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しおりを挟む静と玲が出会ったのは、今からおよそ一年前のことだった。
クラスメイトに上履きを隠され、探す気力すら湧かず、ほとんど裸足のまま静は屋上に立っていた。
コンクリートの冷たさが足裏からじわじわと伝わってくるが、それすらどうでもよかった。
柵の向こうに広がる景色を眺めながら、ただひたすら「今」という現実を記憶から消し去りたかった。
いっそのこと、この場から消えてしまえたら。
そう思う反面、自殺なんて怖くてできない自分が情けなくて仕方がない。
死にたい気持ちは確かにあるのに、死ぬ勇気はない。その中途半端さが、静自身を一番苦しめていた。
何気なく、柵に身を乗り出す。
ほんの少し、ほんの出来心だった。
その瞬間だった。
突然、背後から温かい何かに包み込まれる。
ふわりと、シトラスのような爽やかな香りが鼻先をくすぐった。腹部には、筋の通ったしっかりした腕が回されている。
「大丈夫????」
驚いて振り返ると、すぐ近くに男の顔があった。
ビー玉のように澄んだ瞳と視線がぶつかる。自分と同じ制服を着ているが、見覚えのない人物だ。それに、あまりにも整った顔立ちをしていて、思わず息を呑んだ。
「えっ!? い、いったい何ですか?」
緊張のあまり舌がもつれ、うまく言葉が出てこない。
普段から嘲笑や暴言に晒されているせいで、反射的に「バカにされる」と身構えてしまう。
だが、男は一切笑わず、申し訳なさそうに言った。
「ごめんね」
その声は驚くほど柔らかかった。
「もしかして今、ここから飛び降りようとしてた?」
「え? 飛び降りる?」
確かに死にたい気持ちはあった。でも、飛び降りようとまでは考えていない。ただ、少し柵から身を乗り出しただけだ。
「と、飛び降りようなんてしてません!!」
慌てて否定すると、男は目を丸くした。
「あ、そうだったの? ごめんごめん。
たまたまここに来たら、柵に身体乗り出してたからさ。危ない!って思って、つい後ろから抱きしめちゃった」
そう言いながら、「こうやって」と再現しようとするため、静は思わず一歩距離を取った。
「ちょっと! やめてください!!」
「あ、ごめんね」
男はすぐに手を引いた。
「でも、死なないなら良かった。
死体とかグロすぎるもんね。俺、ホラー苦手なんだよ。ゾンビ撃ち殺すゲームとかあるでしょ? ああいうのも無理」
想像してしまったのか、顔を引き攣らせる。
「グロいから自殺しなくてよかった」なんて、倫理観があるのかないのか分からない発言に、静は呆然とした。
「……」
「そういえば、君、見ない顔だね。何年生?」
「……一年生です」
久しぶりに交わす、まともな会話。
それだけで胸がぎこちなくなる。仲良くなりたいと思っても、自分と関われば相手まで標的になる。そう思うと、誰にも近づけなかった。
「あ、一個下か! だから見ない顔なんだ」
男は納得したように頷く。
「へえ。なんかプニプニしてて可愛いじゃん。肌も白いし、餅みたい」
そう言って、静の頬に指先を伸ばし、軽く摘んだ。
「あ……ちょ、その……!」
人に触れられることに慣れていない。慣れてないというよりも触れることを周りからは避けられてきたのだ。静は反射的にその手を払った。
男は驚いたように目を瞬かせ、すぐに申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね。突然触られるの、嫌だよね。
距離感バカだったね。許して」
「距離感……バカ……」
聞き慣れない言葉を思わず復唱する。
揶揄われているわけではないと、不思議と分かった。
「……いえ、大丈夫です」
「ねえ、名前なんていうの?」
「名前……ですか?」
「そうそう。君の名前」
「なんでですか?」
きょとんとした表情を浮かべ、男はあっけらかんと言った。
「だって、ここで会った縁じゃん」
「……如月、静です」
「へえ、静。男の子で珍しいね。それに如月静ってめちゃくちゃ舞台女優みたいじゃん。」
女みたいだし、似合わないと散々馬鹿にされてきた名前。だから極力口にしたくなかった。
けれど、この人にならなぜか、嫌じゃなかった。
「でも、めっちゃいい名前だよ。センスばっちり」
「……別に、そんな」
「じゃあ俺のも言うね。
俺は天輝玲ね。どうかっこいい??」
そう言って、やけにキメた表情をするものだから、静は思わず頷いてしまった。
「はは、静って素直でいい子だね」
その瞬間、玲が手を伸ばした。
静の身体がびくりと震える。殴られる。蹴られる。脳裏に焼きついた記憶が蘇る。
ぎゅっと目を閉じた、そのとき。
ーー暖かい。
そっと頭に触れる感触。
恐る恐る目を開けると、微笑む玲の顔があった。伸ばされた腕は、静の頭を優しく撫でている。
撫でられているのだと、ようやく理解する。
「どうしたの? すごく怖がってたけど」
「……なんでも、ないです」
「そっか。じゃあ、よかった」
玲は柔らかく微笑んだ。
その笑顔があまりにも綺麗で優しくて、擦り切れていた心が、少しずつ形を取り戻していくような気がした。
この人はなんか違うのかもしれない。
その直感だけが、静の胸に静かに残っていた。
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