上 下
9 / 13
中編 Bouquet of request give to you

甥の独白。その後、決意

しおりを挟む


「――――ところで宗一、例の花屋の奴とは上手くいったのか」
「ごっふ!」


 人気のバーガーチェーン店でバーガーを頬張る甥っ子から、急に飛んで来たその言葉は、俺を動揺させるには十分過ぎるものだった。




 俺が一ノ瀬への想いを再度自覚させられてから、土日が過ぎた。その数日で俺の気持ちが変わったかと言えば、そうでもなく。未だあの男からの呼び出しと雑用が続いていることもあって、俺の心中は泥沼と化していた。

 今日の一ノ瀬も、相も変わらず愛らしかった。何度手が出そうになったことか知れないほどに。まったく、こちらの気も知らないで、満面の笑顔を俺に向けて来ないでほしい。勘違いしてしまいそうになるだろうが。

 いっそのこと、あからさまに一線を引いたような応対をされた方が……そう思ったが、距離感のある一ノ瀬の姿を想像しただけで、心臓が止まりそうな勢いで苦しくなったから、やっぱり現状のままでいいかと思い直す。……俺は案外、臆病者なのかもしれない。

 そんなこんなで、今日も一日一ノ瀬の可愛さの暴力にどうにか耐え抜き、花は明日の朝一に旭が店に取りに行くからと一旦一ノ瀬に預け、足早に店を出たのだ。

 そうして、駅まで歩を進めていた所、丁度部活帰りだったらしい広光と会った。

 


 その後、暗い時間帯でもあるし、広光の腹も鳴るしで、仕方がないから近くのファストフードでも奢るかと、今に至ったのだが……。今までずっと黙々とバーガーを食べ進めていた甥っ子に、そんなことを聞かれるとは思わず、油断していた。


 無口が常である甥の口から、まさか恋バナ紛いの問いを掛けられるとは思っていなくて、衝撃に思わず噎せる。おかげで、飲んでいた珈琲が喉のおかしな所に入りかけ、ごほごほと何度も噎せていると、流石の広光も心配になったのか『大丈夫か』と労るような手が背に伸びてきた。

 優しく撫でてくれる甥の仕草は嬉しいものではあるが、実際問題噎せる原因を作ったのも隣の甥っ子であり、落ち着いてきたと同時に恨みがましく隣へ視線を送った。


「……いきなりなんだ」
「いや、宗一、さっきまで花屋に居たんだろう。匂いで分かる」


 それでもなお淡々と語る甥、広光に、俺は思わず頭を抱え、『……そうか』と苦しげな声を漏らす。今日は花束を持っていないから、気付かれないと思っていたが……高校生の嗅覚は侮れないものだなと思う。


「あれ以来、花屋に通う理由が宗一にはないだろうから、どうなったのか気にはなってたんだ。……でもまぁ、杞憂だったみたいだな」
「あー、いや……確かに花屋にはいたが、その……」


 お前が思っているような関係では……そう言いかけながらも、いやしかしどう言ったものかと頭を悩ませていると、広光はあからさまに呆れたと言わんばかりに『なんだ』とため息を吐いた。


「なんだ、まだなのか。案外トロいんだな」
「――――なっ……⁉︎」


 そうやって吐き出された言葉に、俺は思わず言葉を失った。

 まさか、仮にも可愛がっている甥っ子に、己を馬鹿にしているようなことを言われるとは思わず、言葉が詰まる。
 上手く言葉が出てこなくて、はくはくと口を開閉させていると、広光は呆れた目はそのままに、再度息を吐いた。


「どうせまたしょうもないことでも考えてるんだろうが……もう少しもしたら今年も終わる。なのに、そんな曖昧なままでいいんだ。……さっさと告白でも何でもすればいいのに」


 淡々と、いかにも面倒くさそうにそんな言葉を続ける広光に、俺はふつふつと何か嫌な感情が込み上げてくるのが分かった。

 しょうもない? 告白すればいい? ……人の気も知らないで、なんて無責任なことを。


「……宗一? 聞いてるのか?」


 広光が俺の名前を口にしたそれを皮切りにして、俺の感情は制御が効かなくなり、込み上げてきた衝動のまま、俺は机に拳を突き立てた。


「――――これは子供のお前が思うような、そんな単純な話じゃないんだ!」


 瞬間、己の怒声と、ガシャンッ、といった無機質な音が経つ。
 途端、ガヤガヤと賑やかだった周囲の声がしんと静まり返る。その時、俺はようやくハッとする。


「あ、……」


 咄嗟に勢いよく隣へと視線を向けると、広光は呆然とした様子で俺を見つめていた。

「……すまない」

 そう言葉を掛けるも、広光はまだ目を丸くしていて、一先ず先程からちくちくと刺さる周囲からの奇異の目に向けて、謝罪を込めてぺこりと頭を下げた。
 机を叩いたせいで倒れてしまったコーヒーカップは元に戻し、ぶちまけてしまった中身を紙ナプキンで拭う。そこで俺もようやく冷静さを取り戻してきて、再度隣に謝罪を零す。


「……突然怒鳴って悪かった」


 驚かせたな、と、机を拭う手元に目線を落としながら続けると、やっと隣から小さい声が返ってきた。


「…………いや、今のは流石に無神経過ぎた。……悪い」


 珍しく肩を落とし、広光は目線を下げたまま自分に非があると言って謝ってきた。その姿が、幼い頃、俺が広光を叱った時の姿と重なって申し訳なさが胸を占めてきて、傍の栗毛色の髪をくしゃりと撫ぜる。いつもなら抵抗する広光も、今は俺の手を払いのけることはしなかった。

 いくら図星を突かれたからとはいえ、こんな子供に対し、大人気ない。そう心の内で反省しながら、俺は静かに口を開く。


「…………こんなこと聞かされても、お前は困惑するだろうが……聞いてくれるか? 広光」


 広光の頭から手を離し、前へと向き直る。


「俺は仕事一辺倒の、面白みのない男だ。なんならそれは、学生時代の頃から変わらない。……恥ずかしい話、俺は昔から、恋だの愛だのに現を抜かす連中の気が知れなかったんだ」


 だから、生まれてこの方自分は、恋愛というものをしたことがなかった。そんなことを告白する。

 叔父から、突然こんな話を聞かされてきっと困惑しているだろう広光は、けれど静かに話を聞いてくれている。俺に続きを促す視線を向ける甥っ子に、俺は促されるまま続けた。


「そんな俺だから、この感情を抱いた時にはひどく困惑した。相手の一挙手一投足に翻弄されて、上手く考えが纏まらないんだ。恋は人を馬鹿にするとはよく言ったものだな。確かにその通りだった」


 しかもな、と、俺は付け足すように告げる。


「そんな好意を抱いた相手が、異性ならまだしも、同性でな。その時点で恋愛初心者にはかなりハードルが高くて、まぁ戸惑ったんだ」


 そう告げたその瞬間、広光の目が驚いたように丸く見開かれた。それもそうだろうと思いながら、それでも俺は話を続ける。


「……悪い。身内の恋愛事情なんて聞きたくはないだろうから、黙ってはいたが……。そいつは、俺と歳も同じで、花屋の店主をしている男なんだ。お前も知っての通り、俺はお前の見舞いに行っていた一週間、毎日彼奴の店に通っていた。……まあその、ここ最近もある事情で通ってはいるんだが。……皮肉な事に、そのおかげで、彼奴が俺の事を単なる客としか思っていないことに気付いてな」


 今までの一ノ瀬とのやり取りを思い出しながら、そう零す。


「……だから――――」


 そこまで俺が言うと、無言を貫いていた広光が急に、『は?』と零した。その声に振り向くと、広光はどういうわけか眉間に皺を寄せ、鋭い目付きで俺を睨んでいた。


「……広光? どう――」
「だから、何だ。……だから諦めるとでも言うつもりかよ」


 どうしたのかと、そう問い掛けようとしたその声に被せるよう、広光はそう吐き捨てた。その言葉からは、どういうわけか苛立ちが滲み出ていて、その理由が分からずますます首を傾げてしまう。

 すると広光は、今度はハァァ、と深く息を吐き出した。


「宗一、アンタ、やっぱり馬鹿だよな」
「っ、な……っ⁉︎」


 突然の鋭い目付きに虚を突かれたものの、またそんな言葉を告げられて自身の目付きも鋭くなる。が、次いで続けられる言葉に、俺は二の句が継げられなかった。


「それで? 聞くけど……実際、それで宗一は諦められたのかよ?」


 その言葉に、思わず息を呑んだ。俺がずっと悩んでいたものをまるで見透かされたようで、咄嗟に声が詰まる。

 そんな俺の姿に、肯定だと判断したのだろう。そのまま広光は、やっぱりなと言いたげな目で、畳みかける様に続けた。


「それこそ、そんな単純な理由で諦められる訳ないだろ。男だろうが女だろうが、誰かを好きになるのに理屈なんてない。……理屈で、好きになったわけじゃない。宗一だって、分かってるんだろう」


 正面から見つめてくるその目は、何処までも真っ直ぐで。若さ故なのか、今の俺には、その姿はひどく眩しく映った。

 ああ、分かっている。彼奴を、一ノ瀬を諦める事など、もう俺には到底できないことは。十以上も年下の甥っ子に言われずとも、分かってはいるんだ。


 ――――……それでも。


「……俺が、どれだけ焦がれようと……彼奴にとっての俺は、ただの一人の客に過ぎない。だから俺は、彼奴を困らせるくらいなら、無理にこの想いを伝えようとは思わない。……できるなら、友人でも良いから、あの男の傍にいたいんだ」


 高校生に何を言っているんだと思わないでもなかったが、正直な話、これ以上一人で抱え込むことに耐えられそうになくて。もう誰でもいいから、この胸の奥に燻る想いを聞いて欲しかった。

 その一心で俺がそうぶちまけると、今迄俺を真っ直ぐに見つめてきていた広光が、不意に顔を逸らした。その時、『……やっぱり、血が繋がってると似るものなんだろうな』なんて零した広光の言葉に、俺は目を瞬かせる。


「似る……? どういうことだ?」


 一体何の話をしているのかと、そう首を傾げていると、広光は目は逸らしたまま、いやと続けた。


「……正直な話さ、俺、宗一のその気持ち、痛い程分かるよ」
「……なに?」


 きっと切って捨てられるだろうと思って身構えていたというのに、存外柔らかな声でそんなことを告げられ、今度は俺が目を丸くする番だった。

 どういう意味だと言わんばかりの俺の言葉に、広光は至って冷静な表情のまま話した。


「二年くらい前の話だよ。……俺も、宗一とおんなじこと考えたことがある」


 彼奴が俺の事を、ただの友達だとしか思っていないのなら……。そう零す広光に、俺は益々目を丸くする。


「正直、俺もそれでもいいって、そう思っていた時があった。それでずっと隣にいられるのなら、俺の感情なんていくらでも無視できるって……似たもの同士だな、俺ら」
「広光……」


 突然の広光からの告白に、俺は驚きを隠しきれなかった。


「お前……好きな奴いたのか」


 そんな言葉を零したその瞬間、今迄に見た事もない程鋭い目付きで睨まれる。茶化すつもりならもう話さないといった圧を広光から感じ、俺はすぐに押し黙った。

 そんな俺に納得したのか、広光は一度だけ息を吐いた後、また前へと向き直り話を続けた。


「初めは、本当にそれで十分だった。他の奴らも一緒に皆でバカやって、部活の帰りに寄り道したり、遊びに行ったり。二人きりじゃなくても、一緒に居られるのならそれでよかったんだ」


 でも、と、広光はそこまで言うと、俺へと視線を向け、言った。


 「ある日の放課後、彼奴が告白されているのを見かけた」


 その瞬間、俺の感情は一気に弾け飛んだと、広光は淡々と告げた。その言葉に、俺は、一ノ瀬が誰か見知らぬ奴に告白される姿を想像してしまった。

 瞬間、ぞくりと背筋が凍る。一ノ瀬が、俺の見知らぬ誰かに、あの花が咲き誇らんばかりの笑顔を向ける姿を。そんな未来を想像して、ぐつぐつと腑が煮え繰り返るような衝動に駆られる。

 そんな俺の胸中を察したのか、広光は添えるようにああ、と続けた。


「言っておくと、ソイツはその告白に関しては断っていたぞ」
「あ、……そ、そうか」


 その言葉に、何故か俺はほっと安堵の息を漏らす。――――が、すぐに気付く。


「……『関しては』?」


 不穏な言葉が続いたことに気付き、それを指摘する。すると、広光は一度だけ目を伏せた後、俺の目を捉え、静かに口を開いた。

 
『他に好きな奴がいる』

 
「……告白を断った時、彼奴は確かにそう言った。……そんなこと聞いたもんだから、おかげでその日以降、まともにそいつの顔は見れなかった」


 淡々と当時を語る広光の言葉に、俺はただただゾッとした。

 広光の立場を、もし自分で例えたとするならば。それはつまり、一ノ瀬の口から、好きな奴がいるのだと言われるという事に他ならない。

 瞬間、どっ、と心臓が強く脈打つ。ああ、つまりはそういう事なのだ。広光は自分の経験則から、俺に同じような事が起こっても知らないぞ、と警告してくれているのだろう。諦められない癖に、それでも傍に居続けるのなら……その未来を、覚悟しなければいけないと。

 そんな俺を見兼ねてか、広光は続けた。


「宗一、アンタの気持ちを、俺は理解できる。けど、どうしても諦められないんなら、別に言ったっていいんじゃないか? 告白しようがしなかろうが、辛い思いをするのは目に見えている。……それなら、俺は言う事を勧めるよ」


 ――――だって、後悔した所で、過去は変えられないから。


 そう告げられた広光の言葉に、俺は自分の馬鹿さ加減に嫌気がさした。

 何が傍にいられるだけでいい、だろうか。上辺だけ綺麗に取り繕ったって、それで満足できる筈がない事など、この数日で嫌というほど理解しただろうに。

 会う度に膨れ上がる感情に、嘘など突き通せる筈がない。それを、まだ学生の甥っ子から諭される日が来るとは。

 まったく、子供とはいえ侮ってはいられないなと、俺は大きく息を吐き出し、広光へと向き直る。どこまでも真っ直ぐな彼の双眸を前に、俺は『参った』と零した。

 
「――――お前の言う通りだ、広光。……ありがとう、おかげで決心がついた」


 そんな俺の言葉に、目の前の瞳が大きく丸くなり、ぱちくりと瞬いた。そのあどけなさに、普段の広光の姿が垣間見えて思わずふ、と笑みを零す。

 ここまで言われて、嘘を吐き続けるのは格好悪いよな。


「そうだな……俺はきっと、これからも友人として彼奴の傍にいられたとしても、いつか彼奴が俺じゃない誰かを好きになったとしたら、耐えられないだろう」


 続けて俺がそう言うと、広光は暫く瞳を大きく瞬かせていたが。最後には小さくそうか、と返してくれた。

 もうすぐ新しい年が来る。ならばその前に、この想いを告げてしまおう。
 ……迷惑がられるだろうか。もう、いつでも来ていいとは言ってくれなくなるだろうか。
 そう思うものの、それでも、もう隠し通す事は無理だと、この際玉砕したっていいと、そう思う。


 ただこの気持ちを、一ノ瀬に知って欲しい。そう、思った。


 広光と話したことで、あんなに蟠っていた想いが解けて軽くなった気がした。まさか甥っ子に恋愛相談に乗ってもらうとは……人生何が起こるか分からないものだな、と思いつつ広光へと視線を向けると、当の本人は最早自分の用は終わったとばかりに無言でドリンクを飲んでいた。素っ気ないその姿に、またくすりと笑みが零れる。

 その時、そういえばと今更なことを思う。


「そういえば広光。お前、身内が同性を好きになったと知って、何も感じなかったのか?」


 あまりにも反応がなさ過ぎて忘れかけていたが、思えば俺は先ほど、同じ男を好きになったのだと宣言したのだ。それは、身内で年頃の少年からすれば気持ちが悪いと思うものではないだろうか。

 そんな今更な事に気付き、問い掛けたのだが……。広光は、何故か無言でドリンクを飲み続けている。


「……広光?」


 痺れを切らせて、もう一度名前を口にする。すると、甥っ子はストローから口を離した途端、徐に立ち上がった。

 驚いて見上げると、広光は珍しく、俺を見下ろしながらどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「一つ言い忘れてたけど、俺、実は今、そのトモダチとは付き合ってるんだよ」
「――――は?」
「それに、俺は何も相手が女だとは言ってないし。……ああ、因みに俺の恋人は、宗一もよく知っている奴だから」
「は⁉︎」


 つらつらと明かされる新事実に、俺は思わず声が漏れ出る。だというのに、広光はまるでネタバラシでもしているみたいに楽しげで、俺を置き去りにしたまま、鞄を背負い直し、言った。


「じゃあな、叔父さん。健闘を祈ってやるよ」


 ごちそうさま、と、最後にそう添えて手を振る甥っ子の姿に、俺はといえば言葉を失っていた。

 普段は何度言っても名前を呼び捨てするくせに、なんでこう言う時だけ叔父さん呼びなんだ……。なんてことを思いかけ、いやいや違うだろう、と首を振る。


「……はぁぁぁぁ」


 自分を落ち着かせるよう、深く長い息を吐き出す。

 正直、うまいこと高校生にしてやられた気がしなくもなく、情けなくなったが。それでも、背中を押してくれたことは事実で、苦笑を漏らす。

 まったく。広光の奴、次に会った時は色々問い質してやるからな。

 そう心に決め、静かに立ち上がる。


 さて、こうなったらどんな風に、彼奴へこの想いを告げようか。そんなことを考えながら、俺も店を後にした。



*      *      *


◇中編中花言葉◇
 ・トルコキキョウ『優美(桃)、永遠の愛(白)』
 ・カーネーション(橙)『純粋な愛、清らかな慕情』
 ・ブルースター『幸福な愛』
 ・薔薇『愛情の薄らぎ(黄)、貴方を愛してます(赤)』
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

五月雨乱の執筆日記はかく語りき

エッセイ・ノンフィクション / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

出戻り聖女はもう泣かない

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:111

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

BL / 連載中 24h.ポイント:42pt お気に入り:257

処理中です...