Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

理性と衝動、熱量

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零れた精液がドロリと太腿を伝うのを感じる。
 薄暗い部屋にラガーディの姿はない。リューシは1人で絨毯の上に横たわっていた。

 あれからどれだけの時間犯されていたのか、最早わからない。どうも数回胎内なかに欲を吐き出されたらしいが、途中で記憶は途切れている。腹に白濁が散っているのを見ると自分も何度か達してしまったものらしい。それも覚えていなかった。
 要するに、どうにか保っていた理性を手放してしまったという事だ。その間に本能に任せてラガーディを求めてしまったかも知れないと思うと、どうにもやりきれなかった。

 火照ったままの身体を起こし、ハッとして首筋に手を当てた。レザーの首輪の存在を確かめ、安心する。大丈夫。番にはなっていない。

 番関係は、αがΩの首筋を噛む事により結ばれる。幾つかの面倒な手順を踏めば解消も可能だが、離婚と同じで一方的には出来ない。

 一般に、理性を失ったαは恋人であろうがなかろうがΩの首に食らい付いてしまう。驚く事に、保護用チョーカーを引き千切ってまで噛むらしい。かなりの興奮状態だったであろうラガーディがそれをしなかったというのは、普通では考えられない事である。

 ──余程、俺と番になりたくないんだな。

 自分とて番になりたかったわけではないが、自嘲的な笑みが漏れた。
 発情しても首筋を噛まないよう自制出来る程、自分を嫌っているのだ。ここまでの嫌悪を向けられる人間はそういないだろう。

 放り投げられた軍服の中からちり紙を探し出し、下半身を濡らしている諸々の体液を拭う。胎内に入ってしまったものはどうしようもないので、いつも万が一に備えて携帯している避妊薬を飲んだ。24時間以内ならこれで着床を防げる。この薬を取り上げなかったのが偶然でないなら、本気で孕ませようとしていたわけではないという事だ。

 腹の奥に液体が溜まっている。不快感に顔をしかめ、舌打ちする。服を着ようと立ち上がれば身体中が軋むように痛んだ。

「……っ」

 動く度にゴプリと溜まっているものが溢れる。折角拭いた太腿にまた伝い流れた。何度拭いても同じだと諦め、下着とズボンを履く。汚れてしまうだろうが、今更だ。

 普段の3倍近くの時間をかけて何とか全て身につけ、覚束ない足取りで外に出る。
 廊下はしんと静まり返っていた。いつの間にかパーティーは終わってしまったらしい。思ったより長い間、あの部屋にいたようだ。
 カツカツと自分の足音だけが壁に反響する。もう午後10時を回っているだろうか。窓からは青白い月光が射し込んでいた。


◇◇◇


 ラヴォル邸の離れの客間で、1人の男が落ち着きなく歩き回っている。

「バルトリスさん、お茶でもお召し上がりになりますか」

 ヤスミーに問い掛けられ、赤毛の男──バルトリスはああ、と上の空で頷いた。

 ──おかしい。

 パーティーはもう2時間も前にお開きになった。それなのに、リューシはまだ帰らない。

「ヤスミーさん。リューシの奴、家を出る時に何か言ってなかったか?」
「いいえ……」

 バルトリスさんと飲みに行くから夕食はいらないとしか、とヤスミーは不安気な表情で頬に手を当てた。
 彼女にすら何も伝えていないのか。案外几帳面なあの男にしては妙だ。ますますおかしい。

 捜しに行こうと部屋を出ようとしたその時、馬の鋭いいななきが聞こえた。2人はハッと身を固くする。弾かれたように飛び出したバルトリスの後を追い、ヤスミーも走り出した。

 玄関の重い扉を開ける。ポーチの目の前。漆黒の馬が急かすように足踏みしている。その背の人物が月明かりに照らされる。

「リューシ!」

 駆け寄ると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。

「バルトリス……悪い、今日は出掛けられそうにない……」

 苦し気な声で馬上のリューシが言う。下馬する動きは不安定で、バルトリスは抱き抱えるようにして降ろしてやった。そのまま腕の中に倒れ込んで来た身体の熱さに驚く。それと同時に甘い匂いに鼻腔を満たされる。

「どうした、体調が悪いのか」

 肩を貸しながら尋ねると、彼は喘ぐように答えた。

「ああ……今夜は、もう寝る……」

 ポーチの階段に足を掛けた時、うっと小さく呻き声が上がる。気を付けて見れば、身体の重心が下半身にない。軍医をしていればわかる。どこかを庇っているのだ。

「腰が痛むのか?」

 リューシがぴくりと反応する。ぎゅっと唇を噛み、違う、と呟いた。

「嘘つけ。明らかに庇って歩いてるだろ。怪我でもしたのか」

 してない。そう答えるそばから苦痛に顔を歪めている。一瞬、最悪の可能性が頭をよぎった。
 熱を持った身体、庇っている腰、この甘い香り──まさか。

「暴れるなよ」

 素早く横抱きにすると、おいと抗議する声が上がった。そのまま玄関を突き抜け、廊下を駆ける。途中ですれ違ったヤスミーが息切れしながら坊ちゃんと叫ぶが、構わず走った。確か、リューシの寝室はこっちだったはずだ。

 長い廊下を走り、ようやく辿り着いた寝室に飛び込む。ベッドに上半身だけうつ伏せに乗せるようにリューシを降ろし、すぐさまズボンと下着を脱がせた。

「バルトリスっ……おい……!」

 あらわになった白い双丘を押し開き、愕然とした。
 血と体液がこびりついたそこからは白濁が溢れ、何があったかを克明に物語っている。

「誰にやられた」

 問い掛けても答えはない。リューシはただきつく唇を噛み締め、黙っている。

「答えろ」

 肩を強く掴むと、きつい瞳が一瞬揺らいだ。が、すぐに芯のある光で見つめ返す。
 絶対言わない。そう訴えている。まさか相手を庇っているわけではないだろうが、リューシは頑なに口を割らなかった。
 どうすれば良いのかわからない。彼の熱に潤んだ瞳に映る自分を眺める。その目がふっと切なく細められた。

「……何で、お前がそんな顔をする」

 自分がどんな顔をしているのか知らない。ただ、どうしようもなく哀しかった。


◇◇◇


 下半身をシーツで包まれ、また腕の中に抱えられる。

「どこに行くんだ」 

 バルトリスは黙って歩く。暫くの後に降ろされたのは風呂場だった。

「じっとしてろ」

 それだけ言い、上半身の衣服を脱がしにかかる。下を覆っていたシーツも取り去り、丸裸にされた。汲んで来た湯を尻にかけられ、びくりと肩が震える。

「痛いかも知れんが、ちょっと我慢しろよ」

 壁に手をつくと、バルトリスの大きな掌が触れる。指を挿し込まれ、ピリッと痛みが走った。

「……っく」

 やはり、切れているのか。出血しているかも知れない。

「痛むか?」
「ああ……」

 労るように背を撫でられ、強張っていた体が少し和らぐ。

「出来るだけ出してやるからな」

 控え目に挿入されていた指が根元まで入る。ぐちゅりと体液が立てる音が風呂場に響いた。

「……っあ……」

 掻き出された精液が内腿を流れる。頭では“治療”だとわかっているのに、内壁を擦られる度に快感が走る。もっと激しくと求めてしまう。優しく動く指がもどかしい。

「バルトリス……っ」
「何だ?」
「もう、いい……っ……それで、充分だ……」

 これ以上は不味い。
 ずくずくとまた疼き出した奥と、熱を持ち始めた自身に脳内で警告音が鳴る。βのバルトリスは誘発される心配もないが、こちらの理性が危うい。

「もういいってお前……まだ殆ど残ってんのに」

 ぐっと奥に指が入り、ある一点に触れる。一気に快感が駆け抜けた。

「……っあぁ……!」

 背中がしなる瞬間、バルトリスが息を呑んだ。中で動く指が心なしか大人しくなる。
 もう本当に限界だ。

「バルトリス……っ……もう、やめ……っ」

 肩越しに訴えると、さらりと髪を撫でられる。

「もうちょいだから、頑張れ。な?」

 子供をあやすように言い、内側を優しく刺激する。このまま求めてしまえ。そんな囁きが聞こえる。

「……っく、ぁ……っ」

 悪魔にほだされてはいけない。駄目だとわかっている。しかし、人間の身体というものはつくづく本能に忠実に出来ているらしい。

「もっと、奥……っ」

 喘ぐように言うと、こうか? と欲しい所に指をくれる。が、聞き分けのない発情した身体はまだ駄々をこねる。

 ──足りない。

 指だけでは足りない。もっと、大きなモノが欲しい。
 浅ましい自分に涙が出そうになった。

「リューシ……?」

 気付くと、バルトリスの空いている左手を掴んでいた。それを前の膨らみに宛がう。バルトリスが身を固くしたのがわかった。とんでもなく不埒なのは重々承知だ。しかし、後ろの不足分は前で補うしかない。

「こっちも……やってくれ……もう、無理だ……っ」

 何が無理なのか、理性を手放しかけた頭では自分で言っておいてわからないが、とにかくこの甘い痺れに見合う刺激が欲しかった。

「いいのか……?」

 困惑した声に、必死に頷く。

「早く……!」

 ぎこちない動きで左手がそれを包み込んだ。ゆるゆると揺する。その手付きは経験豊富な中年男とは思えない程、臆病だ。

「……っふ、は……っ」

 前後を同時に刺激され、何もわからなくなる。特別な性技を使われる必要はなかった。触れられている部分の全てが熱い。全身が性感帯になってしまったかのようだ。Ωの発情はここまで浅ましいものなのか。飛びそうな意識の端で思う。

「リューシ……苦しくねぇか?」
「だい……じょうぶ、だ……っ」

 苦しいはずがない。身体中が歓喜に打ち震えている。貪欲に快楽を求めている。純粋に性欲の発散を求めているのか、バルトリスを求めているのか、わからない程に。

「……っあ……!」

 自身の先が擦られると同時に中の前立腺を押され、電流のような感覚が走った。バルトリスの手の中で欲が弾ける。

「っああぁ……!」

 びくびくと痙攣し、内壁が締まった。ゆっくりと指が引き抜かれ、開いたままの後孔がだらしなく蜜を垂らす。出し切ったものを湯で洗い流され、タイルの上を白濁が滑った。

「頑張ったな。後はしておくから、ゆっくり休め」

 壊れ物を扱うように髪を撫でられる。疲労感と安心感の中で、リューシの意識は闇に沈んで行った。


◇◇◇


 臭いがする。
 人が焼ける臭い。

 瓦礫となりつつある建物の表面を、業火が舐め回すように這い、炎のうねりは美しく紅蓮に輝く。その中で数人の体が踊っている。死神に見つけてもらう為の舞い。断末魔のもがき。どう形容しても彼らは救われない。
 生きたまま焼かれる時、熱さと痛みのどちらを強く感じるのだろう。

 1人の女の髪に炎が移った。狂ったように頭を振り、火の粉を撒き散らす。焼け焦げた皮膚は黒く炭化しているというのに、その髪だけが今まで燃えずに残っていた。唯一単純な物質になり損ねていた部分が焼かれる。
 刹那、その女がこちらを凝視した。収縮してひきつった筋肉の中で、ぎょろりとした目がこぼれそうに見開かれている。喉を締め付けられたかのような錯覚に陥る。ああ、その目で見ないでくれ。

 俺はこの顔を知っている──

 堪え切れず、絞り出すような悲鳴となって声が漏れ出る。

朱莉あかり──!」


◇◇◇


 目を開くと、ベッドの中にいた。紛れもなく自分の部屋だ。体は裸ではなくいつもの寝間着に包まれている。身動きすると、腰の辺りを中心に全身が痛んだ。
 起き上がり、張り付いた前髪を掻き上げる。酷く汗をかいていた。

「大丈夫か? 随分うなされてたぞ」

 視線を上げると、水の入ったグラスを持ったバルトリスがいた。心配そうに顔を覗き込んでくる。

「嫌な夢でも見たか?」
「いや……」

 グラスを受け取り、飲み干す。冷たさが喉に心地好かった。

「どのぐらい寝てた」
「3時間ってとこだな。もう真夜中だ」

 ふわぁと大欠伸をする。まさかこの男はずっと起きて自分の傍らにいたのか。餓鬼じゃあるまいし、放っておいても文句はなかったのに。変なところで律儀な奴だと申し訳なくなる。
 ふと見ると、枕元に水を張った洗面器があった。清潔そうな白いタオルが浸されている。魘されている間、汗を拭ってくれていたのだろう。まるで子供を看病する母親だ。

「バルトリス」

 呼び掛けると、彼はタオルを絞りながら応えた。

「何だ?」
「悪かったな……あんな“処理”をさせて」

 自分が彼の前で晒した醜態。何てふしだらな奴だと愛想を尽かされてもおかしくないものだった。そもそも、他人の性器を弄くり回すなど、喜んでやるはずがない。発情でぼうっとしていたとはいえ、あんな事をせがんだ自分が腹立たしい。
 
「“処理”なんて言うな」

 思いの外強い口調に驚き、浅黒い顔を見つめた。

「あれは俺が勝手に“治療”したんだ。謝らなくていい」

 くしゃりと頭を撫でられる。ここ最近、バルトリスはよく頭に触れてくる。そういえば“治療”中にも髪を撫でられたのだと思い出し、いたたまれない気がした。

 悶々としていると、バルトリスが思い出したように言う。

「どうだ体は。鎮静剤を打っておいたんだが、効いてるかどうか……」

 そうか、と納得する。道理で気分が落ち着いている。あの火照りが嘘のように引いていた。

「大丈夫だ。よく効いてる」
「そりゃよかった」

 特効薬があればいいんだがな、とぼやきながらタオルを投げ渡してくる。
 発情の鎮静剤は注射器に液体薬を詰めて太腿の血管に注入するという大袈裟なものだ。医者でなければ扱える代物ではない。しかも即効性に欠け、体質によっては全く効かない事もある。リューシに効果があったのは幸運と言っていい。
 ルバルア帝国は国を上げて医療開発に力を注いでいるが、数少ないΩに対する開発者の関心が薄い為か、携帯可能な発情抑制特効薬は一度も研究対象になった事がなかった。

「今から帰れないだろう。どうするつもりだ」

 そう尋ねると、バルトリスは肩を竦めた。

「流石の俺でも真夜中に馬走らせたくねぇからな。ヤスミーさんに泊まらせてくれって頼んでおいた」
「そうか。客室なら2つ空いてる。好きな方を使え」
「いや、客室は使わない」
「じゃあどこで寝るって言うんだ」
「ここで」

 思わず目をしばたかせた。
 まさか添い寝するのだろうか。この男には風呂の前科がある。デカいベッドなんだから2人で使った方が効率的だ等と言いかねない。こちらの疑念を汲み取ったのか、バルトリスは慌てたように言った。

「添い寝しようってんじゃねぇ。床でいいんだ、床で」

 俺は寝ようと思えばどこでも寝れるんだとよくわからない自慢をしながら絨毯に転がる。

「ああ、そうだ。ヤスミーさんが今夜食作ってくれてるぜ」

 それだけ言うと、彼はわざとらしい程大きな鼾をかき始めた。
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