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〝人殺し〟との再会 ③
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そんな治療が続いた、五日目のこと。母との面会中に、彼は突然やってきた。
「整形外科医の、久我上白哉です」
救急で運ばれた杏依の手術を行ったという彼は、思っていたよりもずっと若い。後で聞いた話だが、彼は当時三十三歳だそう。
眉目秀麗ながらも冷たそうな顔つきの彼は、周りを黙らせるような威圧的オーラを孕みながら、静かに低い声で杏依に告げた。
「単刀直入に言います。その右腕、切ったほうがいい」
「え……」
言葉を失った。治ると信じて、あの痛みに耐えてきたのに。切るって――
「このまま残しても、右腕の機能低下は免れません。使い物にならなくなる可能性が極めて高い」
「じゃあ、なんで残したんですか!」
まだ力の入らない、けれど感覚だけは確かにある右腕を、思わず左手でかばった。この腕が無くなったら、ピアノが弾けなくなってしまう。
白哉は何も言わずにこちらを睨む。そんな空気を緩めようとしたのか、母が慌てたように口を開いた。
「お母さんが頼んだの。できるだけ、腕は残して欲しいって。杏依がまたピアノを弾けるようにって――」
言いかけた言葉を、白哉が手で遮った。
「右腕を切らないと最初に判断したのは私です。ですが、事態が変わった。切った方がいい。残したとしても、飾りにしかならない」
「飾りって――」
それは、切っても切らなくても右腕が使えなくなる、ということを示唆している。
「もう、ピアノは弾けないってことですよね」
「九十九パーセント、機能が元に戻ることはありません」
「なに、それ……」
涙がぽろぽろと溢れ出した。
子どものころから、ピアノが大好きだった。音大に入って、器楽科でピアノを学んで、海原楽器にピアノ講師として就職した。
杏依の生きてきた二十四年間は、常にピアノと共にあったのだ。
「切らないとどうなるんですか?」
「洗浄治療をあと三か月は続けることになる。それと並行して左手のトレーニングとリハビリをすることになるかと」
杏依は奥歯を噛みしめた。
毎日眠れなくて、睡眠薬を飲んでいる。鎮痛剤も飲んでいる。それでも痛いし、恐怖で毎日疲れるのに、そのうえリハビリにトレーニングなんて……。
どんなにこらえようとしても、涙が止まらない。
どうして自分だけ、こんな目に遭わなきゃいけないのか――。
「切るか?」
杏依は深呼吸をした。決断するのは、自分だ。
ぎろりと鋭い瞳が、杏依を睨む。杏依は腹をくくった。
「…………切ります」
「これ、同意書」
手渡されたそれに、慣れない左手で、ぐにゃぐにゃと曲がったサインをした。
もう、逃げられない。杏依は、腕を切らなければならない。
「整形外科医の、久我上白哉です」
救急で運ばれた杏依の手術を行ったという彼は、思っていたよりもずっと若い。後で聞いた話だが、彼は当時三十三歳だそう。
眉目秀麗ながらも冷たそうな顔つきの彼は、周りを黙らせるような威圧的オーラを孕みながら、静かに低い声で杏依に告げた。
「単刀直入に言います。その右腕、切ったほうがいい」
「え……」
言葉を失った。治ると信じて、あの痛みに耐えてきたのに。切るって――
「このまま残しても、右腕の機能低下は免れません。使い物にならなくなる可能性が極めて高い」
「じゃあ、なんで残したんですか!」
まだ力の入らない、けれど感覚だけは確かにある右腕を、思わず左手でかばった。この腕が無くなったら、ピアノが弾けなくなってしまう。
白哉は何も言わずにこちらを睨む。そんな空気を緩めようとしたのか、母が慌てたように口を開いた。
「お母さんが頼んだの。できるだけ、腕は残して欲しいって。杏依がまたピアノを弾けるようにって――」
言いかけた言葉を、白哉が手で遮った。
「右腕を切らないと最初に判断したのは私です。ですが、事態が変わった。切った方がいい。残したとしても、飾りにしかならない」
「飾りって――」
それは、切っても切らなくても右腕が使えなくなる、ということを示唆している。
「もう、ピアノは弾けないってことですよね」
「九十九パーセント、機能が元に戻ることはありません」
「なに、それ……」
涙がぽろぽろと溢れ出した。
子どものころから、ピアノが大好きだった。音大に入って、器楽科でピアノを学んで、海原楽器にピアノ講師として就職した。
杏依の生きてきた二十四年間は、常にピアノと共にあったのだ。
「切らないとどうなるんですか?」
「洗浄治療をあと三か月は続けることになる。それと並行して左手のトレーニングとリハビリをすることになるかと」
杏依は奥歯を噛みしめた。
毎日眠れなくて、睡眠薬を飲んでいる。鎮痛剤も飲んでいる。それでも痛いし、恐怖で毎日疲れるのに、そのうえリハビリにトレーニングなんて……。
どんなにこらえようとしても、涙が止まらない。
どうして自分だけ、こんな目に遭わなきゃいけないのか――。
「切るか?」
杏依は深呼吸をした。決断するのは、自分だ。
ぎろりと鋭い瞳が、杏依を睨む。杏依は腹をくくった。
「…………切ります」
「これ、同意書」
手渡されたそれに、慣れない左手で、ぐにゃぐにゃと曲がったサインをした。
もう、逃げられない。杏依は、腕を切らなければならない。
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