Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

転がりだす

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 “天気がいい”というのはどういう定義なのだろう。
 
 一般的には“晴天”の事を言うようだが、雨天や曇天が好きな人も一定数いるだろう。というか、大部分の生物は雨を求めるはずだ。砂漠に生息するものは水を効率良く摂取しようと姿を変えてきたし、人間でさえ雨が少ない地域では“雨乞い”という科学的根拠のない事までして水を得ようと躍起になる。彼らにとっては雨天こそが“いい天気”であるべきだ。

 ──いや、そもそも天気にいいも悪いもないのではないか。その観念自体がおかしいのではあるまいか。
 自然の法則は操れないと言いつつ人間が善し悪しを決めるというのは、何とも奇妙な話だ。動物や昆虫達だって善し悪しまでは考えていないだろう。自然に従って生きているだけだ。どうにかして抗おうとするのは人類の特性とも言える──

 鬱陶しい程輝く太陽の光を受けながら、リューシは随分とややこしい事を考えていた。なぜこんな思考を巡らせているのかと言えば、その原因は目の前にあった。

「リューシ! 見て!」

 花冠作ったの、と満面の笑みでカラフルなわっかを掲げる少女に、お上手ですねと愛想笑い──は出来ないが、口だけでも取り繕う。

 ──なぜ訓練を休んでまでおままごとに付き合わなければならないんだ。

 それを考えない為に、ひたすらどうでもいい事を熟考していたのだった。

 というのも、今日は第1部隊に他の隊からの推薦組の新入りが数名加わるとかで、そこそこ大事な訓練だったのだ。新入りにはリューシが直々に手ほどきするはずだった。それを放棄して、なぜ花冠を作る少女を眺めていなければならない。
 理由は明白だ。教練場に向かう途中に廊下でばったり出くわしたのが不味かった。
 しまったと思った時には時既に遅し。ミハネは目を輝かせて駆け寄り、こう言った。

『お花摘みに行こう!』
 
 なぜ24の大の男が──しかも精神年齢はとっくに五十路を過ぎたオッサンが──お花摘み等と言う少女趣味な遊びをしなくてはならないのだ。絵面的にも痛い。

 侍女達と行けばいいと言っても、彼女はみんな忙しいんだもんと引かない。大人気ないが、それを言うなら自分こそが忙しいんだと青筋を立てそうになった。この子供には自分が暇人にでも見えるのかと。心中は荒れに荒れていたが、顔や口に出すわけにもいかない。彼女は単に遊びに誘っているつもりなのだろうが、立場上、それを命令と取ろうと思えば取れるのだ。不用意に断れば後々皇太子に何を言われるかわかったものではない。

 そういう経緯があり、仕方なくこの“おままごと”に付き合っているのであった。もっとも、訓練の欠席理由が「お花摘み」では羞恥に耐えられない為「公務上の都合」という事にしておいたのだが。雨でも降っていればこうはならなかっただろう。今のリューシにとって、晴天は間違いなく“天気が悪い”状態であった。

「ね、リューシこっち来て!」

 お呼びがかかり、渋々ミハネが座り込んでいる花畑の中心に進む。足腰は気分とは裏腹に面白い程良く動く。痛んでいた体はすっかり調子を戻していた。
 過度の心的ストレスや身体的疲労が積み重なると発情周期が狂う事があるとバルトリスが言っていたが、そうだとすれば原因の一端は間違いなく彼女だ。

「ほら、屈んで」

 言われるがままに半ばやけくそで腰を屈めると、軍帽を被っていない頭に花冠が載せられた。

「すっごく似合ってる!」

 嬉しそうに自分を見る少女に白けた気分になる。似合っているわけがない。この少女の自己満足だ。花冠を載せる相手は別に自分でなくともいい。彼女にとっては人の頭に飾るという行為自体に意味がある。自分が作ったものを施すという行為自体に。

貴女あなたの方が似合う」

 自分の頭から艶やかな黒髪の上に花の輪を移す。そんな柄でもない行為にわらいそうになる。いや、実際に口角が上がった。はたから見れば巧みな微笑になっている事だろう。きっと誰も本当の意味には気付かない。まるで道化だ。
 自分を見上げるミハネの頬にポッと赤みが差す。皇太子が見れば喜びそうな顔をしている。優秀な補佐の顔を貼り付け、冷めた気分で眺めた。

「リューシ……笑った方がいいよ」

 ぽうっとしてどこか夢見心地に言われる。そういえば彼女の前では笑った事がない。微笑みも見せなかったような気がする。出会った時から無表情を通していた。かといって特に問題だとも思っていなかったが。

 無感動にミハネの視線を受けていると、向こうから花々を蹴散らして駆けてくる姿が目に入った。ラガーディだ。

「ミハネ!」

 かなり焦った様子で妻である少女の名を呼ぶ。それと同時にリューシの存在に気付いたらしく、碧の瞳が険しい色を見せた。

「どうしてこの男と一緒にいる」

 自分の側室をこの男呼ばわりか。それも、あんな真似をしておいて。

「まさか、ミハネをたぶらかそうとしたんじゃないだろうな」

 ギロリとねめつけられ、ふっと嘲笑が漏れそうになった。とんだお考えだ。どうして側室が正室をたぶらかすなんて発想になる。

「違うの、ラディ」

 ミハネが口にした愛称に、リューシはぴくりと反応した。ラディ。いつしか自分は彼をそう呼ばなくなった。

「私が一緒に来てって頼んだの。リューシは何も悪くないよ」

 宥めるように言うミハネは、困り顔なのに心なしか嬉しそうに見える。嫉妬して貰えるのが嬉しいのだろう。このくらいの年齢の少女によくある情緒だ。
 ラガーディはミハネの手を掴み、語気を強めた。

「とにかく、この男に近付くな」
「でも、」
「──この話は終わりだ。僕はこんな事を言いに来たんじゃない」

 姿の見えない愛しい妻を探していたわけではないという。確かに、それにしてはあまりに取り乱し過ぎていた。

「ミハネ……落ち着いて聞いてくれ」

 焦燥も露に言葉が継がれる。

「父上が危篤だ」


◇◇◇


 リューシは皇帝の寝室の前で待機していた。中には皇族一同とミハネがいる。最期の別れというやつだ。死に際の遺言と家族の涙云々がなされているのかどうかは知らない。
 
 前世で祖父が死んだ時。
 記憶の限りでは、それが最後に感情的な──主に悲しみの涙を流した日だ。“彼女”の時は泣けなかった。泣くという動作に移る事が出来なかったのだ。感情を逸脱してしまった時、人は泣けなくなる。
 皇帝の死を前にして、皇族達は泣いているのだろうか。

「入れ」

 唐突に開いた扉から、ラガーディが顔を出した。

「父上が、お前と2人きりで話したいと」

 苦虫を噛み潰すような顔で言い、部屋を出ていく。その後に続き、ぞろぞろと他の皇族達が出て来る。ミハネ以外は皆、去り際にこちらを睨み付けた。
 最後に退室した青年と目が合う。前世の世界ではほぼ見ない、アメジストの瞳。一瞬の事だったが、はっきりわかった。

 ──第2皇子セドルア。

 姿を見るのは10年振りか。
 リューシの記憶の中では、彼は幼いままで成長を止めている。宮殿にいれば1度や2度顔を合わせそうなものだが、彼は皇族でありながら儀式や祭典にすら顔を見せなかった。そのせいで軍でも民衆の間でも不治の病だ何だと噂されているものの、その顔色は健康的で、すらりとした体には若者の精悍さがあった。患って外に出られないわけではないらしい。

 流石に父親の死に目には会いに来るか。そう納得して寝室に足を踏み入れた。

「失礼します」

 後ろ手に扉を閉める。中にはベッドに横たわる皇帝以外、召し使いの1人もいなかった。本当に2人きりだ。

「リューシか……」
 
 視線だけをこちらに寄越し、皇帝が言った。 衰弱しても尚、その声は威厳を秘めている。

「側に来てくれ……」
「は」

 ベッドの真横まで近付くと、皇帝は天井を見つめたまま言った。

「……すまなかったな、リューシ……」

 何に対して謝られているのかわからず、立ち尽くしてしまう。皇帝は目を瞑り、もう一度同じ言葉を繰り返した。

「……お前には、いらぬ苦労をかけた」

 それは何の苦労だろう。指揮官の座を追われた事だろうか。それとも、ミハネのお守りをさせられている事だろうか。

「神託の解釈を誤ったせいで、お前の人生を狂わせてしまった……」

 やめてくれ。そう叫んで耳を塞ぎたくなる。その謝罪が、俺の24年を否定している事に気付いてくれ。

「お前がΩで、しかも黒髪という事で……よく考えもせず、早とちりをしてしまったのだ……許してくれ……」

 病のせいではなく、苦しそうに声を詰まらせる。リューシは謝罪して欲しい訳でも、許しを乞うて欲しい訳でもなかった。お前がΩに生まれたせいだと罵倒してくれた方が幾らかマシだった。

「陛下……」

 静かに呼び掛けると、皇帝はゆっくりと目を開いた。死を待つ者の表情で見つめてくる。さあ罵ってくれ。そう訴える主君の目を、真っ直ぐ射抜くように見た。

「私は確かに、人生を狂わされた」

 死に行く病人に恨み言をぶつける程、俺は野暮な人間ではない。かといって、全てを許し愛する聖人でもない。

「──しかし、終わりではありません」

 そうだな、お前はまだ若い。そう言い、皇帝は再び瞼を閉じた。

 廊下に出ると、そこで待っていると思っていた皇族は根こそぎ姿を消していた。
 ふと、気付く。そういえば、誰も涙を流していなかった。


◇◇◇


 すすり泣く人々の間を棺が進む。
 神託の事を知らない彼らは、婚儀の僅か3日後に崩御した皇帝の為に、惜しみなく涙を流した。喪服に身を包んだ老若男女は敬愛する国主の冥福を祈る。

 神聖な儀式のようだ、と葬列に加わっているリューシは思った。白の喪服を纏った人々が祈る姿は美しく、さながら神の祭典だ。
 ルバルア人の人生は白に始まって白に終わる。この世に生を受けた赤子は白の産着にくるまれ、成長すると白の衣装で結婚し、死ねば白の死装束を着せられる。清らかな色は魂を浄化するのだと誰もが信じていた。白はルバルア人の人生だ。彼らは白の中に生まれ、白の中に死ぬ。

 皇族の墓地に運ばれた棺は丁寧に地中に埋められた。墓石には彼を称える文句が彫られている。隣には、寄り添うように妻ユリアナの墓があった。
 
「呆気ないもんだな」

 献花する人々を眺めながらバルトリスが言う。

「誰でも死ぬ時は呆気ない」

 そう返すと、彼は白のダリアを供える小さな男の子を黙って見つめた。その目には静かな悲しみがたたえられている。決して忠誠心が強いわけではなかったが、彼は彼なりに皇帝を尊敬していた。
 自分には出来ない表情だ、と思う。誰かの死を悲しむには、あまりに多くの死を見過ぎた。その数は前世を含めば誰より多いだろう。

「悲しいか」

 こちらの考えを見透かしたようにバルトリスが問う。躊躇せずに答えた。いいや。冷徹だと非難するでもなく、彼はそうかと呟いた。


◇◇◇


 葬儀の後日、直ぐに戴冠式が行われた。
 ラガーディは若くして皇太子から皇帝になり、ミハネは正式に皇后となった。そしてリューシは──皇妃に。

「ラヴォル隊長、新入りの訓練をお願いします」

 早朝訓練に出向くと、副隊長がそう頼んできた。「公務上の都合」ですっぽかしたまま、葬儀やら戴冠式やらで埋め合わせが出来ていなかったのだ。二つ返事で引き受けると、彼は3人の青年を引き連れて来た。皆同じくらいの年格好で、まだ入隊して2、3年というところだ。そのうちの右端に立っている、長身の2人よりも一回り小柄な青年がリューシの目を引いた。容姿がどうこうという訳ではない。どうにも見覚えがあるような気がするのだ。

「左から順に名乗れ」

 そう命じると、左端のひょろりと背の高い青年はぎこちない動作で敬礼した。

「ウィスク・リーン、第4部隊からの推薦です……!」

 少年時代のそばかすが残る彼は若干気が弱そうだが、第4部隊のジェリス隊長が推薦するなら間違いない。彼の兵の実力を見極める目は確かだ。よし、と頷いて次を促す。

「サリアン・レイド。第5部隊からの推薦であります」

 堅実そうな男だ、とリューシは評した。少し緊張が見られるものの、おどおどした雰囲気はない。体格も良く、リーンとは対照的にがっちりしている。軍服の下の体が鍛え上げられている事が一目でわかる。これもよしと頷き、最後に例の左端の青年へ目を移した。

「フィンネル・ノット。第3部隊から志願しました」

 やや尊大とも言える語調で名乗った彼の、軍帽の下に覗く目を見た瞬間。ようやく思い出した。最後まで残っていた第3部隊の兵だ。その闘争心にぎらついた眼差しは間違いなくあの男であった。

「お前だけ、推薦ではなく志願か」
「はっ」

 そういえば、生きて帰れば第1部隊に入れてやるというような事を言ったような気がする。本当に来たのかと呆れると共に、愉快な気分が込み上げてきた。わざわざΩの部下になりたがる輩がいるとは。自然と口角が上がった。
 
 ──お望み通り、遠慮なくしごいてやろう。

 なぜか惚けたような顔をしている3人を射撃場に追い立て、それぞれに銃を持たせる。まずはお手並み拝見といこう。
 
「そうだな……レイド。お前から撃ってみろ」

 指名すると、頷いて的の前に立つ。距離は150m。ライフル射撃の300mの半分でしかないが、こちらの銃は前世の世界に比べ性能が劣る。射撃の腕前を知るには十分だった。

 慎重に照準を合わせ、的を狙う。構え方は悪くない。引き金が引かれ、銃声が響いた。

「……2か。まずまずだな」

 的は5重丸が描かれており、外側の丸から5、4、3、2、1となっている。1は直径5cm程で、そこから3cm間隔で直径が大きくなるというものだ。これは改革の際にリューシが考案した的である。それまでは空き瓶だの欠けた皿だのを無秩序に的として使っていた。
 第1部隊と第7特別編成部隊では1の中を撃ち抜く事を目標に設定している。本当はもっと精度を高めたいが、銃の性能的にこれが限界だった。

「次、リーン」
「は、はい!」

 やはりギクシャクした動きでレイドと入れ替わりリーンが定位置に着く。構えは腰が退けており、お世辞にもいいとは言えない。腕を組んでじっと見つめる上司に緊張しているのだろう。そばかす顔が僅かに強張っていた。
 なかなか照準が合わないのか、構えたまま動かない。が、リューシは急かす事もしなければ助言する事もしない。自分が教授するようになってからは、最初の1発はどんなに下手だろうと自力で撃たせるようにしていた。焦れて初めからアドバイスしてしまうと、本来の実力が量れないからだ。下手くそは下手くそなりに上手い下手がある。それを見極めるのが大切なのだ。

 じっと待っていると、リーンはようやく引き金を引いた。レイドが撃った時と同じように銃声が響く。誰が撃っても音は同じだ。肝心の的は──

「5か……」

 リーンは顔を真っ青にして下がった。叱責されると思っているのだろうか。

「得意なものは?」

 そう尋ねると、拍子抜けしたように目をしばたかせた。弓です、と裏返った声で答える。

「お前は弓を個人指導する。銃はいい」
「え……隊長が、指導を……?」
「そうだ。何か問題でも?」

 しばたかせていた目を丸くし、その次には若者の頬が赤く色付いた。喜んでいるようだ。彼は頬を上気させたままちらとノットの方を見やり、怯えたように肩をすくめた。

 「ノット」

 お前の番だ、と言いかけて思わず口をつぐむ。ぎらついた瞳が一層ぎらつき、殺気さえ放っていた。しかもその殺気の矛先はリーンらしい。個人指導という特権に嫉妬しているのか。

「──ノット、殺気を飛ばすな。緊張感を持って訓練に臨むのは結構だが、これは小手調べだ」
「……申し訳ありません」

 そう謝りながらも、明らかにリーンを睨んでいる。まるで威嚇する犬だ。初めのうちは新入り同士でチームを作って訓練するというのに、この調子では上手く行きそうにない。顎をしゃくって位置に着くよう促せば一応大人しく従ったが、目に見えて不機嫌だ。前途多難かとため息をつきそうになった次の瞬間、リューシは彼を凝視する事になる。

 ──上手い。

 フィンネル・ノットの銃を構える姿勢は堂に入っていた。到底一朝一夕で身に付くものではない。更に先の2人より遥かに素早く照準を合わせ、正確に的を撃ち抜いた。それも、1を。

「続けて撃ってみろ」

 頷き、立て続けに3発。2発は同じように1に命中し、最後の1発は僅かに外れて2に当たった。歴代の新人の中にもリューシの目の前で初めから1を当て続けた者は1人もいない。久し振りに驚いた。

「お前は別個で銃の訓練メニューを加える。1000発撃っても今のパフォーマンスを維持出来るようにしろ」

 ノットの目が輝く。
 それが俺に対する正当な扱いだとでも言いた気だ。最初の印象通り、尊大な性格らしい。餓鬼が生意気な、と思うが同時に面白くもある。なかなかの暴れ馬が来たものだ。調教のし甲斐があって結構。これからどうしてやろうかとリューシは久々に胸を躍らせた。
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