純心パラドックス

櫻木 いづる

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夢と現

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 ★☆★☆

 目が覚めた時、世界はすでに夕方になっていた。
 自分の部屋で目を覚ました俺は、緩慢な動作でベッドから身を起こすと、茜色に彩られた室内を寝ぼけた頭のままで見回す。
「頭、いてぇ……」
 長時間の惰眠を貪っていた代償だろう。頭は霧がかかったように明瞭とせず、ズキズキと鈍痛が響いている。
 連休初日をどうやら寝て過ごしてしまっていたようだ。
(なんか、忘れてるような……なんだっけ)
「あ……!」
 ふと、あることが脳裏を過る。
 慌てて近くに置いていた鏡をひったくると自分の顔を見つめた。
「俺、だ……」
 ホッと胸を撫で下ろす。反面、言葉にできない感情がじんわりの胸の内を満たした。
「…………」
 周囲を見回す。シーツも綺麗で、寝間着も昨日のままだ。
 大きな変化はなく、ただ単に半日寝て過ごしたような光景。
「夢、か。……そうだよな」
 そうに決まっている。
 だって、そんな現実はあり得ないのだから。
 朝起きたら日景と身体が入れ替わっていて、互いの気持ちを話して、日景とそのままあんなコトをしただなんて……。
(どれだけ欲求不満なんだか……)
 恥ずかしさから俯き、ガシガシと髪を掻き乱す。日景あにの恋愛話に、どれだけ動揺していたのだろう、と自分の不甲斐なさに呆れ果てる。
「そんな関係、あるわけないのにな」
 夢物語だとしても、キツい。それこそ、大切な日景あにを辱めたようなものだ。
「ハァ……。シャワー浴びて、何か食べよ……」
 酷い空腹なのだろう。気づけば、鳩尾のあたりがグルグルと気持ちが悪い。
 ベッドから抜け出すとそのまま階下に向かう。
 一瞬、日景がいたらどうしようかと悩んだが、それもいつも通りに振る舞えば問題はないだろう。だって、俺は日景のことを嫌いでいなければならないのだから。
(はあ……サイアク、だ)
 憂鬱な気持ちを押し込みながら階下に降り、そのまま浴室へ向かう。
 夕飯は、どうしようか。昨日食べ損ねたシチューがあった筈だ。
(さっさと食べて、また部屋に籠もろう)
 そんなことを考えていた時だった。不意に浴室の扉が開いた。
 そこには、今一番逢いたくなかった人物が立っていた。
「日向?」
「うっわ……!」
 思わず反射的に身を反らす。
 考え事をしていたせいで、音も人がいる気配にもまったく気づけなかった。
「日向、起きたんだ」
 上半身裸のまま出てきた日景は、こちらの気も知らず朗らかに笑う。
 普段なら冷たくあしらえる筈のその顔が、今は辛かった。
 話しかけんな、と普段通りに振る舞おうとした刹那、
「え……」
 日景の身体に、見覚えのある徴があった。
 夢で視たのと同じ、痕がある。至る所に、日景の白い肌を蹂躙するように付けられた紅い徴。
 首筋、胸元、そしてズボンで下は分からないがきっと太股にも――。
「そ、それって……」
 愕然とする。
 信じられない。信じたくない光景が目の前に存在している。
 まるで、夢の出来事そのままが本当にあったことなのだと証明するかのように、日景は佇んでいた。

「日向」

 不意に名前を呼ばれ、ハッと日景の顔を見た。
 普段はボケボケしていて、人当たりの良さそうな笑みを浮かべている。
 俺が嫌いな、博愛的な兄はそこにはいなくて――まるで獲物を見つけた獣のように、鋭い眼差しを持っていた。

「夢だと思った?」

 まるで、夢で終わらせないと宣言するかのように。
 不意に手首を掴まれると、そのまま浴室の壁に抑え付けられ、優しく唇を奪われた。
「ン……っ!」
 頭がろくに働かない。身体にも、力が入らない。
 それを知ってか知らずか、日景は優しく咥内を蹂躙してくる。
 ジンと身体の奥が痺れ、立っていられなくなりそうだった。
「はぁ……っ、はァ、ン……」
「あ……ッ、ン、む……」
 唇の隙間から時折濡れた声が零れ落ちる。
 それはどちらのものかは分からない。けれど、拒絶できない感覚に身体を雁字搦がんじがらめにされていく。
「……っ!」
 互いの唾液が混ざり合い、クチュクチュと濡れた音をたてる。
 どれくらい重ね合っていたのか。日景が満足したのか、ようやくて唇が解放された。
「う……っ」
 痺れるような快感に眉尻下げ、ゆっくりとその場にへたり込む。
 ドキドキと胸が苦しくなる。それは強引に唇を奪われたせいなのか、好きな相手に触れられた嬉しさからなのか判らなかった。
「な、んで……?」
 いきなり口付けをしてきたのか。
 口元を抑え、紅潮隠し戸惑いから、問いかける。
 その問いかけに対し、日景はハッキリとその言葉を口にした。
「夢だなんて、思わせない」
「え……」
「ずっと、我慢してたんだ。それをまた――今まで通りにしようだなんて、絶対赦さないよ?」
 強い眼差しに射抜かれる。
 傍らの壁に手を付かれ、日景との距離がグッと近くなった。そして、
 「好きだよ。日向」
 そうストレートに言葉を紡ぐ日景あにの姿を呆然と見上げる。
 夢で視た、煽情的な顔。
 互いに好きだと、求め合った光景が一瞬思い起こされる。
 日景の肌に刻まれた痕に、そっと指で触れる。
 首筋に、胸元に、ゆっくりと現実だと確かめるように順番に触れていくと、日景は困ったように微笑んでいた。
「夢のほうが、良かった?」
「……ちが、う……」
 夢だと思った光景が、諦めていた関係が。
 望んでいた距離が、ゆっくりと色づき形作られる。
 嘘偽りではないのだと、夢物語ではないのだと。現実だと教えてくれる。
「本当に、夢じゃ……ない?」
「うん」
「日景も、憶えてるのか?」
「うん」
「もう、我慢しなくていいのか?」
「そうだよ」
 優しく肯定してくれるその言葉に、じんわりと目元が熱くなる。
 触れても拒絶されないのだと。
 自分から触れてもいいのだと。
 そう優しく肯定してくれる日景に、恐る恐る手を伸ばす。そしてそのまま存在を確かめるように首筋に腕を回し抱きついた。
(暖かい……。夢じゃ、ない)
 石鹸の良い香りがする。緊張しているのか、日景の心臓もトクトクと早鐘を打っていた。手放したくない。このまま抱きすくめてしまいたい。そんな衝動に駆られ、肩口に顔を埋めると、そのままギュッと抱きしめる腕に力を込めた。
「日向? どうしたの?」
「もう少し、このままでいさせろ」
「うん、いいよ」
 俺の我が儘を、日景は優しく受け入れてくれた。
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