16 / 31
15 五年
しおりを挟む翌週の土曜日、荷物をまとめてイーサンの部屋を訪れた私は驚愕した。部屋の主人が中に居ないのだ。
「イーサン様は今朝早くに家を出ました。ジャンヌ様には急な訓練が入ったと伝えるように、と……」
「訓練?騎士団の……?」
稀に土曜日に宿舎へ行くことはあるものの、今日は予定を空けてくれると言っていたはず。朝食の席に居なかったが、てっきりまだ眠っているだけだと思っていた。
落胆する私の背中に、別のメイドから呼び掛けがあった。どうやら電話が入っているらしい。クレモルン男爵からです、という伝言を受けて私は受話器を握る。
「お父様?」
『あぁ、ジャンヌ!すまないが今日のキャサリンの墓参りは別日で向かうことにする。アマンダがひどい腹痛でね、一人で置いて行けないんだ』
「えっ、大丈夫なのですか?私もお見舞いに向かいます」
『しかし、ハンベルクの家には訪問することをすでに伝えてあるんだ。申し訳ないが、今日はお前だけで行ってくれないか。キャサリンの墓には必ず私も後日伺う』
よほど慌てているのか、電話はそのまま切れた。
ハンベルクとは母キャサリンの旧姓。義理の親ゆえに父の口からは断り辛いのかもしれないけれど、私一人で墓参りに行くというのもどうなのか。
私は電話機の前でしばらく立ち尽くす。
イーサンは用事、アマンダは病気で父はその看護。いずれも仕方ないことなので、誰かを責めるわけにもいかない。
(別に良いわ、息抜きになるもの……)
私は厨房で作った不恰好なサンドイッチを自分のバスケットに詰めて、ヘルゼン伯爵家を後にした。当たり前に量が多すぎるから、木の影にでも座って鳥に与えても良い。
伯爵家の車はすでに夫妻を乗せてチャリティーイベントに出発していたため、私は近くのバス停からバスに乗った。ゴトンゴトンと心地良い揺れの中で、眠気が襲って来る。
もう五年も経ったなんて。
母キャサリンは優しい、穏やかな人だった。
どこか頼りない父の隣でいつだってさり気無くその背中を支えていた。アマンダを引き取ると言い出したのも母親で、金銭的に余裕がないと嘆く父親に向かって珍しく強い口調で諭していたのを覚えている。
自分が正しいと信じたことには一直線に向かって行く。優しいけれど、芯のある人だった。
もう一度会えるならどんな話をしよう?
ヘルゼン伯爵家で上手く生き抜くためにどうすれば良いか知りたい。心が潰れてしまいそうなとき、どんな風に寂しさを逃せば良いか知りたい。嫌な思い出を早く忘れるために、どんな対処が出来るか。
自分を裏切った人間を、もう一度信じることは出来るのか。
「………んん、」
激しい揺れに身体を起こせば、バスはすでに田舎道を走っていた。わずかに開いた窓からは潮の匂いがする。海が近くなっている証拠だ。
母の生家であるハンベルクの屋敷は、海沿いの小さな街にあった。夏の休暇で海を訪れていた農地出身の父が、海辺で遊ぶ母に一目惚れしたことが出会いのきっかけだと聞いている。
幼い頃は、自分もそんな風に運命の相手と巡り会うのだと信じていた。アマンダと二人で将来の計画を立てながら、無邪気にただ、信じていた。
私がヘルゼン伯爵家に嫁いだことで、クレモルン男爵家の生活環境は少し改善されたはず。金銭的に我が家がヘルゼンの恩恵を受けていることは、明白。
このまま結婚を続けた方が良いのだろうか。
今世ではイーサンも浮気をしない可能性がある。今のところ、義母からの風当たりが強いことを除けば、ヘルゼンでの暮らしが辛過ぎることはない。
ガタンッと再度大きく揺れたのを合図に、バスは停留所に到着した。私はバスケットを片手に車体から降りる。目の前には広大な海が広がっていた。
「分かってはいたけど……結構急な坂ね、」
せっせと足を動かしてはいるが、登れども登れども墓地は見えて来ない。祖父に当たるハンベルク子爵の家にも顔を出してみるつもりだ。アマンダ曰く結婚式には来てくれていたみたいだけど、てんやわんやで挨拶出来なかったから。
母が死んで五年。
一人でここへ来るのは初めてかもしれない。
ようやく見えて来た無機質な四角い石の群れに、私は安堵の息を吐いた。いくつかの墓石には訪問者の手によって花が手向けられている。
「お母様……ジャンヌよ、久しぶり」
用意してあった花束を台の上に置く。
種類が絞れず、花好きな母のために多種多様な花を盛り込んで作ってもらった。きっとこの場に母がいたら、顔を近づけて「良い香り」と笑うのだろう。
「私ね、イーサンと結婚したの。こんなこと言うと驚くと思うけど、実は二度目の結婚よ。本当に上手くいくと思う……?」
一度目の人生では夫は浮気をした。私は驚いて逃げ出して、短い生涯を終えた。
死にたくはない。
だから、今回はイーサンとの縁談を破談にしようと思った。だけどそれは想像していたより難しくて、さまざまな事情を考慮した結果、私はヘルゼンの家に嫁ぐことになった。
「………お母様が生きていたら、と思うことがよくあるの。一人だと気持ちが沈むことも多くて……情けない話よね、」
ヘルゼン伯爵家はペチュニアの城。味方を作ることは容易ではなかった。冷静に考えたいのに、焦るのは気持ちばかり。
緊張が解けたせいか、涙腺が緩む。溢れてくる涙を拭こうとハンカチを探していたところ、背後から声を掛けられた。
「また何処かへ食事を届けに行くのか?」
驚いて振り返った先には、相変わらず無愛想な顔で金髪の男が立っていた。視線の先には四人分のサンドイッチがあったので、私は慌てて奥へと押し込む。
「団長様!どうしてこちらに……!?」
「このあたりに家がある」
「こんな遠方から宿舎まで通われているのですか?」
「君も知っての通り、平日は宿舎で寝泊まりしている。そういえば今日はヘルゼンは?」
「夫は訓練があるそうです。本当は、一緒に来る予定だったんですが………」
「訓練……?」
ユーリは不思議そうに聞き返したが、そのとき頭上でゴロゴロと何やら不穏な音が鳴ったので揃って空を見上げた。
「降りそうだな」
「そのようですね」
小粒の雨が肌の上に落ち始めた。素早く荷物をまとめて丘を下ろうとした私の腕を、ユーリが掴んだ。
「これは親切心からのアドバイスだが、次のバスが来るまでに一時間以上掛かる」
「じゃあ、待ちます」
「この雨の中を?」
返答に困る私の手首を離して、ユーリはなにか考えるような素振りを見せた。再び空を見上げて、私の顔を見る。
「雨宿りぐらいはさせてやる」
そう言って歩き出した背中を、はじめは呆然と見つめていたが、数秒後意味を理解して慌てて後ろを追い掛けた。
140
あなたにおすすめの小説
【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。
しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」
その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。
「了承しました」
ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。
(わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの)
そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。
(それに欲しいものは手に入れたわ)
壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。
(愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?)
エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。
「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」
類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。
だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。
今後は自分の力で頑張ってもらおう。
ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。
ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。
カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*)
表紙絵は猫絵師さんより(。・ω・。)ノ♡
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、そして政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に行動する勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、そして試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私が、
魔王討伐の旅路の中で、“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※「小説家になろう」にも掲載。(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
公爵令嬢は逃げ出すことにした【完結済】
佐原香奈
恋愛
公爵家の跡取りとして厳しい教育を受けるエリー。
異母妹のアリーはエリーとは逆に甘やかされて育てられていた。
幼い頃からの婚約者であるヘンリーはアリーに惚れている。
その事実を1番隣でいつも見ていた。
一度目の人生と同じ光景をまた繰り返す。
25歳の冬、たった1人で終わらせた人生の繰り返しに嫌気がさし、エリーは逃げ出すことにした。
これからもずっと続く苦痛を知っているのに、耐えることはできなかった。
何も持たず公爵家の門をくぐるエリーが向かった先にいたのは…
完結済ですが、気が向いた時に話を追加しています。
【完結】婚約者様、嫌気がさしたので逃げさせて頂きます
高瀬船
恋愛
ブリジット・アルテンバークとルーカス・ラスフィールドは幼い頃にお互いの婚約が決まり、まるで兄妹のように過ごして来た。
年頃になるとブリジットは婚約者であるルーカスを意識するようになる。
そしてルーカスに対して淡い恋心を抱いていたが、当の本人・ルーカスはブリジットを諌めるばかりで女性扱いをしてくれない。
顔を合わせれば少しは淑女らしくしたら、とか。この年頃の貴族令嬢とは…、とか小言ばかり。
ちっとも婚約者扱いをしてくれないルーカスに悶々と苛立ちを感じていたブリジットだったが、近衛騎士団に所属して騎士として働く事になったルーカスは王族警護にもあたるようになり、そこで面識を持つようになったこの国の王女殿下の事を頻繁に引き合いに出すようになり…
その日もいつものように「王女殿下を少しは見習って」と口にした婚約者・ルーカスの言葉にブリジットも我慢の限界が訪れた──。
遊び人の侯爵嫡男がお茶会で婚約者に言われた意外なひと言
夢見楽土
恋愛
侯爵嫡男のエドワードは、何かと悪ぶる遊び人。勢いで、今後も女遊びをする旨を婚約者に言ってしまいます。それに対する婚約者の反応は意外なもので……
短く拙いお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
このお話は小説家になろう様にも掲載しています。
お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た
あなたが残した世界で
天海月
恋愛
「ロザリア様、あなたは俺が生涯をかけてお守りすると誓いましょう」王女であるロザリアに、そう約束した初恋の騎士アーロンは、ある事件の後、彼女との誓いを破り突然その姿を消してしまう。
八年後、生贄に選ばれてしまったロザリアは、最期に彼に一目会いたいとアーロンを探し、彼と再会を果たすが・・・。
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる