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フラン
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しおりを挟むリゼはあまり眠られないまま朝を迎えた。身支度を済ます頃通いのメイドがやって来る。勤めを前に自ら準備しなくていいので、朝食の時間はややゆったりした気分で過ごすことができた。
彼女が食卓に着くとキッドとフランも連れ立って現れた。示し合わせたような登場に胸が騒いだが何とか抑えた。
夫は気だるそうに見えた。それでも口数の少ないリゼに微笑み、
「昨夜は執筆がはかどったよ」
と話を振った。
「そう、良かったわね」
「無理をしないでね」といつもなら添えるいたわりが続かなかった。そんな拗ねた自分も嫌だったが、気分はふさいでしょうがない。
食事を終えナフキンを置いた。立ち上がったリゼにフランが声をかけた。まるで仲良しのように腕に手を掛ける。
「ご主人は昨夜もお辛そうでしたわ。執筆に励まれたせいでしょうか。夜半と夜明けに二度おつき合いいたしました」
夫に元気がなさそうなのもそれで合点がいく。痺れや強張りがあると寝つかれないと彼女もよく聞いていた。
フランはリゼを見つめながら、小さくあくびをした。口元を抑えながら目が笑っている。
「さすがに少々眠いですわね」
「そう」
リゼは彼女の手を外し、
「働く女なら無理はしょうがないわね」
と反応も見ずに食堂を出てしまった。
彼女に言い返せたことで幾分胸はすっとしたが、問題の解決にはならない。悶々とした悩みがずっとつきまとった。
帰宅時間が近づきリゼも冷静になった。フランへの不信感や怒りを放置はできない。夫からの大きな信頼を盾に妻であるリゼを蔑ろにした態度は、不快なだけでなく夫婦関係にも悪い影響を及ぼす。現に今朝は彼女への怒りで彼に挨拶もせずに出かけてきてしまっている。
フランはキッドには従順を装う一方、リゼには嫉妬を煽るように仕向けてくる。その原因は彼女に舐められてしまっていることにあるはずだ。頼りになることで甘い顔をし過ぎてしまった。雇用主として毅然とした姿勢を示すべきだと思った。
(家族同然と暮らしているけれど、フランは家族じゃない)
むしろ、
(部外者)
こちらの意見を容れる余地がないのなら、キッドには申し訳ないが解雇しても構わない。きっとキッドは反対するだろうが、別な人を探せばいい。いい人材は他にも絶対にある。
帰宅してすぐ彼女はフランを呼んだ。キッドのいない場所で話をしたかった。内玄関前には椅子並べたスペースがある。
お互いに腰を下ろしリゼははっとなった。またフランの髪がぬれている。彼女が気づいたことにフランも気づいた。「どう?」とでも言いたげな反応をうかがうような視線を向ける。
夫がまた彼女にバスの介助を頼んだことに胸が苦しくなった。妻の心情に寄り添ってくれないことで、目の前が暗くなる。リゼははっきり不快を示したのに。彼女の体格が優っているというが、リゼがこれまでこなしてきて取り立て不便もなかった。
「この階段は使わないのですか?」
フランは入ってすぐの階段を眺めている。上の階の賃借人は外玄関内の階段を使うから、本来の階段は登った先に扉をつけ鍵をかけてしまっていた。互いの私生活の自由を守るためだ。
「上の階には何家族が入っているのでしょう?」
繰り返す関係のない問いは気まずさの現れかとも思った。リゼはそれらに答えず口火を切った。
「キッドの要望に関わらず、バスの介助は今後止めてほしいの。わたしで間に合っているから」
「そうですか……。ご主人が何とおっしゃるかしら」
「それはあなたには考えてもらわなくていい問題よ。わたしと夫とで解決しますから。それから、わたしたちはお友だちではないわ。必要があって相応の代価を支払って仕事をしていただいているの。その関係に相応しい態度を心がけて」
リゼの言葉にフランは一瞬目に怒りの色を灯したが、ややして視線を下げ頷いた。
「…奥様を不快におさせして申し訳ないです。こちらは居心地がよろしいお宅で、奥様もご主人もお優しいからつい家族みたいな気分で増長してしまいました。前のお屋敷は待遇がひどかったので……」
フランはうつむいて涙を拭う仕草を見せた。そのしょげて肩を落とした様子に、リゼは立場の弱い人をいたぶっているような罪悪感を思った。
「きつい言い方をして申し訳ないけれど、看過できない様子だったから。気をつけもらえればそれでいいの」
そうして彼女を解放した。互いに気まずい時間だったが、絶対に必要な会話だった。嫌な残業を終えた気分だ。
話を終え居間に向かった。そこに先に戻ったフランの姿はなくキッドのみだ。彼はリゼを見るなり、責める口調で問うてきた。
「フランに何か言ったのか?」
「彼女がどうかして?」
「泣いていたよ。僕が声をかけても首を振るだけで寝室に行ってしまった。君はどうして彼女をいじめないと気が済まないのかな。自分にないものを持っているからといって、妬んだ感情をぶつけるのはみっともないよ」
「……あなたにはどう振る舞っているのか知らないけれど、彼女、わたしへの態度はとても無遠慮なものだったの。不快だからそれを注意しただけよ」
「君は優れた人に対する劣等感が強いんだ。そんないじけた感情で彼女をなぶって気が晴れるのかい? 上に立った気分でいるのかい?」
「そんな……」
キッドは立ち上がり居間を出た。開け放したドアからフランの寝室をノックする音が聞こえる。
「フラン、僕だ。妻が申し訳ない……」
キッドの声も聞こえた。フランはそれに応じるのかまでは離れたリゼには届かない。眺めているのも嫌でリゼはキッチンに向かった。
さっきフランに注意した際、彼女はしおらしく反省した態度を見せた。なのに、そのすぐ後で夫には傷つけられた少女のように振る舞って見せた。
(何なの?)
泣きたいのはリゼの方だった。言葉には気をつけたし感情的にもならなかった。あの程度の注意で泣き出すような精神で、家庭教師がよくも務まったものだと思う。
以前工房の従業員がリゼのフランへの信頼に苦言をくれたことがあった。彼女が見せるわずかな部分でもって人物を判断してしまうのは早計だ、というようなことだった。
(本当にその通りだわ)
苦い思いで振り返る。
メイドが作ってくれていた煮込み料理を火にかけた。ため息だ。ふとまた昨夜と同じようにキッチンの窓を眺めていた。そこからやはり昨夜と同じ誰かがタバコを吸いつけているのが見えた。
(フランには辞めてもらおう)
リゼはこれまで工房の経営者として大きな決断を経験してきた。何かを切り去る決定は初めてのものだったが、そこに迷いはない。
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