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02 重なる言葉
しおりを挟む「「あの、」」
終わりを告げようとした瞬間、イーサンの方も身を乗り出した。驚いて私たちは見つめ合う。
「あ、ごめん。ただ一言伝えたかったんだ。すごく綺麗だよ。明日君と結婚出来るのが、とても楽しみだ」
「………、」
照れながらそんなことを言われると、言葉に詰まる。相手は白昼堂々と宿舎で浮気していた男なのに、と私は狼狽える自分を叱責した。
忘れてはいけない。
同じことを繰り返しては意味がないのだ。イーサンの母親がとてつもない曲者だという事実は変わらない。そして、彼が浮気をしていたことも。
(だけど、変ね………)
イーサンの浮気相手が誰だったかは不明なものの、会話はぼんやりと覚えている。確か、私が死んだら二人は結ばれると言っていた。大きな病気をしていた記憶はないのに、どういうことだろう。
「ジャンヌ?」
「えっと……ごめんなさい、考え事をしてて」
君はいつも悩み過ぎるところがあるからね、と笑って頭を撫でようとするので、咄嗟に私は目を瞑った。あんなに好きだったイーサンの手が、今はひどく汚れて思えたのだ。
「あぁ、違うの、ちょっと結婚のことで……悩んでるの。私たちはまだ若いし、貴方は伯爵家の跡取りよね?これは身分差のある結婚よ。嬉しいけれど……不安が大きい」
「大丈夫だよ。父も母も喜んでる。父にとってはクレモルン男爵は弟分みたいなものだ。君たちが家族になってくれるのは本当に嬉しい」
「そう言ってくれるのは有り難いんだけど、」
彼が言っていることはまさにその通り。
王都に出て来た父ダフマンに商売の仕方を教えて面倒を見てくれたのは、ヘルゼン伯爵だ。田舎者の私たちにとって伯爵は文字通り救いの神であり、感謝すべき存在だった。
しかし、それも結婚するまでの話。
私とイーサンの結婚後、ヘルゼン伯爵は父が管理していた商会の入出金台帳を自分で管理すると言い出した。半年ほど伯爵が自ら帳簿を管理し、病気に倒れた際に父にその役割が戻ったときにはすでに遅し。ヘルゼン商会は借金の山を抱えていたという。伯爵夫人は管理の方法をしっかり伯爵に引き継がなかったせいだと父を責め、赤字を返済するために父は奔走していた。
「イーサン……結婚を考え直したいの」
「え?」
私は拳を握り締めて茶色い双眼を見据える。
「プロポーズしてもらってる立場でこんなこと言うのは失礼だって分かってるわ。だけど、不安があるまま結婚をしてもきっと結果は良くならない」
「そんな……だって、君のお父さんだって、」
「父のことは私が説得する。だからお願い、どうか私の我儘を聞いてほしい……」
「そうか。残念だな、」
悪い夢みたいだよ、と言ってイーサンは頭をクシャクシャと掻く。
悪い夢ならどんなに良かっただろう。
もしもすべてが夢で、私の妄想ならば、ここまで恐れることはない。だけど実際問題、これは現実なのだ。
イーサンたちと合流する前に、私は自分の棚の引き出しを調べた。発見された五年前の日記帳には、結婚に向けて浮かれる自分の気持ちが書き連ねてあった。アマンダがすでに開封していたマフィンの販売元であるベーカリーは、記憶が正しければ半年後に異物混入で摘発されて閉店に至る。
どうして知っているか?
まさに義母がそのマフィンを引き当てて店に直接文句を言いに行ったからだ。異物といってもプラスチック片で、店側は虚偽の訴えだと主張したが、裁判で敗訴が決定した。ベーカリーの跡地はヘルゼン商会が手掛ける宝石店になり、店が完成したときの義母の喜びようを私はよく覚えている。
「それじゃあ、ジャンヌ……気が変わったら教えて」
「ええ。ごめんなさい………」
私は項垂れるイーサンに再度謝罪をしてその場を後にした。
十月の風は素肌には冷たい。
寒くなる前に、ということで急いで結婚式を計画したのに当日は驚くほど暑かった。集まった人たちの前で私たちは愛を誓い合って、私はアマンダと父を連れてイーサンの家族と集合写真を撮ったのだ。
もう繰り返さなくて良いのだと思うと、ほっとする。誰も不幸にならない。イーサンは本当に愛する相手と結ばれるし、義母もきっと彼女が理想とする花嫁を迎えるだろう。
一人で戻って来た私を見て目を丸くする父とアマンダに「事情は後で説明するから」と伝えて、私は部屋に戻った。
この時は、すべて終わったと思っていた。
完全に安心しきっていた。
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