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イロハ_05
1.チェス
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イロハが連れて行かれたのは、測定室だった。無機質な白い壁と、大きな鏡にもみえる観察用の窓。部屋の中央に用意された立派な木製のテーブルと椅子のセットが、この冷たい部屋には不釣り合いだった。テーブルの上には、白と黒の駒が並んだチェスセットがある。
幻智が立ったままのイロハのこめかみや額に、いくつもの電極を貼り付けていく。
「今日はこの部屋で来客の接待だ」
「はい」
「相手は俺の大学時代の恩師で数学者だ。チェスをしてもらう」
幻智がイロハの義肢にもいくつかのセンサーを取り付けた。伸びるコードを、手の動きを妨げないよう、肩のところでまとめる。
「義肢の実用試験も兼ねる。駒は右手で扱え」
「わかりました」
「それと……」
幻智がイロハの肩に手を置いた。
「質問があった場合には、答えられる範囲で答えろ。試問の結果にペナルティは設けない」
「……はい」
幻智が部屋を出ていく。
しばらくすると、扉が開いた。
入ってきたのは、60代くらいの白髪の男性だった。細身で背が高く、丸い眼鏡をかけている。穏やかな笑みを浮かべながら、イロハに近づいてきた。彼はイロハの頭から足元までを興味深そうに眺めると言った。
「私は添土という。幻智君の知り合いだな……今日は楽しみにしている」
「168番です。よろしくお願いします」
イロハが頭を下げる。
「チェスはできるかね?」
「はい」
「では一局、お願いしようか」
添土が椅子に座る。イロハも向かいの椅子に座った。
「君が白だ。先攻をどうぞ」
イロハは右手を伸ばし、ポーンを動かした。
義肢の指が駒を掴む。慎重に持ち上げ、二マス前に進める。駒をそっと置く。
添土も応じてポーンを動かした。
「君は数学は得意かね?」
添土が駒を動かしながら、たずねる。
「……基礎範囲は学習しています」
イロハがナイトを動かす。
「では、少し問題を出そう。1から100までの整数を全て足すと、いくつになるか分かるかな?」
イロハは即答した。
「5050です」
添土が微笑む。
「さすがに、かんたんすぎたか」
ゲームが進む。
添土がビショップを動かす。
「では次の問題。フィボナッチ数列の第10項は?」
イロハは盤面を見ながら少し考える。
「……55です」
「早いね、では次。二つの放物線、y=3x^2-9x+5 とy=-2x^2+6x-5 によって囲まれた部分の面積は?」
「……」
イロハはチラリと添土を見た。紙とペンがほしい。添土はイロハの視線の意味には気づいたはずだが、ただ静かにほほ笑んでいる。
つまり暗算をしろという意味だ。
イロハは盤面を眺めながら、解を求めて計算を繰り返す。ややあってルークを動かしながら答えた。
「5/6です」
「ふむ、いいね」
◆
観察室では、幻智と静月がモニタを見つめていた。
イロハの脳波、心拍数、義肢の動きの記録。
「……思考と動作の同時処理、問題なしですね」
静月が呟く。
やがて添土が積分の問題を出した。
幻智が口の端で笑う。
「問題は基礎中の基礎だが、暗算は少ししんどいな」
「しかもチェスの手も考えなければいけませんしね」
イロハの脳波を追っていた幻智がタブレットに記録を取る。
◆
ゲームが中盤に差し掛かった頃、添土の質問が変わった。
「君は、無限について考えたことはあるかね?」
イロハがクイーンを動かす。
「はい」
「どう思う?」
「……終わりや果てがないというイメージです」
「そうだね。では、無限に種類があることは知っているかな?」
イロハは少し眉を寄せた。
「……種類、ですか?」
「ああ。たとえば無理数の桁は無限だ。しかし実数も無限にある。この二つの無限は『大きさ』が違うんだ」
「……おっしゃるとおりです」
イロハは盤面を見つめた。添土のビショップが、イロハのポーンを取る。
「不思議だろう? 無限なのに、大小がある」
「……はい」
イロハがナイトを動かす。
「では、ゼノンのパラドックスは知っているかね?」
「アキレスと亀の……」
「そうだ。アキレスは決して亀に追いつけない、という」
添土がルークを動かす。
「でも実際には追いつく。なぜだと思う?」
「……無限に分割できても、時間は有限だからです」
「その通り。無限と有限の境界は、曖昧だ」
幻智が立ったままのイロハのこめかみや額に、いくつもの電極を貼り付けていく。
「今日はこの部屋で来客の接待だ」
「はい」
「相手は俺の大学時代の恩師で数学者だ。チェスをしてもらう」
幻智がイロハの義肢にもいくつかのセンサーを取り付けた。伸びるコードを、手の動きを妨げないよう、肩のところでまとめる。
「義肢の実用試験も兼ねる。駒は右手で扱え」
「わかりました」
「それと……」
幻智がイロハの肩に手を置いた。
「質問があった場合には、答えられる範囲で答えろ。試問の結果にペナルティは設けない」
「……はい」
幻智が部屋を出ていく。
しばらくすると、扉が開いた。
入ってきたのは、60代くらいの白髪の男性だった。細身で背が高く、丸い眼鏡をかけている。穏やかな笑みを浮かべながら、イロハに近づいてきた。彼はイロハの頭から足元までを興味深そうに眺めると言った。
「私は添土という。幻智君の知り合いだな……今日は楽しみにしている」
「168番です。よろしくお願いします」
イロハが頭を下げる。
「チェスはできるかね?」
「はい」
「では一局、お願いしようか」
添土が椅子に座る。イロハも向かいの椅子に座った。
「君が白だ。先攻をどうぞ」
イロハは右手を伸ばし、ポーンを動かした。
義肢の指が駒を掴む。慎重に持ち上げ、二マス前に進める。駒をそっと置く。
添土も応じてポーンを動かした。
「君は数学は得意かね?」
添土が駒を動かしながら、たずねる。
「……基礎範囲は学習しています」
イロハがナイトを動かす。
「では、少し問題を出そう。1から100までの整数を全て足すと、いくつになるか分かるかな?」
イロハは即答した。
「5050です」
添土が微笑む。
「さすがに、かんたんすぎたか」
ゲームが進む。
添土がビショップを動かす。
「では次の問題。フィボナッチ数列の第10項は?」
イロハは盤面を見ながら少し考える。
「……55です」
「早いね、では次。二つの放物線、y=3x^2-9x+5 とy=-2x^2+6x-5 によって囲まれた部分の面積は?」
「……」
イロハはチラリと添土を見た。紙とペンがほしい。添土はイロハの視線の意味には気づいたはずだが、ただ静かにほほ笑んでいる。
つまり暗算をしろという意味だ。
イロハは盤面を眺めながら、解を求めて計算を繰り返す。ややあってルークを動かしながら答えた。
「5/6です」
「ふむ、いいね」
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イロハの脳波、心拍数、義肢の動きの記録。
「……思考と動作の同時処理、問題なしですね」
静月が呟く。
やがて添土が積分の問題を出した。
幻智が口の端で笑う。
「問題は基礎中の基礎だが、暗算は少ししんどいな」
「しかもチェスの手も考えなければいけませんしね」
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◆
ゲームが中盤に差し掛かった頃、添土の質問が変わった。
「君は、無限について考えたことはあるかね?」
イロハがクイーンを動かす。
「はい」
「どう思う?」
「……終わりや果てがないというイメージです」
「そうだね。では、無限に種類があることは知っているかな?」
イロハは少し眉を寄せた。
「……種類、ですか?」
「ああ。たとえば無理数の桁は無限だ。しかし実数も無限にある。この二つの無限は『大きさ』が違うんだ」
「……おっしゃるとおりです」
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「不思議だろう? 無限なのに、大小がある」
「……はい」
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「では、ゼノンのパラドックスは知っているかね?」
「アキレスと亀の……」
「そうだ。アキレスは決して亀に追いつけない、という」
添土がルークを動かす。
「でも実際には追いつく。なぜだと思う?」
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「その通り。無限と有限の境界は、曖昧だ」
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