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「あなたは?」

 声を聞いても思い当たる人物がいない。『バー・ラグールの占い師』と呼んだということは、占いの客だろうか。

「あら、忘れてしまった? いつかのときに占っていただいたキャサリンよ」

(ああ。確か既婚者と不倫していた)

 不倫相手は、他に四人の愛人がいた。
 キャサリンには占いの結果が気に入らなかったからとカクテルをぶっかけられ、かなりインパクトが残っている。

「その節はどうも」
「何? もしかして飲み物をかけたこと、まだ怒っていらっしゃるの? 気が短い人ね」

 どの口が言うのか。あなただけには言われたくない、と内心で思う。

「どうしてここにいらっしゃるのですか?」
「ナンパされて着いて行ったらここに連れて来られたって訳。まさかあなたも男に騙されて売り飛ばされてくるなんてね。意外と気が合うかも」
「いえ違うので同じにしないでいただけると」
「そういうことははっきり言うのねあなた」

 不服そうに口を曲げるキャサリン。

「実は私ね、お腹に赤ちゃんがいるの」
「……そう、ですか」
「誰の子か聞きませんの?」

 やっぱりそうなったか、と肩を竦める。ネラは相手の未来を一度に五つほど視ている。その人の行動パターンによって未来は無数に変わるので、その中でも強く感じた未来をひとつだけ鑑定で伝えているのだが……。

 不倫相手の子どもを身ごもり、捨てられる未来は占いのときにちらっと視えていた。聞かずとも、お腹の中にいる子どもの父親が不倫相手ということは分かっている。

「例の……既婚男性のお子さまでしょうか」
「正解。なんでもお見通しなのね。子どものこと言ったらぱったり音信不通。……捨てられちゃった。今になってあなたの忠告を聞いておけばよかったって思ったり」
「……お子さまはどうなさるつもりですか?」
「どうするつもりって……。決まってるでしょう。私が一人で育てるわ。でもこんなとこに捕まってしまって……どうしたらいいのかしら」

 苦笑しながら、「全部私が悪いんだけどね」と呟く。彼女が気の毒だった。商品として売られた先で、普通に子育てができるとは思えないから。
 妊婦までオークション商品にしてしまうなんて、悪趣味な人がいるものだ。

「虫がいい話だと分かってるけれど、この子のこと、占ってくれませんか。ちゃんと元気に生まれて、大きくなってくれるか……」

 声が震えていて、泣いているのが分かった。ただでさえ男に捨てられて心細いはずなのに、こんなところに捕まってしまって、彼女の不安は想像を絶するものだろう。

 キャサリンはお腹をそっと撫でながら泣いている。

「分かりました。占ってみます」
「いいの……?」
「はい。ですが私は視えたことはそのままお伝えさせていただきます」

 優しい幻を見せることはできる。でも、どんな未来であれ事実を伝えるのがネラの信条だ。

「ええ。お願い」

 そっと目を閉じて透視を始める。

 牢の中に閉じ込められて精神が乱れているせいか、映る映像もいつもより乱れていてうまく視えない。深呼吸をして、意識を集中させていくとぼんやりと映像が浮かび上がってきた。

 男の子を抱っこしているキャサリンと、その傍で彼女の肩を抱いている長身の男の姿。みんな笑っていて幸せそうだ。男の子はすくすく育っていって、キャサリンの元を巣立っていく様子が視えた。

(オークションで売られた先ではないみたい……?)

 今の絶望的な状況からは全く想像できない暖かい未来だ。ネラ自身も予想外の未来に首を傾げる。

「元気な男の子でした。お子さまは元気に成長され、その成長をキャサリン様も傍で見守っていかれるようです。それから……新しいパートナーができるように視えます。長身で金髪、片眼鏡をかけた好青年で……」
「それ、もしかしてマルティン……」 
「お知り合いですか?」
「幼馴染と特徴がそっくりなの」

 それから彼女は思い出話を聞かせてくれた。家が隣同士で幼馴染のマルティン。キャサリンは恋多き少女で、色んな相手と交際して別れを繰り返した。けれど、辛いときはいつも一番寄り添い励ましてくれたのは彼だったという。アルベルトに捨てられたと話したら、泣いて悲しんでくれたとか。

 そして、キャサリンの初恋の相手だった。

「マルティンは格好よくて女の子から凄く人気だから、私なんて相手にされるはずないって諦めていたのだけれど」
「あなたのことをとても大切に思っていらっしゃるようですよ」
「そう……。ありがとう。この子もちゃんと大きくなるのね。あなたの言葉は嘘じゃないって分かるから、凄く凄く嬉しい。挫けそうだったけれど、そんな未来があるなら頑張れそうだわ」
「……応援しています」

 キャサリンはさっきより落ち着いた様子で、お腹に手を当てていた。

「今ね、名前の候補があるのだけれど、聞いてくださる?」
「はい。どんなお名前ですか?」
「エンジェルスーパーダイヤモンドプリンス」

 ぴしゃりと硬直するネラ。寝不足のせいでなんだか耳の調子が悪いみたいだ。

「すみませんよく聞こえなかったのでもう一度おっしゃっていただけませんか?」
「だから、スーパーウルトラプリティーエメラルドプリンスよ。目だけじゃなく耳まで悪くなった?」

 さっきと違う。どちらにしたって前衛的なセンスだ。何があったらそんな攻撃力とインパクトが強すぎる名前が思いつくのか。どんなキラキラネームを付けようと知ったことではないが、もし自分なら改名したくなるだろう。

「その……とても気合いの入ったお名前ですね。他の案はないのですか?」
「折衷案を取ってカスタードプリンなんてどうかしら」

(どこが折衷案!?)

「……悪いことは言わないのでやめた方がいいと思います」

 共通しているのはプリンのところだけだ。もっとひどくなった気がする。

「それじゃあさ、あなたが名前付けてくれない? この子の」
「私などが付けてよろしいのですか?」
「ええ。これも何かの縁だと思って」

 占いの仕事で子どもの姓名判断や親子の相性を占うことはあったが、名付けを頼まれたのは初めてだ。これは責任重大。名前はその人に一生着いて回るものだから、真剣に考えなくては。けれどすぐに、ある名前がふっと思い浮かんだ。

「……ミハイル、でどうでしょうか」

 ミハイルは『神に仕える者』という意味がある名前だ。

「ちょっと古臭いわね」
「…………」

 文句を言われてしまい、顔をしかめる。

「では他の名前を、」
「ううん、これでいい。ミハイルだって。気に入った?」

 彼女はお腹をさすって声をかけ、「あ、ちょっと動いたかも」とはにかんだ。

「どうしてこの名前を?」
「私にとってとても大切な名前なんです」
「へぇ。ひょっとして初恋の人とか?」

 そう言われて、騎士服を来て帯剣した男を脳裏に思い浮かべた。夢の中でいつも会っていたフレイダの前世――ミハイル。アストレアが彼をどんな風に想っていたかは、彼の腕の中で眠る安らかな表情を見て分かった。

 ネラは目を細め、穏やかに答えた。

「……はい。たぶんそうです」
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