わたしの方が好きでした

帆々

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フラン

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 その日リゼは珍しく帰宅が早かった。ゆとりを持って食卓に準備にかかれると心が弾んだ。デザートに出先でもらった人気の菓子もある。

 菓子の箱を抱え玄関への階段を上った。ドアを開けるとちょっとしたホールがあり、右手に階上への階段が延びている。二階と三階に住む賃借人の為に内階段を使わずに住むようこのような工事を行なってあった。

 メイドは既に帰宅している。キッチンに向かいそこで菓子の箱を置いた。居間をのぞくが夫の姿がない。書斎だろうか。今時分はまだ小説の執筆をしている頃だ。

 邪魔をしては、と声をかけなかった。寝室に行き帽子とケープを外した。居間に落ち着いてしばらくだ。キッドが現れた。バスローブ姿でバスを使っていたようだ。

「帰ったのかい」

「ええ。少し待ってくれたらわたしが手を貸したのに」

 彼は浴室で困ることはないが、浴槽への出入りの際には段差に注意が必要だった。普段はリゼがしっかり支えて安全を図っている。

 夫はそのまま寝室に行き着替えて戻ってきた。まだぬれ髪で風邪を引くといけない。彼女は暖炉の火を起こして暖かく過ごせるように気遣った。そこへフランがやってきた。

「お帰りでしたか」

「ええ」

 フランの髪もまとめてあるもののぬれていた。何気なく見たそれに気持ちがざわめいた。しかし言葉にするのに時間がかかった。

 彼女より先にフランが口を開いた。

「バスを先に使ってしまいました。ご不快でした?」

「あなたが夫のバスの介助をしたの?」

「はい……。それでぬれてしまって、使わせていただきました」

「バスの介助はわたしがやるわ。もうしないで」

 思いがけず強い口調になった。密室で密接に触れ合う浴室での介助を他の女性にされる不快さは、例えようがなかった。

 フランは戸惑ったように目をさまよわせた。

「失礼な言い方は謹んでくれ。僕が介助を頼んだんだ。フランは全て心得ているよ。申し分ない。いなかった君が非難するのはひどい横槍だ」

 キッドがリゼを責めた。その瞬間のフランの表情をリゼは見てしまった。「救われた」という安堵ではなく「勝った」と言いたげな満足だった。

(何なの?)

 驚きに黙ったリゼに追ってキッドは、口調を変えずに

「これからはバスの介助はフランに頼むことにする。君の帰りに合わせるのは窮屈でしょうがない。自分の家では好きに過ごしたいんだ」

 と告げた。それに彼女は反感を込めた視線を向けた。いつになく強いそれにキッドはやや語調を和らげた。

「彼女は君より背が高く安定感もあるんだ。僕の身体のことを考えてほしい。僕の世話が減った分、君も楽ができるだろう?」

 彼のことで楽をしたいと思ったことはなかった。しかし、身体の都合を持ち出されては反論もできない。華奢なリゼより体格の勝るフランが介助に適格なのは間違ってはいない。ただ彼女がこだわるのは妻としての気持ちの問題だった。

(わたしの感情は顧みてもらえないの?)

 すぐには頷けなかった。フランの前で言葉にできないが、バスでの介助の時間は症状が出て以来難しくなった夫婦生活の代わりになる、かけがえのない触れ合いのひと時でもあった。それを夫はあっさりと切り捨てた。

(女としてのわたしを遠ざけたのと同じ)

 どうその場をしのいだのか。リゼは気づくとキッチンにいた。キッチンの窓から隣接する屋敷のベランダでタバコをふかす男性が見えた。持ってもいないし経験もないが、タバコを吸えば気持ちも落ち着くのかと羨ましくなる。知らずため息がもれた。

 帰宅してからの時間はいつも楽しく過ぎた。なのに今日は重いため息ばかりだ。

「お夕食が遅いようですが」

 フランが顔を出した。リゼが帰宅後はキッチンに入ることはない。手伝うでもなく緩く腕を組んで彼女をうかがっている。その仕草にいら立ち、つい言葉が尖った。

「それはあなたの催促かしら?」

「いえ、ご主人がまだかとおっしゃっているので様子を見にきただけですわ。ご機嫌を損じたのなら、すみません」

「いいえ、こちらこそごめんなさい。ついあなたに当たって……」

「わかりますわ。いろいろありますもの、働く女同士」

 微笑んでフランは戻って行った。

 目の端から彼女が消えるまでリゼは息を止めていた。頼りにしていたフランの存在が、この日がらりと印象を変えてしまった。

(家にいてほしくない)

 しかし、キッドは気に入った彼女を手放したがらないだろう。いつまで彼女がこの家にい続けるのか。

(いつまで?)

 それは途方もなく思えた。

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