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第七話 今世の問題
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今世の人生の指針を高らかに宣言したヒースクリフ。
だが、根本的な問題にいきなり直面する。
「ここは……どこだ?」
イーソン村。
内なる自分の知識が教えてくれる。
(だから、そこはどこだ……?)
それ以上の情報は彼の中には眠っていなかった。
(参ったな……)
ヒースクリフは教育を受けたことがなかった。
自分の国の名前すら知らない。
加えて、文盲である。
農奴の中では決して珍しいことではなかったが、それらの無教養が今の彼の足を引っ張っていた。
(とりあえずは情報を集めねばな)
基本方針を決定する。
(これまでの生活を続け、ゆくゆくは外に出て行こう)
ヒースクリフとしての意識は前世の覚醒によりだいぶ弱まっていたが、この決断は彼の八歳の子供としての意識が影響していたのかもしれない。
彼には前世のハルデンベルグには見られなかった親族・故郷への執着が見られた。
ハルデンベルグであれば、この瞬間にもいきなり村を飛び出して大きな町を探しまわったことだろう。
「イーソン村か」
渋い表情を浮かべる。
「やはり、知らないな」
彼の記憶の中には、イーソン村なる村は無かった。
(これはまずい状況かもしれん)
彼のヒースクリフとして生きた知識を参照するに、ハルデンベルグの慣れ親しんだ習俗と大きな違いはない。
なにより、言語・文字が同じだったのだ。
細かいところでは無数の違いがあるが、言葉が同じように理解できるということはここは王国の内部なのではないかと推察した。
(そもそも俺がこの村の名前を知らなかっただけの可能性がある)
(だが──────)
(時間が経ちすぎていて村の名前が変わっている可能性や、そもそもここが王国ではない可能性もないとはいえん)
そしてヒースクリフは微妙な表情を浮かべた。
その顔は八歳にしては大人びすぎた複雑な感情をたたえており、人に見られれば気味悪がられただろう。
(時間か──────)
脳裏をよぎったのは愛しい少女の姿。
(エリザベスは、どうしているだろう)
(俺が死んだときに、彼女は。泣いてくれたのだろうか)
そんなことが気にかかる。
また、気にかかることがひとつ。
(メルヴィル……)
自分に代わって勇者となった少年のことだ。
(やつはどうしているだろうか)
不思議と彼に対する怒りは弱まっていた。
前世では自分を追い落としたことを、確かに憎んでいたはずなのに。
(転生の弊害かな……)
彼はそう考えてメルヴィルに関する思索を打ち切った。
(にしても、自分の住む国の名前すら知らんとは)
無学な平民めと軽蔑しそうになる感情が立ち消えになる。
(今は俺自身が平民だった……)
更にヒースクリフとしての意識が、平民蔑視に苛立ちを露にする。
自分で考えたことに自分で苛立っていることに、ヒースクリフは面白みを覚えた。
(それにしても……)
村の周りの風景やそれまでヒースクリフとして生きてきた記憶を浚っても、ここがどこなのかわからない。
(農奴身分というのは厄介だな)
苦々しい表情を浮かべる。
そら、今だって──
「おい、何やってんだボンクラ!」
水桶が投げつけられる。
昨日までのヒースクリフなら頭部に命中していただろう。
その死角から迫る投擲。
それを今の彼は目もむけずに華麗に躱した。
だが、投げた主はそんなことには気が付いていないらしい。
「足を止めてる暇はないよ!今年は領主様に収める租税が全然足りてないんだ!!何度も言ってるでしょうに!!」
更に喚きながら続ける。
「お前のようなガキの手も借りなきゃあどうしようもないってんだよ!」
ヒースクリフは黙って水桶を拾うと、小道に沿って川辺に向かった。
苛立たなかったと言えばウソになる。
だが、ヒースクリフとしての意識は母親に逆らうことをよしとしなかったのだ。
ハルデンベルグの常識からすれば荒々しすぎるその小太りの女は、今世の母親であった。
前世の記憶により力を得た彼は最早己の身一つで身を立てることも可能だったが、ヒースクリフとしての故郷や家族への執着にやはりかなり強く引っ張られていたのかもしれない。
(家族か……)
前世の兄の姿が脳裏を過る。
(また兄上にお会いできるときが来るのだろうか)
しかし、自分の考えていることのばかばかしさを思い返して苦笑いした。
(いや、今お会いしたところで貧民の汚いガキだと思われるだけだな……)
(そもそも、兄上は俺を──────)
せせらぎが聞こえて小川が見えてくると、二人の兄が待ち構えていた。
無論、ハルデンベルグを売り飛ばした前世の兄ではない。
今世の親愛なる兄弟である。
だが、この二人はヒースクリフにとっては苦手な相手だった。
いつも年少の自分に仕事を押し付けてさぼろうとし、二人がかりで虐めてくる。
今回もこれまでの例にもれなかった。
「おい、ヒース!三杯全部、桶を持ってけ!!」
「優しい兄貴たちが持たせてやるって言ってんだよ!」
二人の兄たちは何が楽しいのかにやにやと笑っている。
(こいつら……)
前世の彼であれば、許さじとばかりに大暴れしていたかもしれないが、ヒースクリフは唯々諾々と従うだけだ。
生まれてからの8年間の記憶は、前世の記憶のもたらした可能性に目を瞑らせるには十分だった。
いや、そうではないのかもしれない。
前世ではここまでストレートに家族に感情をぶつけられることは無かった。
嬉しかったのだろうか。
面従腹背を決めた前世の実兄とは全く違う、今世の兄弟たちの純粋さが。
たとえそれが好意ではない感情だとしても。
「こら!悪ガキども!!」
背後から怒鳴り声が聞こえてくる。
「げえっ!母ちゃんだ!」
「よこせ!ヒース!!」
母親が来るのが見えると、兄たちはヒースクリフの手から水桶をひったくって走りだした。
よほど母親が怖いと見える全力疾走だ。
(……底辺共が)
前世の自分が嫌悪感を露にするのをヒースクリフは振り払って、兄たちが戻った方に走り出した。
だが、根本的な問題にいきなり直面する。
「ここは……どこだ?」
イーソン村。
内なる自分の知識が教えてくれる。
(だから、そこはどこだ……?)
それ以上の情報は彼の中には眠っていなかった。
(参ったな……)
ヒースクリフは教育を受けたことがなかった。
自分の国の名前すら知らない。
加えて、文盲である。
農奴の中では決して珍しいことではなかったが、それらの無教養が今の彼の足を引っ張っていた。
(とりあえずは情報を集めねばな)
基本方針を決定する。
(これまでの生活を続け、ゆくゆくは外に出て行こう)
ヒースクリフとしての意識は前世の覚醒によりだいぶ弱まっていたが、この決断は彼の八歳の子供としての意識が影響していたのかもしれない。
彼には前世のハルデンベルグには見られなかった親族・故郷への執着が見られた。
ハルデンベルグであれば、この瞬間にもいきなり村を飛び出して大きな町を探しまわったことだろう。
「イーソン村か」
渋い表情を浮かべる。
「やはり、知らないな」
彼の記憶の中には、イーソン村なる村は無かった。
(これはまずい状況かもしれん)
彼のヒースクリフとして生きた知識を参照するに、ハルデンベルグの慣れ親しんだ習俗と大きな違いはない。
なにより、言語・文字が同じだったのだ。
細かいところでは無数の違いがあるが、言葉が同じように理解できるということはここは王国の内部なのではないかと推察した。
(そもそも俺がこの村の名前を知らなかっただけの可能性がある)
(だが──────)
(時間が経ちすぎていて村の名前が変わっている可能性や、そもそもここが王国ではない可能性もないとはいえん)
そしてヒースクリフは微妙な表情を浮かべた。
その顔は八歳にしては大人びすぎた複雑な感情をたたえており、人に見られれば気味悪がられただろう。
(時間か──────)
脳裏をよぎったのは愛しい少女の姿。
(エリザベスは、どうしているだろう)
(俺が死んだときに、彼女は。泣いてくれたのだろうか)
そんなことが気にかかる。
また、気にかかることがひとつ。
(メルヴィル……)
自分に代わって勇者となった少年のことだ。
(やつはどうしているだろうか)
不思議と彼に対する怒りは弱まっていた。
前世では自分を追い落としたことを、確かに憎んでいたはずなのに。
(転生の弊害かな……)
彼はそう考えてメルヴィルに関する思索を打ち切った。
(にしても、自分の住む国の名前すら知らんとは)
無学な平民めと軽蔑しそうになる感情が立ち消えになる。
(今は俺自身が平民だった……)
更にヒースクリフとしての意識が、平民蔑視に苛立ちを露にする。
自分で考えたことに自分で苛立っていることに、ヒースクリフは面白みを覚えた。
(それにしても……)
村の周りの風景やそれまでヒースクリフとして生きてきた記憶を浚っても、ここがどこなのかわからない。
(農奴身分というのは厄介だな)
苦々しい表情を浮かべる。
そら、今だって──
「おい、何やってんだボンクラ!」
水桶が投げつけられる。
昨日までのヒースクリフなら頭部に命中していただろう。
その死角から迫る投擲。
それを今の彼は目もむけずに華麗に躱した。
だが、投げた主はそんなことには気が付いていないらしい。
「足を止めてる暇はないよ!今年は領主様に収める租税が全然足りてないんだ!!何度も言ってるでしょうに!!」
更に喚きながら続ける。
「お前のようなガキの手も借りなきゃあどうしようもないってんだよ!」
ヒースクリフは黙って水桶を拾うと、小道に沿って川辺に向かった。
苛立たなかったと言えばウソになる。
だが、ヒースクリフとしての意識は母親に逆らうことをよしとしなかったのだ。
ハルデンベルグの常識からすれば荒々しすぎるその小太りの女は、今世の母親であった。
前世の記憶により力を得た彼は最早己の身一つで身を立てることも可能だったが、ヒースクリフとしての故郷や家族への執着にやはりかなり強く引っ張られていたのかもしれない。
(家族か……)
前世の兄の姿が脳裏を過る。
(また兄上にお会いできるときが来るのだろうか)
しかし、自分の考えていることのばかばかしさを思い返して苦笑いした。
(いや、今お会いしたところで貧民の汚いガキだと思われるだけだな……)
(そもそも、兄上は俺を──────)
せせらぎが聞こえて小川が見えてくると、二人の兄が待ち構えていた。
無論、ハルデンベルグを売り飛ばした前世の兄ではない。
今世の親愛なる兄弟である。
だが、この二人はヒースクリフにとっては苦手な相手だった。
いつも年少の自分に仕事を押し付けてさぼろうとし、二人がかりで虐めてくる。
今回もこれまでの例にもれなかった。
「おい、ヒース!三杯全部、桶を持ってけ!!」
「優しい兄貴たちが持たせてやるって言ってんだよ!」
二人の兄たちは何が楽しいのかにやにやと笑っている。
(こいつら……)
前世の彼であれば、許さじとばかりに大暴れしていたかもしれないが、ヒースクリフは唯々諾々と従うだけだ。
生まれてからの8年間の記憶は、前世の記憶のもたらした可能性に目を瞑らせるには十分だった。
いや、そうではないのかもしれない。
前世ではここまでストレートに家族に感情をぶつけられることは無かった。
嬉しかったのだろうか。
面従腹背を決めた前世の実兄とは全く違う、今世の兄弟たちの純粋さが。
たとえそれが好意ではない感情だとしても。
「こら!悪ガキども!!」
背後から怒鳴り声が聞こえてくる。
「げえっ!母ちゃんだ!」
「よこせ!ヒース!!」
母親が来るのが見えると、兄たちはヒースクリフの手から水桶をひったくって走りだした。
よほど母親が怖いと見える全力疾走だ。
(……底辺共が)
前世の自分が嫌悪感を露にするのをヒースクリフは振り払って、兄たちが戻った方に走り出した。
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