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しおりを挟む満月の夜の前日。
フレイダが部下のカイセルと共に店に来た。
「ネラさんこんばんはっす~! 調子はどっすか?」
「こんばんは。元気ですよ」
事件以来、再びフレイダは店に来るようになった。ただし、たまにカイセルがくっついて来る。フレイダから度々世話のかかる後輩だと聞かされていたが、悪人ではないし愛嬌があって好印象だった。
「あ~腹減った。そこの店員さーん! バジルソースの生パスタに豚のスモーク焼きとソーセージのトマトスープと牛ステーキにキノコと貝の白ワイン蒸しをお願いするっす!」
さっそく注文をするカイセル。来る度にお腹を空かせていて、いつも凄い食いっぷり。そして会計も凄い金額になる。ちなみに彼はお腹だけでなく財布の方も空っぽだ。完全にタダ飯を食うために来ている。
「食いすぎて明日の任務に支障が出たらどうする。少しは自重しろ」
「俺の消化器は俺と一緒で優秀なんで。あとプライベートにまで口出して来ないでくださいよ」
「なら俺のプライベートの時間まで着いて来ないでくれ」
カイセルの隣でフレイダがため息を吐いた。フレイダは、カイセルが一緒に店に来ることが不服のようだ。
でも、なんだかんだと言いつつ二人は仲がいい。カイセルは元々孤児で、フレイダに能力を買われて王衛隊に迎えてもらったそうだ。だからフレイダをとても慕っていて懐いている。
「すみませんネラさん。うるさいのが着いて来てしまって」
「そんなことないです。いつもより賑やかで楽しいですよ」
「……それ、ちょっと凹みます」
フォローしたつもりだったが、なぜか落ち込ませてしまった。自分の発言のどこが間違っていたかと思案していたら、彼がぽつりと漏らした。
「ネラさんは違うかもしれませんが、俺は二人きりで会いたいと思っているので」
ちょっとだけ卑屈気味に自嘲する彼。
ネラは押し黙ってしまった。カイセルが来てくれたら楽しいのは事実だ。でも、二人きりで会うのを望んでいないとは言っていない。
「思っていますよ」
「……?」
「二人きりでも会いたいと」
「……それは反則です」
フレイダは額に手を当ててまた大きく息を吐いた。また何か間違ってしまったかと首を傾げた。
すると、運ばれてきた食事を黙々と食べているカイセルが言った。
「ネラさんてさ、隊長に惚れてんの?」
「「…………」」
あまりにストレートに聞かれる。カイセルの頭にはデリカシーという概念がないみたいだ。
一方、カイセルは自分から聞いてきたくせに、新たに運ばれてきたステーキの方にすっかり関心が移っている。
すると、フレイダがンンッ……と咳払いして言った。
「ぶ、部下が余計なことを言ってすみません。真に受けなくていいですからね」
「好きです」
「ええ分かっています。ネラさんに相手にしてもらえるなんて思――って、え」
言葉を失ってぴしゃっと固まる彼。手に持っていたグラスから、たらたらと飲み物が零れてテーブルを水浸しにしていく。
「おっうわっ、隊長、何やってんすか! 店員さん台拭きくださいっすー!」
そしてネラは、告白をしたとは思えない有様で、飄々としている。彼女は表情に感情があまり出ないタイプだ。
「えっ、い、今なんと」
「好きだと言いました」
「ネラさんが……俺を、好き」
「はい」
誘拐事件から、ネラの中で何かが吹っ切れた。
傷つくのが怖くて、できるだけ自分の気持ちを押し殺して生きてきた。でももう、そうやって自分を追い詰めるのはやめた。彼への気持ちも伏せてきたが、素直になろうと決めていた。
呆気に取られて絶句していた彼が、しばらくして沈黙を破った。
「俺も好きです。大好きです」
「…………」
その声からひしひしと愛情が伝わり、恥ずかしくなって頬が朱に染まっていく。彼はネラの赤く染った頬を見て、「照れている顔も好き」と甘く囁いた。彼はあからさまに浮かれていて、ネラもふわふわした気分になる。
「…………うっわ気まず。これ俺の立場ないんすけど」
カイセルがステーキを食べるフォークを止めて、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうだな。そう思ったなら帰れ」
「え~まだ一杯も飲んでないのに」
「やめとけ。また潰れられたら面倒だ」
二人が揉めている様子を窺いながら、くすりと笑う。まるで兄弟喧嘩を見ているようだ。口元に手を当てて笑っていると、フレイダもネラの笑顔を見て頬を緩めた。
(次にお会いするときは、顔を見てお話しできるのかしら)
明日の夜、元聖女のルナーに治癒をしてもらうことになっている。上手くいくか分からないので、フレイダには事後報告にするつもりだ。
フレイダはどんな顔をしているのだろう。どんな背格好をしていて、どんな顔をしていて、どんな風に笑うのだろう。
自分の向かい側に座っているフレイダを見据える。閉じた瞼にまだ見ぬ彼の姿を思い描いた。
閉店間際、いつものように数杯で潰れたカイセルを連れて店を出ていくフレイダを見送る。
玄関の前。カイセルを支える彼が、こちらの顔を覗き込みながら言った。
「ネラさん、何かいいことでもありました?」
「どうしてですか?」
「なんとなくです」
思い当たるのは、明日片目の治癒をしてもらうことだ。もしかしたら目が見えるようになるかもしれない。そんな期待が無意識に表情や態度に出ていたのだろうか。きっとそれもあるかもしれないが、幸せなことはもっと別にある。ネラは小さく笑い、からかうように言った。
「きっと今日、フレイダ様にお会いできたからでしょう」
「…………可愛すぎます勘弁してください。酔った部下がいなければ抱き締めてました」
「それはちょっと無理です。ここは店なので」
玄関先で抱き合っていたら、お客さんの迷惑になってしまうだろう。フレイダはその返事に唖然とした。
「――つまり店でなければいい、と解釈していいのでしょうか」
ネラは「どうでしょうか」とはぐらかして、彼とお別れした。遠くに去っていく二人の足音。一人残されたネラは、頭上を見上げた。どんなに目を凝らしても、映るのは墨を垂らしたような暗闇だけ。何も見えないのに、宙に浮かぶ月を慈しむように目を細めた。
明日は満月だ。多分今夜は、ちょっとだけ浮かれている。
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