれど、時折、息苦しくなることがあった。

 守られることが、まるで“囲われている”ようにも感じた。
 どんなに自由に見えても、自分の行動は“オメガである自分”に許された範囲でしかなかった。
 優しさが檻に見えたこともある。
 兄たちがどんなに思いやりを持って接してくれても、「守られる」ことしか許されていない気がしていた。

 だからこそ、俺は学院への進学を選んだ。

 “ファサード家のノエル”ではなく、“自分自身”として、生きたかった。

「……ノエル?」

 声に肩が跳ねた。

 振り返ると、そこにいたのはテオだった。

 優しげな目。少し乱れた前髪。どこか眠そうなのに、それでも俺の顔をじっと見てくる。

「お前……まだ起きてたの?」

「うん。なんか寝れなくて」

 彼は言いながら、俺の横にそっと腰を下ろす。

 手に持っていた紙袋を差し出してきた。

「……ほら。これ、街で見つけてさ。ノエルが好きそうなやつ」

 中には、キャラメルミルクティーのキャンディ、ハーブティーのパック、そして、猫のイラストが描かれたふわふわの靴下。

「なんで猫……?」

「ノエル、猫っぽいから。ほら、ツンツンしてんのに気づいたら膝にいる、みたいな」

 俺は思わず笑ってしまった。

「……なにそれ」

「いや、本気で思ってる」

 テオは肩をすくめて、ふにゃっとした笑顔を見せる。その笑顔が、どうしようもなくあたたかい。

「……ありがとう」

 小さく呟いた俺の言葉に、テオは静かに頷いた。

 しばらく、二人で黙っていた。隣に並んで、夜明けの光を待つ。

 窓の外が、ほんのりと白んでくる。

「なあ、ノエル」

「ん?」

「俺、聖クロノアに来たの、なんでか知ってる?」

「うん。推薦組だったっけ。実技優秀って……」

「ううん。実は違う」

 テオはぽつりと呟いた。

「……ノエルがここに行くって知って、俺も行こうって決めたんだ。だから、死ぬほど勉強した。寝ないで、何日も」

 驚いた俺に、彼は照れたように笑った。

「昔からさ、ノエルって無理するじゃん。ひとりでなんでも背負おうとするし。だから、俺が傍にいなきゃって思ってたんだよ、ずっと」

「……」

「でも、なんか……気づいたら、“守りたい”とかそんな言葉じゃなくて、ただ、“一緒にいたい”って思ってた」

 その言葉に、心が音を立てて揺れた。

 自分が“誰かに守られたい”なんて、思っていなかった。

 だけど――“テオになら”と思える自分がいた。

 ふと、テオの手が俺の手に触れた。

 少し冷たくて、でもやわらかい。

「ノエル。……泣いていいよ。俺の前なら」

「……泣いてないし」

 拗ねた声を出す俺の頬に、彼の指がそっと触れる。
 涙を、拭っていた。

「泣いてる」

「……バカ」

 小さく吐き捨てたその一言に、テオはくすっと笑って、俺の頭を引き寄せた。

 その胸に、自然と身を預ける。

 どこか懐かしい、木の匂いと洗剤の香り。
 小さな頃、雨の日に一緒に遊んだ土の匂いも思い出す。

「ノエル、俺さ……オメガとかベータとか、そういうの、関係ないんだ。お前が、お前でいてくれればそれでいい」

「……」

「だからさ、もう無理しなくていいよ。お前が苦しいとき、俺が傍にいるから」

 胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。

 ずっと欲しかった言葉だった。
 誰にも言ってもらえなかったその一言を、テオは迷いなく口にしてくれる。

 ──気づいてたのかもしれない。

「ねえ、テオ」

「うん?」

「……好き」

 呟くように言った言葉に、テオの手が少し強く俺を抱き寄せた。

「俺も」

 その一言だけで、十分だった。

 夜が明けていく。
 淡い光が、ユリスの眠る部屋にも差し始めている。

 誰かを守ることと、誰かに守られること。
 その境界線に、初めて足を踏み入れた夜だった。
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