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前編 Get-well bouquet give to you
一ノ瀬葵の悩み事
しおりを挟む「――――すまないが、見舞い用に花を見繕って貰えないか」
初めに掛けられたのは、そんなありふれた言葉だった。
花屋として何年も働いている身だと、そういった依頼を任されることも少なくない。だから、僕はその時も、特に気にも留めず、いつも通りに顔を上げた。
そうして見上げた先、彼の姿を見とめた、まさにその瞬間。僕は静かに息を呑んだのだ。
どことなく冷たさを孕んだ声音を発したその人は、すらりとした体躯に、糊の効いたグレーのスーツを身に付けた格好良い男性だった。後ろに撫でつけるようセットされた黒髪はすっきりとまとまっていて、万年癖毛でまとまらない髪を持つ僕としては、それがすごく羨ましいな、と思った。
けれど、そんなことよりも。何よりも僕の目を奪ったのは、二つの藤色だった。
僕を捉える彼の瞳は、元の色素が薄いのか、不思議な色彩をしていた。光の加減によって、非常に綺麗な淡い藤色に映るのだ。僕も、祖父の血が濃いせいか、日本人離れした目の色をしているけれど。それでも全然、彼の瞳には敵わないと、そう思った。
もしかすると、これが一目惚れ、というものなのかもしれない。彼がいない時は、不思議と彼のことを思い出してしまうし、彼がいる時なんて、気付けば彼の横顔を目で追ってしまう。
そうしていたら、気付けば僕は、彼と会えるほんの少しの時間を待ち焦がれるようになっていたのだった。
「………はぁ」
季節は終に師走を迎え、日毎に寒さが増していく今日この頃。まだ十二月は十日しか経っていないというのに、既に街中はクリスマス一色に彩られている。道行く人々も、数日先の自分に思いを馳せているのか少し浮かれ気味に映った。
そんな中、僕はというと……。自分の店の中で一つ、静かにため息を零していた。
「どうしたー、葵。お前がため息なんて、珍しいじゃないか」
その時、不意に手前からそんな言葉が掛かり、無意識に下がっていた頭を上げる。カウンター越しに映り込んだその人を捉え、瞬間、自分が今仕事中であった事を思い出しハッとする。
「あっ、ごめん……! お客様の前でため息だなんて、失礼だったよね……」
咄嗟ながらも謝罪を口にしながら頭を下げれば、眼前のその人は目をぱちくりと瞬かせた。
けれどすぐに、彼は『別にそれは構わないが』と続ける。
「というより、そもそも、俺とお前の仲なんだ。今更ため息一つ見かけたくらいで、そんなこと思う訳がないだろう?」
そう言ってからりと快活な笑みを浮かべた彼――旭将虎さんは、そのままカウンターに身を乗り出し、ぐしゃぐしゃと僕の頭を撫でてきた。
「うわっ! ちょっ、止めてよ将虎さん! 髪が崩れるっ……!」
咄嗟に抵抗したものの、将虎さんは、そんなものまるでものともしないかのように、がしがしと無遠慮に僕の頭を撫で続けた。
「はっはっは! 葵はいつまで経っても成長しないなぁ。そんなので、俺の動きを止められると思ってるのか?」
そうやって笑いながら、将虎さんは心行くまで僕の頭を撫で続けるものだから。おかげで、解放された頃には、僕が朝苦労してセットした髪型は台無しになってしまった。癖毛がひどいから、まとめるのも一苦労なのに……本当にひどい。
「うぅ……ひどい、ぐしゃぐしゃだよ……」
「ふははは! 良いじゃないか、似合ってるぞ!」
そんなこと微塵も思っていないだろうに、そう愉快そうに言ってのける将虎さんを、僕は静かにじとりと睨め付けてやった。
将虎さんは、僕が小学生の頃からの知り合いだ。実家がご近所さんという事もあって、昔からよくお世話になった人である。
彼の方が僕より五つ年上で、元々僕が一人っ子だったこともあって、僕は将虎さんのことを本当の兄のように慕っていた。おかげで、子供の頃から何だかんだ僕は将虎さんには頭が上がらない。
その結果、今のように未だに子ども扱いされてしまうものだから参ってしまう。
もうすぐ三十路になる手前、流石にそろそろ恥ずかしいので、この件についてはどうにか止めさせようと画策中だ。
それから暫く、僕を揶揄い倒した後。満足したのか、将虎さんは一つ息を吐き出した後、『それで?』と口を開いた。
「滅多に人前で笑顔を崩さないお前が、ため息吐くなんてよっぽどだろ。俺で良ければ話を聞くぞ?」
乱された髪を整えつつちらりと将虎さんの顔を見やると、彼は先程までのおどけた調子を抑え、少し眉を下げて僕を見つめていた。
詰まる所、将虎さんは普段と様子の違う僕が心配だったのだろう。僕が独り立ちした後も、将虎さんはこうして何かと気にかけてくれ、度々様子を見に来てくれた。
……これだから、僕はいつまでたってもこの人には敵わない。
そんな将虎さんの優しさをしかと感じて、僕は苦笑を零す。
「……正直、ちょっと格好悪いからあまり言いたくないんだけどね」
そうして僕は、外にお客さんがいないことを確認した後、最後には、胸に蟠って仕方なかった出来事を話すことにした。
***
「一ノ瀬、いつものを頼めるか」
あの日も紫葉さんは、外の冷たい空気と一緒に店へやってきて、開口一番にそう告げた。
「いらっしゃい、紫葉さん。任せて、今日は甥っ子くんの退院日なんですもんね」
その相変わらずの簡潔的な彼の言葉に、僕はくすりと笑いながら答えた。
その時、何故か少し彼の表情が陰ったような気がしたけれど、それは瞬きをしたうちに消えてしまう。
「ああ。……よろしく頼む」
気のせいだったんだろうか、そう思い直し、分かりましたと返しながら僕は、いつものように紫葉さんを奥へと案内した。
さて、今日は何を包もうか。そう、花たちを前にして一人、僕は思案を開始した。
先日紫葉さんが店に来てくれた時、甥の退院日が決まったと聞いていたから、昨日の内に候補は何種類か絞り込んではいる。それでも、やっぱり花たちだって生物だから、その時のコンディションに合わせて選びたいと僕は思っている。
特に退院なんておめでたい事なんだから、より生き生きとした花たちを選びたいよね。
そんなことを考えながら、花たちの様子を確かめるため、店内を見回す。
まずはガーベラだと、昨日から決めていた元気いっぱいに咲いている花に触れる。スラリと真っ直ぐに伸びたその立ち姿の花は、とても艶々とした花弁を開かせていた。
退院祝いだから、この子はオレンジ色のものを使おう。見た目の華やかさは勿論、花言葉も『我慢強さ』だし、退院後の花の意味として悪くない。
周りには、ふわふわの小さく可愛らしい真っ白なカスミソウを添えて、大きく艶のあるドラセナを合わせれば、緑も映えて見た目も綺麗だ。
それから、ガーベラよりビビットな色合いのナスタチウムも良い。確か今朝、綺麗に咲いていたのがあったから、それも加えて……。うん、いい感じ。
あとは男の子だし、華やかさはありつつも、あんまり豪勢にしすぎないよう上手く数を調整して。
そうやって、頭の中で完成形を想像しながら、迷うことなく彩り豊かな花たちを手に取っていく。そうすれば、気付けばあっという間に、僕の腕の中は花でいっぱいになっていった。
これくらいでいいかな、とその辺りで目処を立てて、紫葉さんの待つカウンターへと向かう。すると、紫葉さんは何処かぼんやりとした顔で、一人静かに店内を見渡していた。
もしかすると、かなりお疲れなのかもしれない。それもそうか、確か、人事の部長さんだもんな……なんて、そんなことを思う。
忙しい中、それでも甥っ子さんのお見舞いを欠かさない紫葉さんは、本当に面倒見が良い優しい人だ。……そういう所が好きだなぁ、と、彼の横顔を見つめながら、けれどすぐに、仕事に集中しないとと思考を振り切り、僕は紫葉さんにやんわりと声を掛けた。
「お待たせしました、紫葉さん。退院祝いだって話だったから、少し張り切ってしまいました。すぐに包んじゃうので、もう少しだけ待っていてください」
「ん。ああ、……いや、そこまで待ってない」
僕の言葉に、紫葉さんはそう言って首を振った。それから、何かを噛み締める様子で、静かに目を伏せた。
「だから……ゆっくり包んでくれていい」
この時僕は、どうして紫葉さんがそんな表情をするのかまったく分かっていなくて。何だか流してはいけないことを言われている気がする、そう思いはしたものの、なんて返せばいいか分からず、首を傾げてしまった。
そうこうしていたら、紫葉さんは伏せていた目を今度は僕の手元へと移した。そして、腕に抱える艶やかで色とりどりの花々を見つめ、ふわりと笑った。
「ああ、いつもの花もそうだったが、今日のは一段と鮮やかな花が並んでいるな。綺麗だ」
そう言った声からは、もう先程の様子は微塵も感じ取れなくて、そんな姿に一瞬戸惑った。
もしかしたら、何か辛いことでもあったのかもしれない。そう思いはしたけれど……一客と店員なんていう薄い関係である僕が、何かを言える筈もなくって。結局僕は、当たり障りのない返事を返す事しかできなかった。
曖昧に言葉を濁らせた後、カウンター内へと戻る。
「その、ほら、今日は紫葉さんの甥っ子くんの退院日だから。いつにも増して、特別なものを作りたいと思って……ちょっと張り切っちゃいました」
とは言っても、今までのものも手を抜いたつもりはないけれど、そう言って笑う。すると、紫葉さんんはそうだなと頷いた。
「お前の仕事ぶりは、花に知識のない俺が見ても目を引くものがあったからな。本当に感謝している。……それこそ、初めて此処に来た時から、な」
――――この店に来て……いや、お前に会えて、本当に良かったよ。
そう言って、紫葉さんは、くしゃりと眉尻を下げて笑った。
今までに見た、ともすれば冷徹に映るいつもの表情ではない、どこかあどけない柔らかな笑顔。その言葉に、その表情に。僕は、咄嗟に目線を下へと下げた。
「……っ、そ、そうですか? そう言ってもらえると嬉しいなぁ……」
瞬間、思う。今手元に作業する事があって助かったと。
なにせ、他でもない紫葉さんにそんな真っ直ぐな言葉を、しかも今までで一番柔らかい笑顔で言われたのだ。その破壊力たるや、だ。こんなの、面と向かってなんてとても耐えられそうもない。
紫葉さん、そんな顔も出来るんだ、と、そんな彼の優しい笑顔に、心臓がいつになくどっどっ、と早鐘を打つ。
頬が熱い。ああ駄目だ、このままじゃ変に思われてしまう。何とか誤魔化さないと……その一心で、口を開く。
「え、っと、その……っ! 一応、日頃からいろんな人が来やすいお店を意識してるんです! ほら、花屋って、あんまり足繁く通う場所じゃないから。だからその、実際にそうやってお客様の紫葉さんにそう言って貰えるとすごく嬉しいなぁって!」
そう、だから決して、僕に会えて良かったって言葉に過剰反応しているわけではないんです。そうやって、苦し紛れに何とか誤魔化そうと舌を回す。
どうか、この気持ちが紫葉さんにバレませんように。そう思いつつ、客と店主という立場を隠れ蓑にしてサクサクと花束を作り上げる。
そうじゃない癖に、他でもない紫葉さんの言葉だからこそ嬉しい癖に。そうやって『お客様だから』なんて理由を持ち出してしまった僕は卑怯者だ。
……おかげで僕は、この時紫葉さんがどんな顔をしていたのかなんて、全く気付いていなかった。
「それにしても、本当紫葉さんは家族思いですよね。お見舞いに行くの、もうかれこれ一週間以上になるでしょう。こうして毎回格好良い叔父さんがお見舞いに来てくれて、甥っ子くんも安心してるだろうなぁ」
花を包む手を止める事無く、出来る限り他愛ない話をと思って言葉を紡いでいると、手前でうぅん、と唸り声が上がった。
「あー、いや……そうでもないと思う。……何せ、退院日ですら教えて貰えなかったぐらいだ。きっと、もう子供じゃないから放っておいてくれ、とでも思ってたに違いない」
きっとそうだ、そう断言するように呟かれた声を聞き、僕はそこでようやく顔を上げる。
「そうかなぁ、僕はそうやって毎日誰かがお見舞いに来てくれるの、嬉しいと思いますけど……。あ、でも甥っ子くん、高二でしたっけ。その年頃の男の子なら、そう思っても不思議じゃないか」
自分なら、そう思いながら言いかけて、けれどふと思い出す。そうだ、甥っ子くんは現役高校生だった。
僕は仕事上、店の近辺の学校に花を届けに行く事もよくあるから、なんだかんだ学生たちとも触れ合う機会が多い。だから、あの年頃の子の対応が難しいということもよく分かっている。
その中でも、二、三ヶ月ほど前に向かった高校の生徒の子を思い出す。
何処か気難しそうな彼は、なるほど確かに誰かと不要に馴れ合いたくない、一人の方が気楽だ、なんて言い出しそうな子だった。……いや、というよりも言っていたな。同級生らしきグループに。
そう記憶を掘り起こしていると、紫葉さんはああと零した。
「そうだな。昔からあまり、人付き合いを積極的にするような子でもなかったが、高校に入った頃にはよりそれが顕著になった気がする」
そう言って、『まぁ俺も気持ちは分かるがな』と紫葉さんは続けた。
けれど次いで、ただ、と口を開く。
「……ただ、彼奴は根が優しいから。結局、誰かが傍にいるんだ。なんだかんだ無碍に出来ない子だからな」
そう言って、紫葉さんは笑った。先程とは違った、ひどく温かな優しい笑顔で。その瞳は、愛しいものを見るような、そんな優しい目をしていた。
その姿から、ああ、紫葉さんは本当に甥っ子くんの事大事にしているんだな、と……そう思ったと同時、不意にちくりと胸に何かが刺さった心地がした。
――――やっぱり、僕に向けられるものとは違うよなぁ。
「――――……一ノ瀬?」
ぼうっと紫葉さんの顔を見つめていると、それを不思議に思ったのか、彼から名が呼ばれハッとした。
「へ……? あ、えっと、どうかしましたか?」
「いや……お前が、少しぼんやりしていたようだったから……」
どうかしたのかと続けられた言葉に、僕が慌てて頭を横に振って何でもないですと返すと、紫葉さんは少し訝しそうにしつつも深く追求はしてこなかった。
それからは、いつものように今日何があった、とか、そういえば今日の花束はどんな花言葉なんだ、とか。そんな些細な話をして、そうしたら、気付いたらあっという間に紫葉さんが病院へ向かう時間となってしまった。
いつものように入口まで出迎えに付いて行くと、紫葉さんはまた、少し目を伏せた。
「……一ノ瀬、この一週間、任せきりですまなかったな」
「え? あ、ああ、花束の事ですか? 気にしないでください。それが僕の仕事ですから」
突然そんなことを言われ、目を瞠る。どうして急にそんなことを……そう思いながら、それなら、と僕も返す。
「僕の方こそ、仕事中のくせして、いつも気安く話してしまってすみません。……紫葉さんはお客様なのに、馴れ馴れしかったですよね」
普段から雰囲気の良い接客を心掛けるよう、積極的にお客様には話しかける様にはしているものの、紫葉さんに対しては仲良くなりたいという下心がある分、より口を動かしていた気がする。
話を聞く限り、紫葉さんはかなり仕事を大事にしている節があるから、もしかするとそういった僕の接客に何か不快感を抱かせていたかもしれない……。そう思って告げると、紫葉さんは静かに顔を上げ、首を振った。
「そんな事はない。お前の話はいつも聞いていて楽しかったし、此処で過ごす些細な時間は、何よりも心地良かった」
紫葉さんは、僕の目を真っ直ぐに捉えたままそう言葉を続けた。
そうやって僕を捉える藤があまりにも真っ直ぐで、僕には直視できなくて視線を逸らしてしまう。
『それなら良かった』。そう返した声が思わず震えてしまった気がしないでもないけど、気付いていないふりをする。
「――――…………」
彼のそんな直球の言葉と瞳に、僕がすっかりと翻弄されている時。不意に、ぽつりと紫葉さんが声を零したのだけれど、僕は心を落ち着けるのに必死でソレを聞き取ることが出来なかった。
「へ……? あ、っと、今なんて……?」
そう聞き返してみるも、紫葉さんはいや、と言葉を濁してしまい、聞くことは叶わなかった。
それからすぐ、じゃあ、と紫葉さんは言った。
「それじゃあ、今迄世話になった。……また何かあった時には、よろしく頼む」
その言葉に、僕はようやく思い至ったのだ。紫葉さんが、こうやって店に花を買いに来るのが、今日で最後だという事に。
「……あ、……」
『今日は何の花を使おうか』、そればかりを考えて、そんな重要な事に気が付かなかった僕は、この時まで、明日も明後日も紫葉さんが来るなんて馬鹿な考えを持っていた。
何か言わなきゃ、そう思うも当の紫葉さんは既に僕の返事を待たず、背中を向けてしまったものだから、もう何を言うにも遅くって。
結局僕は、離れていく背中に、『いつでも待ってます』なんて、そんな当り障りない言葉しか言うことが出来なかった。
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