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修羅編 二章:修羅の鍛錬
失恋の決意
しおりを挟む巴に過去の出来事を話したケイルは、自身が認識していた物事が錯誤した結果の誤りであることに気付く。
数多の情報を聞き影響された倒錯とは言え、早い段階でその答えに辿り着けたであろうことを悔やむケイルは、夜空の見える屋敷の縁側で腰を降ろしながら月の光で照らされる庭の景色を眺めていた。
「……はぁ……」
ケイルは溜息を漏らし、呆然とした瞳を下に向ける。
そして縁側の廊下に小さな足音が伝わり、ケイルはそちらに視線を泳がせた。
「……師匠?」
「……」
歩み寄って来たのは、左手に大きめの酒瓶を持ち、右手には盃を二つ持った師匠の武玄。
そして特に何も言わずにケイルの隣に腰を降ろした後、庭の方に身体を向けながら酒瓶と盃を互いの間に置いた。
そして酒瓶を傾け、二つの盃に緩やかに清酒を注ぐ。
それを見ていたケイルに、武玄は呟くように話し掛けた。
「――……話は、巴から聞いておる」
「!」
「謀に用いられたことを、悔いておるのか?」
「……はい」
「そうか」
酒を注ぎ終えた武玄はそう短く呟き、酒瓶を置いて一つの盃を左手で摘まみ持つ。
そしてケイルに向けて顎を動かして促し、残る盃を取るように伝えた。
その応じとして、ケイルは盃を右手に持つ。
そして互いに盃を持った後に、武玄がこんな言葉を述べた。
「……お前とは、こうして話すことも少なかったな」
「え?」
「お前が儂の弟子となってからの七年間、鍛錬ばかりをさせていた。……親父殿のように、こうして酒を傾け話す場など無かったであろう」
「……あの時は、まだ子供だったので」
「儂は十五の歳に元服を迎え、酒を飲んだ。……あと一年、お前が長く留まっておれば。元服の歳に酒を飲み交わす事も出来たのだろうな」
「……すいません」
「お前が決めたことだ。それを誤りであったと思うのであれば、お前自身が悔やむだけでよい」
「……そうですか」
厳しくも優しい言葉を向ける武玄に、ケイルは苦笑を浮かべる。
そして互いに盃を少し持ち上げ、軽く揺らして酒を口に運んだ。
そして一杯を飲んだ後、酒を喉に通した武玄が夜の庭を眺めながら尋ねるように聞く。
「……惚れた男が出来たと言っておったな?」
「ブッ!!」
「なんだ? 吹き出しおって」
「……い、いや。師匠から、そういう話が出ると思わなくて……」
「儂等が娘のように育てた弟子が惚れた相手なのだ。どんな男か知っておきたいと思うのが、親の心だろう」
「……」
「それで、どんな男だ? お前より強いか?」
「……強いですよ。……でも、アタシが思ってたよりは、弱かったのかもしれない」
「む?」
「……初めてアイツと会った時には、『なんだコイツは』って思ったんです。アタシのことを無視するし、話は全然聞いてくれないし。……でも知っていく内に、アイツがアタシの目標としたモノに似てるんだと思いました」
「目標?」
「誰にも媚びず、誰も寄せ付けない強さ。そして何にも揺るがぬ心を持つ。アタシはそんなアイツを見て、憧れたんです。……そして理想としたアイツに一歩でも近付く為に、アタシも自分の在り方を改めようとしていました」
「していた、か」
「そんな矢先に、アイツは国から追われ、アタシ達と離れ離れになった。……そして次に再会した時には、アイツは違う女と出会い、惚れ込んじまってた」
「……」
「それからアイツは、その女の言うことには素直に従って、ずっと付き添って、その女に何か起こると毎回感情を吐き出すみたいに心を揺るがしていた。……アタシは、アイツを変えちまったあの女をどんどん嫌いになりました」
ケイルは愚痴のように今まで溜め込んでいた感情を吐露させ、酒瓶を掴み盃に注ぐ。
そして満ちた盃の酒を一気に飲み干し、溜め息を大きく吐き出した後に、今までの出来事を交えた愚痴を続けた。
「……で、死んで生き返ったアイツを抱えて守って、あの化け物だらけの状況で、精一杯やったんですよ……! でも、エリクの奴はそんなの覚えてねぇし、オマケに『アリアがいなきゃ生きててもしょうがない』みたいな事を言いやがって! だったらアタシがって勇気出して言ったら、『ありがとう、すまない』ってなんだよ! あんな顔しながら断りやがってよぉ……!!」
「……悪酔いになってしもうた」
「ちょっと、聞いてます? 師匠ぉ!?」
「う、うむ」
「あれですか? 男ってのは『守ってあげたい』みたいな女の方が良いんっすか? そりゃあ、アタシはそこそこ身体がデカイし、御嬢様みたいな贅肉も無い筋肉ばっかりだし、そこら辺の男共なんか素手で一捻り出来るから、守ってもらう必要も無いですがね! でもさぁ、アタシだって好きな男に守られたいって思っちゃうんですよぉ!」
「……その気持ち、とても分かりますよ」
「と、巴っ!? いつの間に……」
愚痴を唸らせるケイルと、話の発端を自覚している為に渋々と聞く武玄の背後に、いつの間にか巴が寝間着姿のまま座っていた。
その気配を読めずに驚く武玄を半目で見つめる巴は、ケイルの愚痴に便乗するように口を開く。
「強き男というのは、その強さに慢心し、自分より弱き者を守らねばと考える。それは咎めることではありません。しかし自分よりも秀でた女人に対しては、そうする必要は無く気に掛けずとも問題は無いと考えてしまう。そして粗雑な扱い方となっていく。女はそうした男の態度に、酷く傷付きます」
「……巴、誰の話をしとるのだ?」
「私を除け者にして、月夜に弟子と酒を飲み交わしながら楽しそうな話をしている方のことです」
「いや、俺は親父殿に倣ってだな……」
「では、もう一つ盃を用意して頂けますよね? それに、この瓶の量も少ないようです」
「……分かった分かった。ちと待っておれ……」
武玄は巴の言葉に反論せず、自ら立ち上がり新たな盃と酒瓶を取りに行く。
それを見送る巴は腰を上げ、酔ったケイルの傍に寄り添うように近付いた。
「軽流」
「と、巴さん……」
「別に怒る気は無い。……ただ一つ、同じ女として助言をしようと思ってな」
「助言……?」
「その男のことなど、忘れてしまってもいいのだぞ」
「!」
「拘り続けることで、お前が辛くなるのなら。いっそのこと、忘れてしまえば楽になれる。後のことは他の者達に任せて、お前はお前のことだけを考えればいい」
「……」
「思いを向ける者の為に力を得たとしても、それで何も報われないのなら。何もしないという選択肢も、お前にはあるはずだ」
巴はそう述べながら、酔ったケイルを諭す。
それを聞き暫しの沈黙を浮かべながら夜空を見上げていたケイルは、呟くように言葉を返した。
「……アタシだって、自分が馬鹿だって思いますよ。……振《ふ》られた男と嫌いな女しか得しないのに、面倒臭そうな七大聖人になったり、【悪魔】を倒すのに命を張って、手を貸す為に更に力を得ようなんて……」
「……」
「でも、アタシか憧れた……惚れた男が、いつまでも情けない姿してたり、死んじまいそうなくらい泣いてる顔してるのは、どうしても嫌なんだ……」
「……軽流……」
「だから、これが終わったら……。……それで、吹っ切ろうって。……アイツ等とは別れて、アタシは自分の居場所を見つけようって……。……その為に……」
「……」
「……すぅ……すぅ……」
ケイルの口調は徐々に緩やかになり、最後には項垂れるように顔を伏せる。
そして静かに背中が後ろへ傾くと、それを受け止めるように巴が手を添えて止めた。
緩やかに傾く身体を支えながら巴は腰を浮かせて下がり、膝にケイルの顔を乗せる。
巴に膝枕をされた状態で顔に酒気を帯びたケイルは、涙を浮かべながら眠っていた
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