泡沫

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29.始まり

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ーー雷鳴が轟き
 
稲妻が、走った。
 
 
「ッ、な、なんだ!?」
 
空は突如暗くなり、激しい雨が降り出す。
みるみる海は荒れ、次々と転覆していく船……。
 
「生まれたばかりの子どもがいるのに……こんなとこで!」
「もう、いやだ! 家族に会いたい!」
「彼女を残して、死にたくない……!」
 
海に投げ出された人間たちが、悲痛な叫びを口々に訴える。
それらは、どれも家族や恋人への想いばかり。
 
若い人魚たちは、顔を見合わせて神妙な表情を浮かべていた。
 
彼らは、人間を憎んでいる。
十年前、多くの仲間を殺されたからだ。
しかし……。
 
「……死にたくないのなら、暴れるでない!」
 
ルーナの声が聞こえ、そちらを見てみると。
彼女は人間を抱きかかえ、アメリアの
いる孤島の浜へと向かっていた。
 
人間を、救出しているのだ。
 
『わしは、人間との争いを望んでおらん』
 
そう話していた、ルーナ。
あの話は、本心だったのだろう。
 
そんなルーナの姿を見て、
 
「……また、恨まれたくないだけだ」
「恩を売っといた方が、いいかも」
 
ポツリポツリと何らかの言い訳を口にしながら、人魚たちが次々と溺れる人間を救いに向かい出す。
 
「……大丈夫か、ディアナ」
 
レオナルドを連れ、ようやく浜へとたどり着いたディアナは、肩で息をしながら頷く。
ひどく、力を消耗してしまった。
 
フラリと倒れそうになると、レオナルドがその体を抱きとめた。
 
 
***
 
 
「A班……全員無事です」
「うちもだ……」
「怪我人はいるが……こっちも無事だ」
「嘘だろ……もしかして、全員無事なのか?」
 
確認し合う人間たちの声。
そして、歓声のようなものが、聞こえてきた。
 
「……ありがとう」
 
レオナルドはポツリと、ディアナに礼を口にする。
ディアナはぼんやりとしながら、その胸の中から空を見つめていた。
レオナルドもつられて、空を見上げてみると……何事もなかったかのように、雲ひとつない青空が広がっていて。
 
海は静けさを、取り戻していた。
悪い夢でも見ていたのだろうか、と思わずにはいられない。
 
そんな時だった。
遠くから、何かの音が聞こえてきたのは。
 
「あれは……グレンか?」
 
レオナルドが目をこらしながら、音のする沖を見ながらつぶやく。
すると、
 
「……ヴィク!! ヴィクトルは無事なの!?」
 
船から身を乗り出し、ヴィクトルの姿を探すソフィアが見えた。
 
「なんでソフィアがここに……」
 
あと少しでも来るのが早かったら、先ほどの嵐に巻き込まれていた。
いや、今はそれよりも。
 
「ヴィクトルは……無事なのか?」
 
 
***
 
 
『……私は、レオナルドを愛してるの』
 
肩まである、長い黒髪。
気の強そうな、凛とした顔立ち。
懐かしい女性……ベスの夢を、見た。
 
『ヴィクトルは、誰か好きな人はいないの?』
 
分かっていた。
彼女は、レオナルドの婚約者。
兄を愛していること。
 
だから、何も望まなかった。
……いや、違う。
彼女の幸せだけを、望んでいた。
 
『別に……そういうのは、よく分からないから』
『じゃあ、ソフィアなんてどう? あの子みたいに、おしとやかで可愛い女の子、すごくお似合いだと思うな』
『ソフィー? ……考えたこともない』
 
そう答えると、ベスは苦笑いをしていた。
 
『あなたも、幸せにならなきゃダメよ。私みたいに、愛する人と……』
 
そこで、プツリと夢は途切れてしまった。
……次の瞬間。
 
『……ベス……なんで……こんなことに……』
 
息をしていない、冷たくなったベスが、腕の中にいて。
 
『本当に……あまりに突然の嵐で……』
『自然界では、あり得ない……』
『あんなことが出来るのは、人魚の仕業に違いない……』
 
何かのせいに、したかった。
何かを憎まなければ、おかしくなりそうだった。
 
実際、あり得ない突然の嵐は、人魚の仕業に他ならない。
 
『ベスが、彼女が何をした……?』
 
彼女の幸せを望んでいただけだったのに。
ヴィクトルは三年前のこの日、人魚への強い憎しみを抱くようになった。
 
……そんな中、
 
『ヴィク、一緒に……お茶しない?』
 
優しく微笑むソフィアに、心の傷が癒されていくのを感じた。
彼女の笑みをみるだけで、不思議と温かい気持ちになれるのだ。
  
だからといって、人魚への憎しみが消えることはなかった。
いつしかソフィアへの淡い気持ちが芽生え、自覚するようになっても。
むしろ……。
 
 
「……しっかりして、ヴィク!!」
 
ソフィアの叫びに近い声に、ヴィクトルはようやくハッと目を覚ます。
すると、涙で顔をぐちょぐちょにしたソフィアが、自分を見下ろしていたのだ。
 
「……ソフィー?」
 
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
ぼんやりするヴィクトルにソフィアは抱きつくと、声をあげて、泣き出した。
 
「……よ、良かった……あなたが、無事で!!」
 
抱きしめられながら、周りの様子を見てみると。
 
泣いている者や、呆然としてる者。
……人魚と、話をしている者が目に映って。
 
「そうだ……人魚を、殺さなければ、」
 
ようやく今の状況を理解し、ソフィアの体を押しのけてフラリと立ち上がる。
そして、一番近くにいた人魚……アメリアに向かって歩き出した。
懐から、ナイフを取り出して。
 
「……もうやめて!!」
 
アメリアを守るため、サムが声を発そうと口を開くと。
ソフィアが、ヴィクトルの背中に強く抱きつく。
 
ヴィクトルを止めるため、ナイフの刃を握りしめ、その手からは赤い血がポタポタと滴り落ちる。
  
「ッ、放せソフィー!」
「いやよ! もう復讐なんてやめて! 誰も、もう誰も復讐なんて望んでないのよ!?
それに、それにディアナは私の友達なの! 人魚とか関係ない! 大事な友達だって気づいたの! だから……お願い、もう誰も傷つけないで……」
 
ソフィアの言葉にハッとして、辺りを見回してみる。
 
「………」
 
誰もが、見るからに戦意を失っていた。
 
人魚に救われたからなのか、もともと復讐する気持ちがさほど強くなかったのか。
しかしそんなこと、ヴィクトルには関係がないのだ。
 
「……なぜだ? なぜ、お前たちはベスを殺した??」
 
震えた声で、目の前のアメリアへと問いかける。
こんなことを聞いたところで、ベスは帰ってはこない。
何も変わりはしない。
 
しかし、どうしても、ベスがなぜ死ななければならなかったのか……知りたかったのだ。
 
「彼女は、三年前……突然の嵐で死んだ。さっきのような、嵐でな」
「……三年前?」
 
ヴィクトルの話に反応したのは、サム。
そして……アメリアの元へとやってきた、ディアナだ。
 
「彼女は、お前らに何もしていない。なのに、なぜ殺した!!
今ここで絶滅させなければ、また、お前らはオレの大事な人を殺すんだろう!! だからオレは、」
 
無意識だった。
ヴィクトルはギュッと、震える手でソフィアの手を握りしめていた。
 
「ヴィク……?」
「オレはもう……二度と、あんな思いをしたくない……」
  
ーーザザン……
ザザン……
 
静寂の中、波の音だけが聞こえていた。
 
「……そう、その女は何もしていないんだろう」
 
沈黙を破ったのは、サム。
その表情は、憎しみというよりも、怒りを堪えているようにも見える。
 
「だが、お前はどうなんだ。何もしてないとでも言うのか」
 
ヴィクトルは一瞬、サムが何を言っているのか理解できなかった。
しかし、よくその顔を見てみると、見覚えがある気がする。
 
「確か、お前は……」
「あぁ、そうだ! オレは三年前、ラキとともに拷問され、お前に海へと捨てられた人魚だ!! ……忘れたとは言わせない!」
「…………」
 
青ざめ、体を震わせるディアナが目に映った。
 
「お前が殺したラキは、姫様の……ディアナ様の、恋人だった!」
 
その事実を聞いて……ヴィクトルはようやく、あることに、気がついたのだ。
 
三年前……。
ベスが嵐による海難事故で亡くなった、あの日は。
拷問し殺した人魚を、見せしめのために海へと捨てた日だったことを。
 
「あの嵐は……恋人を殺され泣き叫ぶディアナ様の力が、暴走したもの。
なぜ殺した、だって? 殺したのは、お前だろう!!」
 
サムの話を聞き終えるなり、ヴィクトルは力なく、その場に膝をつく。
そして、
 
「あぁぁーーーッ………!!!」
 
悲痛な声で、泣き叫んだ。
 
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