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十六、婚約披露 2

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「デシレア。遅くなった」 

「え?オリヴェル様?」 

 しかし覚悟した衝撃は一向に訪れず、むしろ温かな何かに包まれる感覚に目を開ければ、そこには優しい瞳のオリヴェルが居た。 

 そしてデシレアの前で漂う、幾つもの赤い水の玉とグラス。 

 

 あの赤い水の玉って、ワイン? 

 凄い。 

 そして。 

 

「きれい」 

 ふわふわと幾つも漂う、中指の爪ほどの大きさの赤い水玉。 

 グラスと共に空間を彷徨う幻想的な美しさに見惚れたデシレアが思わず呟けば、オリヴェルがその紅茶色の瞳を覗き込んだ。 

「気に入ってくれたなら嬉しい。だが、デシレアの瞳の方がずっときれいだ。その色も輝きも、私を魅了して離さない」 

「オリヴェル様」 

「それに、私に似合うのは君の瞳色の、この石だろう?君に、私の色がとても似合うように」 

 そう言ってオリヴェルは、デシレアを護るように抱き寄せたまま、自身の胸に飾られたピンブローチに触れた。 

 その愛おしそうな手つきに、周りもデシレアも思わず息を飲む。 

 そこにあるのは、デシレアの瞳の色を彷彿とさせる大粒の柘榴石。 

 自分の瞳の色の宝石を纏う婚約者を優しく抱き寄せ、婚約者の瞳の色は自分に似合うと言い切ったオリヴェル。 

 その瞳は、普段の冷徹さなど微塵も感じさせない、蕩けるような甘さで婚約者を見つめており、その手は大切な者を包み込むかのようにしっかりと腰に回されている。 

 全身で婚約者への愛情を表現し、堪らなく甘い雰囲気を漂わせるオリヴェルという極めて珍しい事態に、周囲の視線が釘付けになった。 

「メシュヴィツ公子息。もしかして袖も?」 

「ああ、気づかれてしまいましたか」 

 声を掛けて来た伯爵に照れた様子で答えたオリヴェルに、デシレアの頬が引き攣る。 

 

 さっきから、ちらちら見せていましたよね!? 

 わざとですよね!? 

 それ! 

 

「こちらのカフスは、我が公爵家の家紋にデシレアの瞳色の宝石を合わせた造りになっているのです。宝石の配し方や、その周りのデザインもふたりで考えた、特別なものです」 

「そんな。皆様の前で恥ずかしいですわ、オリヴェル様」 

 な、とオリヴェルに甘い視線を送られ、デシレアがはにかんで答えれば、周囲からため息のような声が漏れた。 

 

 お、オリヴェル様凄いです。 

 その辺の役者さんより、演技力あります! 

 

 そして、オリヴェルの甘い瞳も言葉も、仲睦まじい婚約者であることの演技だと分かっているデシレアも、それを忘れて甘く溶けてしまいそうになる。 

 

 演技。 

 このオリヴェル様は演技。 

 

「デシレア。足が辛いだろう。いいから俺に寄り掛かっていろ」 

 呪文のように『このオリヴェル様は演技』と心のなかで唱えるデシレアの耳に届いた、オリヴェルの気遣い。 

 その声は演技でなく、本当にデシレアを思いやってくれているのが分かる。 

  

 こ、こんな風に言われたら、もう無理。 

 どこまでが演技で、どこからが素なのか、判別不能。 

  

 内心で乱れまくるデシレアの心を知ってか知らずか、オリヴェルが半ば抱えるようにデシレアの体重を自分へと乗せてくれた。 

 しかも、他者に分からないよう、絶妙な体勢で。 

 

 凄い。 

 足が楽になった。 

 オリヴェル様、ありがとうございます。 

 密着状態、恥ずかしいけれど嬉しいです。 

 これぞ役得というものでしょうか。 

 はあ、幸せ。 

 ああ、至福。 

 うん、分かった・・・もういい。 

 何処までも演技だろうと、もう構わない。 

 私は、この甘く優しいオリヴェル様を、とことん堪能する! 

 

 夢に惑わされようと酔わされようと後悔は無い、とデシレアは自分からオリヴェルに寄り掛かるように、身体を寄せた。 

 端から見れば、オリヴェルに甘えているように見える、その仕草。 

「痛むだろう。すまない。もう少し、我慢な」 

 流石に、図に乗るなと言われるかと思いきや、またも労わる言葉、しかもかなり親しげな言葉を囁かれ、デシレアはそれだけで足の痛みも引く気がした。 

 

 脳内麻薬、万歳。 

 

 幸せな余り昇天してしまわないようにしなければ、と本気で思うデシレアは、自分達の醸す雰囲気に、周りがすっかり温かい目で見守る状態になっていることに気づかない。 

「何なのだ一体、見せつけるように。我が娘を愚弄するつもりか?」 

 そんな甘々なふたりを見つめ、あの冷徹な公子息が、と温かく見守る祝福ムードのなか、ただひとりローン侯爵が苛立った声をあげた。 

「愚弄したのはそちらだろう。我が家の慶事に水を差しおって」 

 すい、と一歩前に出たメシュヴィツ公爵が、ローン侯爵親子に鋭い視線を向ける。 

「水を差す?うちの可愛いエンマが何をしたというのだ。その貧乏娘より宝飾品が似合うというのは、事実であろう」 

 そんな道理の通らないことを堂々と宣う、ローン侯爵の常軌を逸した発言に周りが騒めく。 

「ほう。魔法大臣は、娘の窃盗が正当なものだというのか。驚きだな」 

 その騒めきを吸いあげるように言ったメシュヴィツ公爵を、ローン侯爵が睨みつけた。 

「大体、そのような貧乏娘を嫁にしようなどということ自体、間違っているのだ。我が娘が嫁入ってやると言っているのだぞ?オリヴェルもお前等も、下にも置かず喜んで迎えるべきであろう。そもそも、その貧乏娘は本当に魔法師団団長の妻となるに相応しいのか?」 

 傲岸に、身勝手で一方通行な事を言い切るローン侯爵だが、ことデシレアの事に関しては正しい。 

 魔法師団団長であるオリヴェルとデシレアでは、当然のように魔力は比べるべくもないし、生家のレーヴ伯爵家は爵位でローン侯爵家に劣るうえ、その困窮は貴族なら誰もが知っている。 

 事実として実感しているデシレアがその言葉にぴくりと反応すれば、オリヴェルの抱き寄せる力が強くなった。 

 そして、朗々たるメシュヴィツ公爵の声が響き渡る。 

「ああ。これ以上なく相応しいぞ。何と言っても、魔法警備を発案したのはデシレアだからな。我が公爵家にとって、これ以上ない嫁となろう」 

 喜びを押さえ切れない、とでも言いたげに笑い、凛と言い切ったメシュヴィツ公爵の言葉に、周囲の視線が一斉にデシレアへと向く。 

「本当に、得難い宝を得ましたわ」 

 その視線の先に居るのは、そうしみじみと言い、温かな笑みをデシレアへと向けるメシュヴィツ公爵夫人と、デシレアを護るように抱き込み続けるオリヴェル。 

 そんな三人の様子に、デシレアが真実メシュヴィツ公爵家に望まれているのだと感じられないのは、ローン侯爵親子のみ。 

「なによ偉そうに!お父様は魔法大臣なのよ!?お父様こそは偉いのだから、公爵だか何だか知らないけれど、黙って言う事聞きなさ・・・痛い!」 

 デシレアを認める発言をしたメシュヴィツ公爵夫妻に噛み付くように叫んだエンマが、その途中で自身の指を押さえて顔を歪めた。 

「エンマ!?貴様等、何をしたのだ!」 

「何、って。言ったでしょう?魔法警備の一環よ」 

「何なのだ、それは!」 

 静かに答えたメシュヴィツ公爵夫人に唾を飛ばして怒鳴りつけたローン侯爵は、周囲の信じられないというような視線に固まった。 

 なかには、魔法省で見た顔もある。 

 彼等の表情から、魔法警備なるものが既に浸透していることは理解できるも、ローン侯爵にはそれが何なのか分からない。 

 そもそも、その言葉自体知らないのだ。 

「魔法警備。先だってデシレア発案のもと我らが開発し、各大臣列席の場にて陛下にご報告も済んでいる。その際、 陛下の御命令でまずは我が家に設置し、実際の機能確認も終了した。もちろん、関係各大臣より省職員並びに各貴族家への説明も済んで、計画は順調に進んでいる。魔法大臣である貴公はもちろん、今日お集まりの方々は全員承知と思っていたが?」 

 知っていて当然と言われ、焦るローン侯爵の前でゆっくりと回りを見渡したメシュヴィツ公爵に、周囲の貴族達がこぞって頷いた。 

「痛い!また痛いわ!お父様、なんとかして!」 

 そういえば先日、メシュヴィツ公爵が大臣も皆揃っている場で何かを陛下に報告していた、と思い出すも、その話の内容がまったく理解できなかったローン侯爵は、メシュヴィツ公爵家がまたも功績をあげたことを苦々しく思っただけだった。 

「いったい何だと言うんだ。特に傷などは無いが、何をしたんだ」 

 間隔をあけて痛みを訴える娘の指を見、ローン侯爵は忌々しく呟く。 

「大臣。それは魔法警備のひとつ、魔法陣の複写です」 

 そう言って、メシュヴィツ公爵家とローン侯爵親子を囲む人々のなかから歩み出た人物、自分の部下である魔法省副大臣の彼を、ローン侯爵は胡乱な目で見た。 

「魔法陣の複写だと?一体どういうことだ」 

「警備対象に組み込まれた魔法陣を、危害を加えようとした者へ複写する、ということです。つまり今現在、婚約者殿の耳飾りに付加された警備用の魔法陣が、ローン侯爵令嬢の指にもある状態になったわけです。そして加害者に複写された魔法陣は間隔をあけて作動する仕組みになっていて、例え逃走したとしてもその痛みに耐えかね出頭するしかない、もしくはその魔法陣を元に犯人特定が容易だ、ということになります」 

 痛みを発する魔法陣が己が指に複写されたうえ、間隔をあけて作動する。  

 そう聞いたエンマの顔が青くなった。 

「そんな!」 

「副大臣、さっさと解除しろ!」 

 居丈高に言うローン侯爵を、副大臣は冷たい瞳で見返した。 

「魔法大臣は貴方です、ローン侯爵。私は、副大臣にすぎない身。本来であれば、今の説明も貴方が我々にすべきことです」 

「だからなんだ!」 

「解除。ご自分でどうぞ」 

 言い切った副大臣を、ローン侯爵は殴らぬばかりの勢いで怒鳴りつけた。 

「貴様!私の部下の分際で!いいからさっさとやれ!」 

「お断りします。私達魔法省の人間は、理不尽にも貴方の分まで仕事や責任を担って来ました。私的な部分まで面倒見ろなど、ごめん被ります」 

「貴様。痛みに苦しむ娘を見ても何とも思わないのか!」 

「自業自得でしょう」 

「なにをっ」 

 許せないとばかり副大臣に殴りかかろうとしたローン侯爵を、メシュヴィツ公爵家の騎士が遮る。 

「ローン侯爵。この度正式採用となった魔法警備導入の件で魔法省の代表が誰になっているのか、知っているか?」 

 



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