上 下
19 / 40

第十九話 言葉になんてしてやらない

しおりを挟む
 
 その日にやって来た客はいつもと違っていた。
 昼下がりの午後、ちょっと休憩しようかしらと思っていた時だった。

「邪魔するよ」

 金髪で華やかな男が入口のベルを鳴らす。
 背も高く、細身で、右目の下に泣き黒子のある男は私を見つけて手をあげた。

「やぁラピス。麗しの君よ。相変わらず美しいね」

 紫水晶の瞳が柔らかく細められる。
 ガタン、と店に来ていたサシャが包帯を取り落とした。
 薬を見ていた他の客たちは固まっている。

「ら、らら、らららラピス様。あの方って」
「帰ってもらいなさい」
「いや無理ですよ! だってあの方……」

 サシャがその場にいる全員を代表して言った。

「だだだ、第二皇子様じゃないですかぁ!」
「うん、そうだよ」

 けろりと笑う男こそ、アヴァロン帝国皇位継承権第二位。
『叡智の君』と謳われる、ルイス・フォン・アヴァロンその人だ。

「お、皇子様……!」

 誰からともなくその場に膝をつき始めた。
 予期せぬ皇子の訪問に色めき立つその場で、皇子は軽く手をあげる。

「みんな、楽にしていいよ」
「そ、そういうわけには……」
「今日はお忍びなんだ。そこのラピスぐらい楽にしていい」

 名指しで呼ばれた私は頬杖をついていた。
 公の場でもないし、この男に尽くす礼なんてお母様のお腹に置いて来たもの。
「ら、ラピス様……」サシャや周りの客に目配せする。早く出て行きなさい。

「し、失礼します……!」

 波が引くようにみんな居なくなり、その場には私と皇子が残された。
 ちなみにジャックは買い出し中である。ほんと面倒な時に来たものだわ。
 静かな部屋の中、私はため息をついた。

「で、何しに来たの」
「君に会いに」
「皇子の仕事はどうしたの。サボってんじゃないわよ」
「ちゃんと仕事はしてるさ。どうにか時間を捻出して会いに来たんだよ」
「気持ち悪いから帰ってくれる?」

 ルイスは大きく声を上げて笑った。

「相変わらずだね。僕にそんな態度を取るのは帝国広しといえど君くらいだ」
「そう。みんな外面に騙されてるのね。愚かだわ。じゃあ帰ってくれる?」
「薬屋を始めたんだね。よかったじゃないか。夢だったんだろ?」

 ほんと人の話を聞かない男ね、こいつは。

「そうね。おかげさまでね」
「おいおい、なんて言い草だ。僕は何もしてないだろ? すべては尊敬すべき兄上の仕業だ」
「……白々しい。尊敬だなんてよく言えたものね」

 そもそもこいつは私のことをどこで聞きつけて来たのかしら。
 ラディンには東門から出て逃亡したように見せかけたはずだし……
 あんまり王族に知られていると困るのだけど。

「安心しなよ。兄上は知らない」

 ルイスは見透かしたように言った。

「今後も知らせる気はない。君の居場所は僕だけのものだ」
「おえ」

 こみ上げてきた吐き気を抑える。
 夏にミンミンうるさい蝉の声より煩わしい声だ。
 私はかぶりを振ってため息をつく。

「いい加減に答えなさいよ。ほんとに何しに来たわけ? 私に会いに来たって嘘でしょ」
「嘘じゃないよ。でも本命の用でもない」

 ルイスはカウンターに手を突いた。

「ねぇラピス」

 私の顔に鼻先を近づけて、一言。

「僕と結婚しない?」

 二人きりの店内は静かだった。
 紫水晶の瞳はあふれんばかりの熱情が灯っている。

「お前と結婚ねぇ」

 私は一拍の間を置いて、

「吐き気がするわ。おぞましい」

 護身用の毒瓶を握りながら言った。
 熱烈な告白をしたルイスはつれない私の態度にからからと笑うだけだった。

「おぞましいと来たか。こっぴどく振られたものだねぇ」
「そりゃそうでしょ。お前、既に婚約者がいるじゃない。フローレンスじゃ満足できないわけ?」
「満足できないねぇ。彼女はいい子だから」

 フローレンスはカルヴァナ公爵家の令嬢で、四大貴族の血を引いている。父親は宰相を務めているし、貿易で収益を上げている領地は豊かで文句の付け所がない。ツァーリやバラン家は武力に秀でているけど、政治や治政に関してはカルヴァナのほうが上とも言える。実際、私もそういった方面でのフローレンスの手腕には一目置いているのだけど……

「彼女は根が善人だし、真面目だ。僕の遊びに付き合うどころか反抗してくれるのは君だけだよ」
「……そんなに私と婚約したいの?」
「うん。だからさ、こんな薬屋今すぐやめよ? 僕と一緒に遊ぼうよ、ラピス」

 こいつの言う『遊び』は他人を介して国内の不穏勢力を潰したり、逆に国に取って問題児になりそうな奴の処理だったりする。こいつがAという組織の方を持つなら私はB、だけどAとBは対決している……そんな感じで、私たちは何度も意見を対立させた。ほんと面倒だし、しょうもない。それもこれも、私がいる場所にこいつが介入してきたからだ。

「私を愛してるの?」
「うん。この世で一番愛してる」
「じゃあ聞くけど、お前、私のために何もかも捨てられる?」

 私が椅子に背を預けて聞くと、ルイスは眉根を上げた。

「……何もかもって?」
「言葉通りよ」

 ふ、と口の端をあげる。

「皇位継承権も、王族の血も、第二皇子の立場も、豊かな暮らしも、すべて」
「……」

 ルイスの頬が引き攣った。
 無理よね。だってこいつはルイスである前に皇子だもの。

「私はね。結婚なんて考えてないけど、もしも夫を選ぶなら私のためにすべてを懸けられる人が良いの。私を殺さなきゃ世界が滅ぶと言われても、迷わず私を選んでくれる男じゃないと結婚したくない。だって、それが愛ってものでしょ?」
「……本末転倒じゃない? 世界が滅んだら君も死ぬじゃないか」
「そうね。それでも私を選んでほしいのよ」

 私はにっこり笑った。

「お前は窮地になったら迷わず私を捨てるでしょう。悪いけどお前みたいな男、生理的に無理なの」
「うーん……うん、そうだね。今日は退散するとしよう」

 やっとわかってくれたのね……ほんと疲れる男だわ。
 こいつの前だと普段の三倍くらいため息が出て来ちゃう。
 ようやく出て行ってくれると思った途端、私は顎を掴まれていた。

「でも忘れないで」
「……っ」
「ラピス。君は僕の物だ。君はこんな薬屋で埋もれて言い人材じゃない」
「この……!」

 毒瓶の栓を抜こうとしたら「おっと」と言って離された。
 にこにこ楽しそうな笑顔の皇子が本当にムカつくんだけど、これ以上構うのも面倒なので放置する。
 皇子が出て行くと、少しの間を置き、ジャックが帰って来た。

「おかえり」
「おう」
「そこで皇子に会わなかった?」
「ぁ? 見てねーけど。来たのか」
「まぁね」

 ほんとあいつ、何しに来たんだか。
 私に会いに来たって言ってたけど……。
 あいつが欲しいのは遊び相手であって私じゃないでしょ。気持ち悪い。

 …………。
 ………………。

「ねぇ」
「あ?」

 買い出しの品をカウンターに置くジャックに、頬杖を突きながら問いかける。

「お前はこの薬屋どう思う? くだらないって思う?」
「んだよ、いきなり」
「別に」

 あいつに言われたことが気になったわけじゃない。
 ただ、こいつがどう思っているのか知りたくなっただけ。
 なんで自分でもこんなこと聞いてるのか分からないけど、それでも。

(こいつもくだらないって思ってるのかしら。だとしたら、私は……)

「アホらしい。俺の意見が必要か?」
「え?」

 後ろから頭を叩かれたような気分だった。
 下しか見えてなかった私の意識が、自然と前を向く。
 生意気なワンコの不敵な顔が、視界いっぱいに映った。

「腑抜けてんじゃねぇよ、ラピス・ツァーリ」
「……」
「何言われたか知らねぇけどな、お前は誰になんといわれようが自分の道を貫く奴だろ。お前がいいって思ったことはやりゃあいいんだよ」

 雨上がりに空を見上げたら、雲の切れ間から光が差し込むとき。
 地上を照らす一筋の光は綺麗で、心の中がすっと軽くなる感じがする。

「歯向かう奴ぁ、俺が噛み付いてやる。だから安心しろ」

 今の私もまさに、そんな感じの気持ちだった。

 ……別に、こいつの言葉で励まされたとか、そんなんじゃない。

 ただいつも突っ走って、ふと振り返った時に誰も居ない寂しい道に、こいつだけは付いて来てくれるかもしれない。私のことを天才だとか強い女だとか線を引かず、顔色も窺わず、その線を乗り越えてくる、無遠慮で、がさつで、悪ぶって、たまにいいところもある、私の下僕。

「ふん。何を当たり前のことを言ってるの」

 こいつなら、もしかしたら──。

「私は私の道を行くって決めてるのよ。黙ってついて来なさい」
「はいはい」
「ねぇ」
「んだよ」

 私は振り返った。
 顔が熱くなっているのは、きっと日差しのせい。

「……お腹空いた。ご飯作って」

 ジャックはきょとんとして、笑った。

「おう。ちょっと待ってろ」

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

役目を終えて現代に戻ってきた聖女の同窓会

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,684pt お気に入り:77

復讐なんてとんでもない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:12

秘密の男の娘〜僕らは可愛いアイドルちゃん〜 (匂わせBL)(完結)

Oj
BL / 完結 24h.ポイント:156pt お気に入り:8

百鬼夜荘 妖怪たちの住むところ

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:937pt お気に入り:16

やり直せるなら、貴方達とは関わらない。

BL / 連載中 24h.ポイント:5,271pt お気に入り:2,714

処理中です...