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第五章

埋葬式1

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「そろそろだな」

 日の落ちかけた夕暮れ時の空を見あげ、ディアナがぽつりと言った。
 ここはトルナバにある町役場に併設された野外広場。普段は演奏会や芝居の舞台となり、様々な行事が催される場所である。規模の大きな埋葬式もしばしば行われる。

「各々、自分の持ち場についてくれ」

 アドルフの指示で仲間たちが動きだす。フリーデとディアナは、参列者としてもぐりこむべく舞台からはけ、喪主であるノインはその場に留まる。

 司祭であるリッドは教会の説教師として準備を進め、肝心のアドルフだが、彼はみずから葬儀委員長という役職をでっちあげ、喪主であるノインの隣に立った。ついに解放を得た彼に、行く手を阻む者はない。彼はこのセレモニーの指揮者となり、儀式を手伝う町役場の人間さえ手足のように扱った。

 そして予定した定刻が近づくと、不思議なことに参列者が次々と集まりだし、野外広場の座席を埋めていった。

 参列者と言っても、彼らは町の住民であるヒト族だ。そんな人々がなぜ亜人族の埋葬式に集まって来たのか、事情を知らなければ疑問に思ったはずだ。けれど与えられた役割を積極的に引き受けたフリーデ、ディアナの二名はアドルフの策謀を十分に理解しており、儀式の進行に即してヒト族を焚き付けるための準備をして心を落ち着かせた。

 夕闇が迫ると、広場の周囲に置かれた照明がオレンジ色に光り、魔法石のマナを吸っておぼろな現象を作りだす。
 同じ灯りが町にもともっている。それらはいわゆる街灯。電気を生じる魔法を固定し、魔法石を燃料に輝き続ける〈魔導と科学の融合コヴィエタ〉のひとつだ。広場を照らす灯りたちは、まるで死者の時間に浮かぶ魂のようで、舞台に立ったアドルフに壮大なニュルンベルク・ナチス党大会を想起させた。あのときも会場は屋外で照明は篝火だった。

 ただし参列者の数は限られているため、あえて比較するならまだ無名だった頃に活躍したミュンヘンのビアホールのほうが近いだろうか。定員一〇〇名ほどの店にその何倍もの男女がすし詰めとなった熱気、喧噪、怒号、喝采。目を閉じるとナチス党発足当時の様子が彷彿と彼の胸に湧いてくる。

 そこはいわば、アドルフの政治家としての原点。当時の光景を思い起こさせるこの広場以上に、いまの自分にうってつけの場所はないだろう。そう判じながら、葬儀委員長である彼は舞台に設置された壇上にのぼっていく。

 またそうしている間にもリッドは、聖書を片手にローブをまとわせ、モデツヴィという祈祷文を粛々と唱えている。

 ――《主》よ、わが声を聴きいれたまえ。願わくば、わが願いの声に御耳を傾けたまえ。

 彼女が祈っているのは、死者の魂が天国へ向かい、《主》に天国に入ることを許され、永遠の命を得るまでの流れを唱えた一連の手続きである。

 そこには死が人間にとって完全な終わりではなく、死後は天国へ行き、やがて永遠の命と復活を得るという宗教観、死はあくまで通過点に過ぎないという死生観がこめられている。

 こうした埋葬式の執り行いは、続々と広場に集まってきたヒト族にとって馴染み深いものに感じられたことだろう。しかしそうであればこそ、本来敬虔さから遠い亜人族が葬儀の主である点は、むしろ非常に違和感のあるものとして彼らに受けとめられるはずであった。

 もちろんアドルフにとってヒト族の気持ちは想定の範囲内だ。よって彼は、葬儀委員長として埋葬式の司会進行役を務めながら、マクロの故人紹介を披露する。彼女が死を迎えるには若い亜人族であったこと。出自がオークであること。若かりし頃はニミッツ家という富豪の家に雇われ、すぐれた従者として人々に慕われながら過ごしたこと。そして何より、惨めな収容所生活を強いられた半生を哀愁のこもった口調で語り起こしていく。

 やがてそれらが区切りを迎えると、アドルフは一旦席を外し、冒険者協会の代表者としてガンテを登壇させた。

「急に頼まれたって弔辞は読めないぜ。さくっと献花だけやらせて貰うわ」

 壇上ですれ違いざま、苦笑を浮かべたガンテ。彼は台の上に置かれた棺へと歩いていき、両手に抱えた花の束を厳かな所作で献じる。

 ***

 アドルフはこの埋葬式に、使えるものは全部注ぎ込んだ。
 献花役にガンテを起用し、ヒト族を煽る役をフリーデたちに任せた。

 そして、喪主であるノインには弔辞も読ませず、遺族代表としての挨拶もやらせないことを選んだ。
 無言の悲哀。アドルフが彼女に託した役割は、ヒト族たちに感情の拠り所を与えること。オレンジの光に彩られた幻想的な空間を満たすのはリッドの念じる祈祷の声だけで十分だ。

 ――《主》よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らしたまえ。

 ガンテを埋葬式に巻き込んだのは、ヒト族である彼を関係させることで、この儀式が元々亜人族のみを相手にした儀式でないとアピールするためだ。死者が亜人族であること以外、あらゆる舞台装置がヒト族という多数派人種にむけられている。

 ――《主》よ、我、深き淵より《主》に叫び奉れり。

 アドルフの描いた筋書きどおりに、リッドは《主》の許しと永遠の命を願って、伴奏もなくただひたすらに歌い続ける。そのか細くも清らかなる声は、死者を悼み、復活を祈願する鎮魂歌となるであろう。

「ヒトラー君は目立ちたがり屋だったんだな」

 献花を終えたガンテとの短いやりとり。その後彼は、参列のなかにくわわる予定だ。

 なお壇上に控えたのはアドルフやリッドだけではない。トルナバの町長、助役といったお歴々がいつの間にか椅子を揃え、ノインと一緒に並んでいる。ちなみに町長は、アドルフが少年時代に対峙したヤーヒムの父親ではない。収容所にいる間に代替わりしたようだ。

 ――ふむ、うまく進行しておるではないか。

 アドルフは手にしたばかりである冒険者の証〈不死鳥〉の彫り込まれたメダルを握り、リッドの歌う聖歌に聞き入る。その視線の先には四〇〇人は下らないヒト族たち。

 経済問題を理由に亜人族の解放を警戒すると思われていた人種が、なにゆえこの場に集うことになったのか。答えはアドルフの会得した魔法にあった。

 それは〈遵守〉である。

 他人に命令を聞かせる支援魔法。それはゼーマンを罠にはめたことからも明らかなように、アドルフが元々持っていた資質と合致し、期待以上の効果を発揮した。

 埋葬式を支配人種への反抗の出発点にする。そのためには何としても壁を乗り越えねばならなかった。亜人族にたいしてヒト族が抱く悪感情をプラスに転換させることで。

 そのためにアドルフは、埋葬式に到るまでのあいだ、トルナバの町長をはじめ、町の有力者たちを探しまわり、仲間を連れて埋葬式に参加するよう命令を発した。

 今宵参列したヒト族の多くは自主的に集まったのではない。アドルフの命令下に置かれた人物に勧誘を受け、「あいつが言うなら仕方がない」と多くが不本意ながら参加を決めたのだ。

 ちなみにアドルフは、これまでの策謀とリッドの助言を通じて〈遵守〉の持つ有効範囲を概ね把握していた。
 例えば埋葬式への参列を命じた相手にべつの命令を発するとそれは無効となった。つまり〈遵守〉とは、ひとりの相手に一回限りしか効かない魔法なのだ。

 とはいえアドルフにはチャンスは一度あれば十分だった。埋葬式に参加させる命令には予想したほどの抵抗感もなかったらしく、アドルフは無駄な魔力を消耗せずに四〇〇人ものヒト族を集めきることができた。そして葬儀の席に着かせれば、必ずや参列者の心を鷲掴みにする自信が彼にはあった。

 ***

 ガンテが壇上からはけ、リッドの歌声が止むと、広場には静寂が降り立った。アドルフはその瞬間、舞台装置の最終チェックをする。

 もっとも大事なのは位置関係だ。背後に控えた三人の人物。真ん中に置かれた椅子に座るノインの左側、向かって右側に自分の位置をとる。

 人間は心理的に、真ん中のやや右側にいる人物を偉くて影響力を持つと認識するくせがある。アドルフはそれをナチス党における大衆工作のときに学んだ。

 つまりこの埋葬式は何から何までアドルフの創作物だ。そんな演劇のように作り込まれた儀式において、クライマックスは喪主の挨拶ではない。ノインの役割はアドルフの言葉を承認することだけ。最大の見せ場は彼のおこなう演説である。

 舞台に演台がないことから、事前の原稿を置く場所がなく、演説内容は暗記した。
 出だし、転調、佳境。アドルフの思い描くとおりに式が進めば、今日という日でセクリタナの、連邦の歴史は新たなページを刻む。それくらいのインパクトを参列した聴衆にぶつける気で彼はいる。

 ガンテの退場から一分は経った。だいぶ焦らしたから、沈黙した広場はややざわついてくる。
 アドルフはその間も腕を組み、じっと黙っているばかり。参列者たちはここから何がはじまるのだろうと小声で囁き合う。

 たとえ〈遵守〉の支配下にあっても、彼らには一定の主体性がある。参列することまでが魔法の効果で、見せ物がつまらなければ不満をもつ。これもゼーマンを実験台にして学んだことだ。

 アドルフが葬儀委員長であることは参列者の目から見れば一目瞭然である。だから聴衆の多くは、突如訪れた沈黙を彼が破ると信じている。

 焦燥感さえ抱いた彼らは声に飢えていた。静寂で広場を満たしたアドルフは、そこへ満を持して第一声を投じてやった。

「七日と少しが経った。我らが友人マクロの死から七日と少しが。あのときは昼だったが、いまは夜の入口である。生者の時間が終わり、死者の時間がはじまる頃だ。我々はここに彼女の魂のかけらを感じとる。死者は寂しがり屋だ。存分に弔ってやり、天国に送り出してやりたい」

 七日以上が経った死体は、通常腐敗が進行する。しかしこの場に設置された棺からそうした不快な臭いが洩れることはない。リッドは司祭であるがゆえに人体が朽ち果てるのを止める魔法を身につけており、回収された遺体には腐乱抑制の措置がとられていたからだ。

 結果、それが良い方向に働き、聴衆はみな神妙な顔をしている。人間とは残酷なもので、同じ遺体でも腐乱したものは汚れたもの、清浄を保つものを清らかなものと選り分け、後者は《主》の神秘的な恩寵に授かったと理解する。

 アドルフのいた世界ですらそうなのだから、文明の進度が低いセクリタナにおいて、死体の状態は非常に重い意味をもつ。その事実をリッドから聞いていたアドルフは「腐敗を抑える魔法があるなら、神秘もくそもないではないか」と言い放ったが、現実は彼女の言うとおりになった。

 結局のところ特別な魔法の恩恵にあずかることも含め、清らかな死者の存在は《主》と近い位置にある証明に他ならないと人々は判ずるようなのだ。

 よってアドルフは、聴衆の畏まった様子を目にして大胆になる。〈遵守〉で集めた以外のヒト族は魔法の支配下にない。彼らを口説き落とす武器はアドルフの弁舌と舞台装置だった。彼は言葉の持つ力を信じ、人々の心を引き寄せるべく高らかな声を響かせた。

「見たまえ、諸君。死後七日と少しが経っていようと清浄さを失わない友の亡骸を。彼女は我々の強い願いにより、天国におわす《主》に許された。なればこそ、いまもって清らかなる匂いを放っておる。その死に様は、聖者と比べても決して劣るものではない」

 一見即興のように語りかけるが、演説内容は一度リッドの閲覧を経ている。聖隷教会の信徒たちが一般にどのような宗教観をもち、どんな現象に心を激しく動かされるか。おしなべて敬虔でもないが、不敬は許されないと思っているヒト族の価値観をアドルフは踏まえていた。

 つまり全てを計算ずくで彼は続ける。葬儀の名を借りたヒト族攻略の儀式を。

「そう、我らが友の魂は《主》が遣わした使徒、天使たちによって昇天のときを待っておる。この神聖な場において、彼女の最後の瞬間が我々一人ひとりを見守っておる」

 収容所からの解放を経て、敬虔さを深めてみせたアドルフだが、宗教を道具とすることへの抵抗は元々ない。だが同時に、聖隷教会の教義を踏まえるくらいには信仰心を発揮できる。

 参列者とて最初は反発心もあったはずだが、次第にこの場の空気にのまれていった。信心の薄い亜人族も《主》の導きに心を委ねられることを、自明の理として直視しはじめたのだ。

 もちろん一部のヒト族はまだ、アドルフの表現する《主》への敬いに疑念を抱いている可能性はあった。しかしそのことがわかっているアドルフは、ここで一切気を抜くことなく、マクロがなぜ死に到ったのか、参列者に動揺を誘おうとするのだった。彼女を襲った凄惨な悲劇を隈無く語ってみせることで。
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