薬屋の魔女は押しかけ婿から逃れられない!

小桜けい

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1巻

1-3

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『――従者とか言われても、あたしたちも困るしね。人狼のやり方は知らないけれど、誰か一人に数年も従者をさせるなんて、ちょいと不公平な感じだろ? それなら交替で、たまにフィオナと店の様子を見に行ってもらおうと、ガルナ族のおさに「娘と店を守ってくれ」って頼んだよ』
『――私たちがあまりそばにいられないぶん、時々でも様子を見にきてくれる人が増えるのは喜ばしいと思ってね。ガルナ族は、良い人たちだったよ。店にきたら、お茶でも出してあげてくれ』

 両親は人狼たちの申し出を、遠く離れて暮らす娘の安否確認に使いたかっただけなのだ。

「つまり両親は、私とこの店が無事かどうか時々見にきて欲しいという意味で『娘と店を守って』とお願いをしたの。でも、言い方が不十分だったせいで、『店を守ってくれ』と、エルダーのお父さんに誤解されてしまったのね。お騒がせして本当にごめんなさい」

 無言で手紙を凝視ぎょうししているエルダーに、フィオナは頭を下げた。

「そういうことで、エルダーが無理に私と結婚する必要なんてないの。こうしてきてくれたことで、もうお礼はしてもらったわ。経緯とお騒がせしてしまったおびを手紙に書くから、故郷へ持って帰って。そうすればあなたも心置きなく、自分の好きな相手を探せるでしょう?」

 命を救われたからといって、結婚を強制されたのではエルダーもたまらないだろう。人生の大切なことを決める自由をなくしては、助かった意味がない。そういう面でも、両親が恩返しに娘と結婚しろなんて要求をするはずはなかった。
 これで万事解決……と、思ったのだが。

「ま、待ってくれ!」

 なぜかエルダーは喜ぶどころか、悲痛そのものといった表情になった。

「え?」
「さっき、結婚相手は自分で決めるよう、ご両親に言われたと話していたが……もう既に、フィオナは心に決めた相手がいるのか?」
「いえ。まだいないわ」

 正直に答えると、彼はそわそわと視線を彷徨さまよわせて息を吸い、キッとこちらを見据える。
 何事かとフィオナが身構えると、彼は重々しく口を開いた。

「フィオナ……俺は魔法薬こそ作れないが、魔物の狩りは慣れているし、店番や家事もそれなりに自信がある。そして人狼の男は、結婚したら相手の女性を生涯大切にする」
「へぇ、家事も仕事もできて奥さんも大切にするなんて、理想の結婚相手って感じね」

 フィオナは素直に感心した。
 エルダーは見た目が良いだけでなく、なかなか多方面に有能な男のようだ。
 それならさぞかし故郷でもモテただろうし、婿むこ入りせずにすめば、喜ぶ人狼の女性は多かろう。そう思った瞬間、彼がテーブル越しに身を乗り出した。

「そう思ってくれるか!? アーガス夫妻の頼みは誤解だったにせよ、ぜひとも俺は婿むこ入りしたいと思う。フィオナに好きな男がいないのなら、前向きに考えて欲しい」
「ええっ!?」

 驚きのあまり、危うく手にしたカップをひっくり返すところだった。

「たった今、俺を理想の結婚相手だと言ってくれただろう」
「い、いえ……それはあくまでも一般的な認識で……単に能力と条件の話というか……」

 なんの冗談かと思ったが、エルダーは至極真面目な表情だ。

「私に好きな人がいないとか、条件が理想的とか、そういう問題ではないでしょう? いくらなんでも今日会ったばかりの人と結婚なんて……それともあなたは、見ず知らずの私とどうしても結婚したい事情でもあるの?」

 顔を強張こわばらせながら、おずおずと尋ねる。
 婿むこ入り話が誤解だったのを喜び、大手を振って帰るのが普通では……?
 フィオナは、そういぶかしむうちに、ふとある可能性に辿たどりついた。
 ――『やっと……会えた』
 抱きつかれた時に聞こえた彼の言葉を思い出して、心臓が大きく脈打つ。
 もしかしたら両親はフィオナの性格や容姿をガルナ族に詳しく知らせていて、エルダーも義務感だけでなく、話に聞いた恩人の娘に好意を持ったからこそ、婿むこ役に志願したのかもしれない。
 フィオナとて魔力と体質が少し変わっているだけで、ごく普通の年頃の娘だ。恋を知らなくてもあこがれはある。
 エルダーがこうしてフィオナを実際に見て気に入ったので、誤解と判明しても結婚したいと食い下がっている……ということならまんざらでもない。
 エルダーは唐突とうとつで強引なところもあるが、フィオナが近寄るなと言えばそうしてくれたし、自分の行為がまずかったと素直に認め謝ってくれたのにも好感が持てる。
 彼が、本来の約束通りに時おり様子を見にきてくれるなら、これからも会う機会はある訳だ。すぐに求婚を受けられなくとも、交友を深めるくらいはしてみたい。
 ドキドキしながらエルダーの返答を待っていると、彼がとても言い辛そうに切り出した。

「いや、何と言うかその……おさの父をはじめ村の主だった年寄り衆は、アーガス夫妻の要望が誤解だったと言われたら全員ショックで寝込みかねん。一族の命を受けた恩返しなのに、たまに様子を見に行くくらいでは、全然つり合わないからな」
「え……本当に、そんな理由!?」
「俺はおさの息子の内で唯一の独身であるし、こういう場合はおさの家系の者が、責任を持って義務を果たすのが当然だと思っている。先ほどは感激のあまり抱きついてしまったが、もうフィオナを無理におそう気はないから安心してくれ」

 キッパリ断言され、フィオナのはかない期待はものの見事に打ち砕かれた。
 つまり彼は、恋愛感情なんか全くないのに結婚を申し込み、その相手に嬉しそうに抱きついたということだ。
 嬉しそうだったのも、別にフィオナへ好意を持っていたためではなく、『恩人の娘』という存在に会えたことで、おさの息子として『義務』を果たせるという意気込みゆえだろう。
 勝手に自惚うぬぼれた希望を抱いたのはこちらだから、いきどおる気はない。
 それでも、もう一度聞いてみることにした。

「……一応聞くけれど、エルダーの一族の人は全員、両親から私のことを詳しく聞かなかったの?」
「夫妻からフィオナについて聞いたのは、名前と年齢と、ここで薬屋をしていることのみだ」
(――はい。よく解りました。完全に義理ですね)

 あっさりと答えたエルダーを、フィオナは胡乱うろんな目でながめる。
 考えてみれば人狼の村は、小さな独立国家も同然だ。そこに住む人狼たちをたばねるおさは、いわば国王で、その息子のエルダーは王子さまというところか。
 人間の王族だって政略結婚は珍しくないのだし、彼がそういう感覚で育ったなら、結婚に恋愛感情など不要と言うのもうなずける。
 ちょっと話を聞いただけで見も知らぬ相手に恋をしたなんて夢みたいな話より、よほど現実的だ。
 溜息ためいきを呑み込み、フィオナも現実的に問題解決を考えることにした。
 すなわち、どうしたらこの押しかけ婿むこ志望の人狼にとっととお帰り願い、かつガルナ族の人狼たちにもショックを与えずにすむかだ。
 実際の会話を聞いていないのでなんとも言えないが、両親の言い方が良くなかったのも、彼らが誤解をした原因かもしれない。
 エルダーや彼の父に、見知らぬ相手との結婚という重い選択をさせた上、あっけなく追い返して、村中に気まずい思いをさせるのは忍びない。
 フィオナが眉間にしわを寄せて考え込んでいると、唐突とうとつにエルダーがポンと手を叩いた。

「それなら、婿むこでなく住み込みの護衛兼店番として、俺をここに置く気はないか?」
「エルダーを店で雇えということ?」

 意外な提案に、フィオナは目をしばたたかせた。

「こちらの都合でここに居たいだけだから、手伝いはするが賃金を寄こせなどとは言わない。一年経ってもフィオナが俺を受け入れられなければ、婿むこ入りをあきらめて故郷に帰る。それだけの期間をつとめれば皆も恩義を果たしたと納得するはずだ。後は本来の約束通りに、時々様子を見にくるに留める」
「うーん……護衛と、店番……」

 思いがけぬ魅力的な提案に、フィオナの心が揺れる。
 ちょうど、手伝いを一人雇いたいと思っていたのだ。
 最近は冒険者の増加に伴って店の客も多くなった。おかげで売り上げは増えたが、一人では手がまわらなくなってきている。
 睡眠時間を削って調合しているので、頭の働きが緩慢かんまんになって失敗も増え、そのせいでさらに作業時間が延びて寝る時間が少なくなるという悪循環におちいっていたのだ。
 それに、魔法薬作り以外にも、客の応対や棚の整理など仕事は山ほどある。
 誰か一人雇って魔力と関係のない仕事を請け負ってもらえば調合に集中できると考え、先月思い切って女性限定で求人を出してみたのだ。
 祖母の使っていた寝室がいているから、住み込みの個室も提供できる。
 真面目につとめてくれるのなら数か月くらいの短期でもかまわないし、場所の不自由さの代わりに、賃金には相場より色をつけたって良い。
 しかし、転移魔法陣で簡単に街と行き来できる地下商店街ならともかく、地下十五階なんて場所では流石さすがにまともな人材の確保は難しかった。
 求人票には女性限定と記載していたのを無視して、募集を見たと数人の男がやってきたが、いずれもろくでもないことをたくらんでいたらしい。
 いくら愛想笑いを浮かべても、店の者へ悪意を持っていれば中には入れない。
 カウンターの結界は、住居用の戸口にもほどこされているのだ。
 やってきた男たちは、ことごとく結界に弾き飛ばされて面接終了。見事、全員不採用となった次第である。

(私の様子見を頼まれたなら、エルダーは父さんと母さんから護衛の紹介状を持ってきたようなものよ。彼を雇えば、お互いに助かるじゃない!)

 脳裏で、疲れきった自分がささやく。

(確かに、期間限定で雇うなら、私にとっても都合が良いのよね……)

 フィオナは魔法薬を作れるだけではなく、魔法も使える。
 でも、攻撃魔法はともかく、どうしても防御魔法を上手く使いこなせない。他人に短時間ならかけられるけど、自分には全くかけられないのだ。
 にもかかわらず、ついつい目をらし、防御魔法なら祖母が大得意なのだからとあまり練習しなかった。
 その怠惰たいだのツケは、祖母が亡くなってからしっかりと味わうことになる。
 この階からつながる自然洞窟どうくつは、魔法薬の材料になる動植物が豊富で、以前なら祖母に防御呪文をしっかりとなえてもらえば、一人でも安心して材料集めに行けた。
 また、食料や生活用品は、商店街の店に定期配達してもらっているけれど、時には急に必要なものを買いに行きたい時もある。店から片道三時間はかかる地下商店街までの道のりも、祖母の防御魔法をかけてもらえば、平気で行けた。
 それが今はできないので、商店街へ行きたい時や、ダンジョン内で魔法薬の材料を集める時には、通信魔法を使って護衛を依頼している。
 しかし地下商店街の護衛斡旋所あっせんじょも、カザリスの好景気でダンジョンを訪れる観光客が増えて人手不足が続き、最近はなかなかすぐにきてもらえない。
 そのため、材料集めの際には目くらましの魔法などを駆使くしして、魔物を必死で振り切って逃げていた。だけどそれでは不便で仕方なく、ますますストレスと疲れが蓄積ちくせきしていく。

(信用の置ける人なら、店番と雑務をしてもらえるだけでも十分だと思っていたけれど、護衛まで兼任してもらえるのなら……)

 グラグラ、グラグラと、フィオナの心がいっそう揺らぐ。

「……エルダーは転移魔法陣で地下商店街にきた後、ここまで一人できたのよね?」

 護衛も務めてもらうならこの程度は必須なので念のために確認すると、エルダーは肩をすくめた。

「一人できたが、転移魔法陣は使わなかった。俺は婿むこ入りする気だったし、ダンジョン内の様子を一階からとりあえず見ておきたかったんだ」
「ダンジョンの一階から!?」

 予想以上の返答にフィオナは驚き、壁際に置かれた重そうな荷物を凝視ぎょうしした。

「じゃあ、ダンジョンの入り口まで登るのは大変だったでしょう。ほとんどの人は転移魔法陣を使っちゃうから、街から山の中腹までの道は荒れ放題で通りづらいし、下手をすればダンジョンの上階より凶暴な魔物もいるって聞くわ」
「そう苦労はしなかった。あれくらいの魔物や荒れた山道は、故郷ではごく普通だ」

 簡単に言ってのけたエルダーに、フィオナは目を丸くした。
 普通と言うが、転移魔法陣を使わずにダンジョンに入ろうとすれば相当に苦労すると、マギスや他のお客さんから聞いている。
 それを楽々とこなしたエルダーを護衛に雇えば、さぞ頼もしいだろう。
 フィオナは無意識に腕を組み、深く考え込んだ。
 店だけでなく住居部分にしても、誰かが店主に害をなそうとしたら、すぐ結界の作用で外に放り出される。
 だが店を一歩出れば結界の効果はないので、雇うなら信用の置ける相手でなくては困る。
 その点エルダーは、誠実そうな人物に思えるが……

「やっぱり、いくらなんでも初対面の男の人と、いきなり同居っていうのは……」
「俺が無理に押し倒しやしないかと、警戒しているのか」

 エルダーの声に、フィオナはハッとする。

「あっ! ご、ごめんなさい」

 フィオナは耳まで一気に熱くなった。真剣に考え込むあまり、いつのまにか考えていることを口に出してしまっていたらしい。
 しかしエルダーは軽く肩をすくめて苦笑する。

「先ほどの失態を考えれば、フィオナが疑うのも当然だ。だから、条件を提示しよう」
「条件?」

 首をかしげると、エルダーが椅子から立ち上がった。
 次の瞬間、陽炎かげろうのようにその姿がゆらいで消え、代わりに一頭の金色の狼が現れた。

「わぁっ」

 フィオナの口から、思わず感嘆の声があがる。

「この姿は気に入ったか?」

 少し得意そうに言ったエルダーに、フィオナは夢中でうなずいた。

「最高に素敵よ」

 人に近い姿でも目を奪われたくらい素敵な狼耳と尻尾だから、完全に狼の姿となったらもっと見事だろうと思っていた。
 しなやかな体躯たいくおおう金色の毛並みの美しさは、想像よりはるかに素晴らしい。精悍せいかんな顔立ちに、とがった形の良い鼻と、濃い金茶色のするどい目。これほど引きつけられる狼を、フィオナは初めて見た。
 エルダーがゆったりと尻尾を揺らす。

「住み込みでのつとめを認めてくれるのなら、フィオナは俺の尻尾でも耳でもどこでも、好きなだけで放題というのは? 勿論もちろん俺からは決して必要以上にフィオナに触らない」
「ええっ!」

 思いもかけぬ魅惑的な提案に、フィオナはガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
 どうやら、さっきからエルダーの尻尾や耳に視線を向けていたことに、彼はちゃんと気づいていたようだ。

(この、綺麗な毛並みをモフモフし放題……っ!)

 不敵な笑みを浮かべた金色の狼を前に、フィオナはプルプルと身を震わせたが、すぐに食いつくなとおのれいましめた。

(こんなにあっさりエルダーのペースに呑まれたら、なんだかんだで今後も丸め込まれ、気づいたらなし崩しに婿むこ入りを了承させられていそうだわ)

 ここはやはり、毅然きぜんと断るべきだ。フィオナは腹に力を込めてエルダーをにらむ。
 二人の視線がぶつかり、見えない戦いの火花が散った……ような気がした。

「か、考えたけれど、やっぱり……」

 フィオナが口を開いた瞬間、エルダーが片方の前足を優雅ゆうがにあげて、クルリとひっくり返す。すると、他よりやや濃い色の短い毛と、ぷっくりした黒い肉球がフィオナの目に飛び込む。

「毛並みだけでなく、肉球も触らせるが、どうだろうか」
「……本当に、プニプニさせてくれる?」

 勝負あり。両手で顔をおおい、フィオナは誘惑に屈した。
 狼にとって足は命だ。ジルでさえ、肉球をプニプニさせてくれるのは、相当機嫌のいい時だけである。足跡スタンプを取らせてもらうまで、どれだけ頑張ったことか。

勿論もちろん、フィオナなら毛並みでも肉球でも好きなだけ触らせる。交渉成立だな?」

 瞬時にエルダーが狼から人の姿に戻った。ニヤリと口の端を上げた彼は、服装の乱れもなく、さっきまで狼だったのが嘘みたいだ。

「まだよ」

 フィオナは首を横に振り、居間のすみにある文机ふづくえの引き出しから一枚の紙を取り出す。
 開店準備から閉店後の片づけまでの就業時間。お休みの曜日。お給金の額など、一通りを記した求人用紙だ。
 あまりにも良い人がこなかったので、がっかりして地下商店街の求人ボードから外して机にしまったきりだったけれど、捨てずにとっておいて良かった。
 万年筆で、女性限定と書いた部分を消して、護衛分の賃金をプラスしてからエルダーに渡す。

「賃金やお休みについては、ここに記載してあるものでどうかしら?」
「気持ちはありがたいが、無理に押しかけて雇わせたも同然だ。住み込ませてもらうだけで充分だから、賃金を受け取る訳にはいかない」

 困惑顔の彼に、フィオナはきっぱりと告げる。

「あなたを雇うのなら、これはゆずれないわ。きちんとした労働には対価を支払うべきよ。自分は給金に見合った働きをしていると、責任とほこりをもっておつとめをしてもらうためにもね」

 そう言うと、エルダーは面食らったような顔で頭をいた。一通り用紙に目を通した彼は、丁寧にたたんでポケットにしまい微笑む。

「文句なしの好待遇だ」
「良かった」

 求人をするなど初めてだったから、内心ドキドキしていたフィオナは胸をでおろす。

「では改めて、今日から宜しくね」

 そう言ってエルダーに片手を差し出すと、彼はわずかに驚いたようだったが、フィオナの手を軽くにぎり人好きのする笑みを浮かべた。

「こちらこそ、宜しく頼む」

 金色の尻尾をパタパタ揺らしているエルダーはとても嬉しそうで、フィオナまでホッコリと幸せな気分になる。
 ひとさわぎあったが、なんだか心身の疲れが少しいやされた気分だった。



   二 ダンジョンにきた理由


 ――銀鈴堂の初代店主は、リリーベルという青銀の魔女で、貴族令嬢だった。
 青銀の魔女は、昔から大魔女とあがめられた一方で、陽射しを浴びることで体調を崩すなど、空の神にいとわれた魔物だとまれる風潮もあった。
 リリーベルの生まれた当時は、特に貴族の間で、青銀の魔女は魔物という迷信が横行していたのだ。
 かつてそんな話がなかった時代には、貧しい庶民階級に生まれた青銀の魔女を、魔力の強い子孫を残すため王侯貴族がこぞってめかけとして囲っていたらしい。
 そうして、多くの貴族の家系に青銀の魔女の血が混ざっていったが、やがて貴族社会に偏見が広まると、権力者たちは手の平を返し始める。
 貴族の家系から青銀の魔女についての記録は抹消まっしょうされ、極まれに青銀の魔女が生まれたら赤子のうちに殺すなど、家名を汚さぬようひた隠しにした。
 そのせいか、元から滅多に生まれなかった青銀の魔女はいっそう少なくなり、表向きには高貴な貴族階級には生まれないとされたのだ。
 リリーベルの両親も、典型的な選民主義の貴族だった。
 高貴な血筋の自分たちの間にまわしい青銀の魔女が生まれるはずがない。魔物が悪戯いたずらで子を取り換えたのだと、生まれた娘を躊躇ためらわず殺そうとした。
 だが、罪のない赤子をあわれに思った産婆が、その屋敷の当主――つまり、リリーベルの祖父に助命を訴えたので、間一髪で生き長らえたという。
 聡明そうめいな祖父は、くだらぬ迷信で赤子を手にかけるなど言語道断だと息子夫婦を叱責しっせきし、リリーベルを自分の庇護ひご下において人目に触れぬようひっそり育てることにした。
 孫が青銀の魔女という事実を恥じたのではない。自分の考えがどうであれ、当時の貴族社会では、まだまだ青銀の魔女が生き辛いのを考慮しての措置そちである。
 屋敷の一角にリリーベルをかくまい、産婆やごく少数の信頼できる使用人だけをそばに置いた。
 そして普通の貴族令嬢のような淑女教育ではなく、魔法と基礎学問、市井しせいに関する事柄、それから一人でも困らず生活していけるだけの家事全般を熱心に学ばせたのだ。
 祖父は心身ともに健康であったが、高齢でおそらくリリーベルが成人する前に寿命を迎えるだろうと承知していた。
 そうなれば貴族社会にリリーベルの居場所はなくなる。
 両親は、都合の悪い娘の存在は無視を決め込み、その後に生まれた跡ぎの男児と別宅で暮らしているが、祖父が死に家督かとくげばやしきへ移り住み、全ての財産を牛耳ぎゅうじる。
 そうなればリリーベルは両親に殺されるか、良くて一生幽閉ゆうへいなど、ろくな目に遭わないはず。
 そのため、リリーベルは一人になっても、市井しせいたくましく生きる力が必要だった。
 だが、青銀の魔女は陽の下では暮らせない。
 孫娘の今後に頭を悩ませていたある日、祖父は旧友のドワーフにリリーベルの話をした。すると、そのドワーフは自分たちの村へ人間を住まわせることは難しいが、できる限り近くで受け入れようと提案してくれた。
 そして、青銀の魔女であるリリーベルが、両親の追っ手と陽射しをけて暮らしつつその才を生かせるよう、ダンジョンの地下で魔法薬店をいとなむように勧めたのだ。
 ほどなく祖父が亡くなると、思った通りリリーベルの両親は、まわしい娘を殺そうとした。
 だが、彼女はドワーフの助けを借りてさっさと逃げ出し、生まれ育った地から遠く離れたカザリスで貴族の身分を捨て、ただの身寄りのない娘として新しく人生を始める。
 祖父からひそかに渡されていた資金でダンジョンの一画を買い取り、ルブ族のドワーフに建ててもらった住みよい家に強力な結界魔法をかけて、魔法薬店『銀鈴堂』を開いたのだ。


「――この場所に店を構えているのは、そういうことだったのか」

 フィオナが手短に店の成り立ちを伝えると、エルダーは納得がいったという風にうなずき、改めて室内をグルリと見回した。

「父さんたちから話を聞いてないなら、ダンジョンの奥で一人暮らしなんて、エルダーや村の人たちは妙だと思ったんじゃないかしら?」

 フィオナが苦笑すると、エルダーがビクンと肩を揺らす。

「そっ、それは、不思議に思っていた。ダンジョンは女性が暮らすには危険すぎるところなのに、よく一人で平気だと……」

 しどろもどろの話しぶりを見るに、やはり予想は当たったらしい。
 エルダーや彼の一族は、フィオナが青銀の魔女だとは知らなかった。
 なにかしらの事情があってダンジョンで暮らす可哀想な娘だと同情していたのなら、フィオナの両親が娘のそばに頼れる男を置くために、強靭きょうじんな人狼との結婚を望んでいると思い込んだのもうなずける。

「そう思うのは無理もないわ。初代店主リリーベルは青銀の魔女でも特に強い魔力の持ち主だったの。彼女が強力な結界を店に残してくれなければ、私だってここで暮らすのは流石さすがに無理よ」

 それを聞くと、エルダーが首をかしげた。

「だったら、なぜ街に移り住まず、無理をしてここで店を続けるんだ?」
「え……」
「今や青銀の魔女は伝説みたいな存在で、俺もフィオナに会うまで、話を聞いたことしかなかった。だが、青銀の魔女が魔物だという迷信は、詐欺さぎ祈祷師きとうしが流した嘘だと今では広く知られている。それに初代店主は事情があったからダンジョンに隠れ住んだにせよ、長年ここで店をやっているのなら、この辺りの人に青銀の魔女は問題なく受け入れられている訳だろう?」
「それは、そうだけど……」
「この店には歴史と思い入れがあるのかもしれないが、自身の安全の方を重視するべきじゃないか? あれだけ見事な回復薬を作れるのなら、どこの街で薬屋を開いてもきっと重宝され、皆に受け入れられる。日光に当たらないよう気をつければ、安全に暮らせると思うが。アーガス夫妻だって、フィオナを心配しているからこそ、俺たちに見守るよう頼んだはずだ」

 正論を突きつけられたフィオナは、一瞬顔をゆがめそうになった。

「あなたがそう考えるのはもっともよ。その方がよほど合理的で安全だと、私も理解できるわ。でも、さっきの……リリーベルの話には続きがあるの。それが今も、この場所に銀鈴堂がある理由よ」

 ――ダンジョンに魔法薬店を開いたリリーベルは、順調な人生を送った。
 ドワーフ村の住人は親切で、冒険者も効果が高い魔法薬を良心的な値で売る青銀の魔女をむことはなかったからだ。


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