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番外編
エメラルドの恋 前編
しおりを挟むそれは、隣国に短期留学するというミレーネの歓送会の日に起こった。
なんでもラゴマリア王国の西部に隣接するクレサンバル王国は、彼女の好きなエメラルドやダイヤの採掘量が他国より抜きん出ているらしい。採掘体験ツアー付きのその留学案内のパンフレットを見せてくれた時のミレーネの興奮ぶりは凄まじかった。普段は冷静な彼女からは想像できないぐらい。
それにしても………
「私は、イメルダのためを思ってお誘いしているのです」
「いいや、違う。これは単なる君のエゴだ」
「何を仰いますか。貴方の方こそ、」
「まだ結婚していない彼女を送り出せるわけがないだろう!」
「結婚していないから独身最後の旅行になるんじゃありませんか。これだから器の小さい男は……」
腕を組んで溜め息を吐くミレーネの前で、引くつく笑顔を浮かべているのはレナード。グレイスと私は少し離れたところから、お茶を飲みながらその様子を伺っていた。
ことの始まりは、留学先のクレサンバルにミレーネが「遊びに来てほしい」と誘ったこと。当然だけど二つ返事で答える私たちの隣で、居合わせていたレナードが自分も同行すると言い出した。
それを聞いたミレーネが眉を顰めて「淑女会に男性は不要」と返したので、現在の口喧嘩が勃発したわけで。
「良いか?この際だからハッキリ言わせてもらうが、イメルダは君の友人だが俺の婚約者でもある」
「誰のお陰でそこまで上り詰められたと?」
「……君の助太刀には感謝している。ドット兄妹の婚約披露宴で彼女を救ったのは君の功績だよ。だが、流石にもう、そう何度も言わないでほしい」
「死ぬまで言わせていただきます」
「ミレーネ……!」
いつも私たちより大人びた姿を見せるミレーネ・ファーロングが、レナードの前だとこうして子供のように躍起になって張り合うのはなんだか見ていて新鮮だ。
「二人はきっと息が合うのね」
思わず漏らした感想を聞いて、睨み合う両者は「どこが!」と同時に振り向いた。後ろでグレイスが笑い転げる声が聞こえる。
結局その後はグレイスに引っ張られてミレーネは退散し、私はレナードと二人で嵐が去った私の部屋でお茶を楽しんでいた。晴れて彼の婚約者になれたけれど、未だにこうして二人になると酷く緊張する。
「彼女、ちょっと意地悪過ぎやしないか?」
「ふふっ…そうかしら?」
ムスッとした顔でミレーネを批判する王子の姿は面白い。
レナードが太陽ならば、ミレーネは私にとって月のような存在だ。過度に自分の意見を押し付けたりしないけれど、必要となればいつでも手を差し伸べてくれる距離にいる。その優しさに自分が甘えていないか、時々心配になるぐらい。
「カミュはたぶん分かってくれると思うよ」
「そうねぇ」
レナードの視線の先でカミュはただ愛くるしい黒い瞳をキラキラさせていた。私はお茶のお代わりを頼もうと、メイドを呼びに行くために立ち上がった。
我が家のメイドたちは何故かレナードが私の部屋を訪問する時、気を利かせて二人にしてくれる。どうしてなのか聞いたこともあったけれど、曖昧に笑って誤魔化された。
「イメルダ、何処へ行くの?」
「メイドを呼ぼうと思って。まだ何か飲むでしょう?」
「それは後で良いよ。もう少し二人で話したい」
「………っ!」
手を引かれてそう言われれば、座るしかない。
私は借りてきた猫よろしく、大人しく席に座り直した。自分の家なのにこんなに緊張しているのは変な話だと思う。恐る恐る顔を上げた先で、レナードは真っ直ぐに私を見ている。
エメラルドの瞳には私が映っていた。
この双眼を独占する日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「ごめん、子供みたいなことを言いたくないけど……君が友人と楽しそうにしているのを見ると、嬉しい気持ちと同時に嫉妬を覚える」
「嫉妬……ですか?」
「俺が知らない姿を彼女たちは知ってるわけだろう?」
「……それは、そうですけど」
思い返すのは三日前、パジャマパーティーと称して三人で各々の思う「一番ダサいパジャマ」を持ち寄って語り明かした夜。私の用意した父ヒンスの似顔絵付きパジャマはかなり好評で、グレイスはあわや過呼吸になるぐらい笑っていた。
少し笑みが溢れた私を不審に思ったのか、レナードが覗き込む。
「ほら、またそんな顔をして笑う」
「ごめんなさい。でも、貴方しか知らない姿だってあるわ」
「本当に?見当も付かないな……」
そう言って含んだ笑いを見せるレナードは絶対に確信犯だと思う。私は頬に添えられた温かい手に安心して目を閉じた。
しかし、唇が重なる前にドサッと重たい音が響いた。
「ちょっと…!貴女が押すから!」
「私は押していないわ。グレイスの紙コップが滑ったのよ」
「……っ、グレイス!ミレーネ!」
目を遣った先には紙コップ片手に罰が悪そうな顔をするグレイスと、レナードを睨み付けるミレーネの姿があった。
元婚約者同士による口喧嘩の第二ラウンドが開始するまでにそう時間は掛からず、結局三人仲良くルシフォーン公爵家を去る頃にはもう夜になっていた。
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