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01 目覚めて
しおりを挟む「…………んん、」
首を捻ったような痛みで目が覚めた。
ゆっくりと瞼を押し上げてみるものの、押し返す方の力が強過ぎて再び目を閉じる。まだ眠っていたいと身体は言っているみたい。
(すごく疲れているのね……どうしてかしら……)
ぼんやりと記憶を紐解きながら、ふるふると瞼を揺らす。何か大切なことを忘れている気がする。とてもとても大切なことを。
「ジャンヌ!目が覚めたのね!!」
勢いよく部屋に飛び込んで来た誰かが、ベッドの上にダイブした。完全に油断していたから、私は背を丸めて咽せ込む。
恐る恐る顔を上げた先に居たのは、明るい金髪にカールした長いまつ毛、愛らしい笑顔を浮かべた女。従姉妹のアマンダ・ベスだった。
「どうして………!!」
咄嗟に突き出した両腕が、アマンダの胸を強く押し返した。驚いたように見開かれた青い目が私を捉える。
驚くのはこっちなのだ。
戻っている。どういうわけか、時間が戻っている。目の前のアマンダは記憶の中の彼女よりも随分と若い。加えて、この天井の模様、母が選んだ淡いピンクのカーテンには見覚えがある。
「ここは……クレモルンのお屋敷なの……?」
母が亡くなってすぐ、一人で農地が経営出来なくなった父は農場を閉めて王都へと移住した。アマンダと私も同行したわけだが、記憶が正しければこの家は結婚前まで私たちが住んでいた小さな屋敷だ。屋敷と呼ぶにはいくらか不恰好な、古びた家。
「ど、どうしたのよジャンヌ?結婚のことを考え過ぎて疲れちゃったの……?」
「結婚………?」
ポカンとする私の前でアマンダは両手をバタバタさせた。青い目が信じられないと責めている。
「イーサン様からのプロポーズを受けたんでしょう?騎士団の男性を夫に迎えるなんて、本当に羨ましいわ。おめでとう!」
強い力でアマンダに抱き締められながら、私は頭を懸命に働かせる。
結婚の話が出ている。私はクレモルンの屋敷にまだ住んでいて、アマンダがそばに居る。ハッとしてカレンダーを探した。壁や机にめぼしいものは見つからない。
「アマンダ、悪いけど今日は何日かしら?」
「もう、十月九日よ。明日の挙式のときは、そんなとぼけたフリはしないでよね」
記憶喪失なんて勘弁よ、と舌を出して笑う従姉妹の前で私は気絶しそうになる。挙式は明日。結婚式は、明日に迫っているのだ。
「ごめん、出掛けないと!」
「えぇっ、今から?」
驚くアマンダの前でクローゼットを開けながら私は服を選ぶ。
「イーサンに会いに行くの。どうしても伝えなければいけないことがあって」
「それなら心配要らないわ」
「どうして?」
取り出したワンピースに身体を滑り込ませつつ尋ねると、アマンダは得意げに両手を腰に当てた。
「もう来てるもの。下の階で待ってるわ。今日のお土産はマフィンだったけど、先に開けちゃた。小父様も一緒だから早く来てね!」
バタンッと閉まった扉を見つめる。
イーサンが来ている?今ここに?
◇◇◇
イーサン・ヘルゼンのことを説明しようとすると、どうしても彼の母親がチラつく。母親を十五歳で失った私にとって、イーサンの母は特別な存在だった。結婚するまでに何度か食事を共にしたことはあったが、そのときの印象は悪くなかったと思う。
イーサンの母親、ペチュニア・ヘルゼンはもとは私たちと同じ田舎町の生まれである。偶然仕事で来ていたヘルゼン伯爵と結ばれた彼女は、伯爵邸に入ってからというもの平民を蔑み、貴族である自分に執着していた。
(…………嫌だわ、結婚したくない)
冷たい目線を覚えている。
教え込まれた偏った教育方針、投げ付けられた言葉、虐げられた日々を私は忘れられない。このまま結婚したって、絶対に上手くいくわけがない。
どうせいつかは浮気をされるのだ。
この結婚は、破談にしないと。
「ジャンヌ、久しぶりだね。少し痩せた?」
五年前の夫に会うのは、奇妙な感覚だった。
イーサンは肩より少し伸ばした赤毛を一つに束ねている。恋愛に疎い私はそんな彼の髪型も都会らしくて素敵だと思っていたっけ。実際、人当たりの良いイーサンを父やアマンダも気に入っていた。
「いえ、そんなに変化は……」
「さすがイーサン様!実はジャンヌったら式に向けて身体を絞っているんです。一番綺麗な姿を見せたいからって、うふふっ」
「アマンダ!」
私が注意するとアマンダは嬉しそうに笑って「良いじゃないべつに」と言った。そういえば、挙式への緊張のあまり食べ物が喉を通らなかった覚えがある。アマンダにはダイエットだと言い訳していた。
この流れで破談を申し出るのは変だ。
だけど、今日言わないともう後がない。
「あの、イーサン、少し話があるの」
「君から?珍しいな」
「お父様とアマンダはこちらで待ってて。二人で中庭を散歩してくる」
私の呼び掛けに、イーサンは立ち上がって外へと続く扉を開けた。
夏の終わりの匂いがする。
まだ花が残っている遅咲きのひまわりのせいだろうか。母が生きていた頃は、毎年アマンダと三人で種を蒔いていた。
私は先に立って歩くイーサンの背中を見つめる。
そして別れを告げるために、口を開いた。
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