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第一章 ジャンヌ・クレモルンの結婚
21 二度目の知恵
しおりを挟むもちろん、なんの根拠もなく言い出したわけではない。
私には一度目の人生で得た知識があった。
ロゼリア王国は確かに四方を海で囲まれた島国であり、以前バッカスが嘆いていたように物によっては公爵家の圧力が掛かって自由な輸入が行えない状況になっている。
だけど、紅茶の茶葉や特定の高級品に関しては、個人で国外の取引相手を見つけて商売に繋げる人たちが居た。実際に前回の人生では、ヘルゼン伯爵が足を運んで契約を結んだ鉱山でそこそこのエメラルドが発掘され、その年の商会の売り上げはかなりの利益を叩き出した。まぁ、気を良くした夫人が知り合い相手に大盤振る舞いを繰り返して、翌年には契約切れになるのだけど。
とにかく、前みたいにヘルゼンの屋敷の中に居るだけでは外の世界のことが分からない。夫の浮気に気付くこともないし、自分の地位も向上しない。ペチュニアの言うところの「良妻」とは、つまり言い換えれば、彼女の言うことを黙って聞くだけの「奴隷」。
私はもう二度とそんな道を辿らない。
二度と、同じ過ちは繰り返さない。
「えっと……それで何故僕に?」
目をぱちくりとさせるクリストフの手にバスケットを押し付けて、私は頭を下げた。
「貴方にしか頼めないんです。もしも夫が誰か他の隊員と特別親しくしていたら、こっそり私に教えてくれませんか?」
「う、浮気を疑っているんですか!?」
「いえ……ただ、夫は交友の幅が広いので、何の取り柄もない私なんかは捨てられるんじゃないかと心配で……」
嘘ではない。イーサンは昔から男女問わず無駄に知り合いが多く、ヘルゼンの屋敷がパーティー会場と化すことも少なくなかった。
義母は毎度嬉しそうにしていたが、彼らが集まるたびに私は自分が屋敷の召使いになったような気がしていた。なんといっても、料理の調理から給仕、空いた皿の片付けまですべて手伝うことになる。妻たるもの、と言われれば反抗出来るわけもなく、出席者から料理の味が褒められたら、すかさずイーサンは得意げに「母の直伝だ」と言っていた。
結婚してもうすぐ一ヶ月になるから、イーサンが友人たちを集めて騒ぎ出すのもそろそろだろう。今週末は親しい友人が遊びに来ると言っていたから、もしかすると準備に追われるかもしれない。
「しかし、ヘルゼンくんも幸せ者ですね!料理上手で一途な良妻がいらっしゃるなんて、羨ましい限りです!」
ニコニコと笑うクリストフに、少し胸が痛んだ。
実際の私は自分の身を守るために奔走しているだけだ。夫の心変わりを警戒しながら、より良い環境を求めて生きている。果ては離縁を見据えているから、良妻と呼ぶには程遠い。
屋敷で作ってきた焼きたてのパンの説明をしている最中、何処かへ出掛けていたのかユーリが宿舎へ帰って来た。後ろには以前見た大男を連れている。
「また弁当を?」
澄ました顔でそう尋ねるので、私は感情を抑えて笑顔を作った。
「いいえ。前回お弁当をお譲りした関係で、クリストフさんとはお友達になったんです。今日はパンを焼いて来ました。夫にも届けたのですがまだ余っていて、団長様もいかがですか?」
「………考えておく」
パンを食べる上でいったい何を考えるのか。
追求したくなる気持ちはあったが、私は「左様ですか」と微笑んだ。彼が簡単に人を信じないというのは本人から聞いている。社交辞令的な誘いなので、食べてもらえるとは思っていない。
チラチラと視線を送る大男の方にも同じことを聞いて、食べると答えたので一つ渡した。バターが良い具合に馴染んだロールパンは、焼きたてが一番美味しい。
「ユーリさん……宿舎のパンの十倍は旨いです」
強面の顔でそんなことを言うので、私は思わず声を上げて笑った。人を見た目で判断してはいけないと言うけれど、ゴードリーというこの大男は顔に似合わずパン屋巡りが趣味らしく。
「十倍どころじゃありません!百倍です」
「もう一つ良いですか?」
「あ、じゃあ僕も……」
ゴードリーとクリストフが背中を丸めてバスケットの中を覗き込むのを見守った後、私は別れの挨拶を交わして騎士団の宿舎を去った。
これからさっそくヘルゼンが営む宝飾品店に行く予定なのだ。店に滞在する時間は一時間と決められているけれど、行き帰りの道中でもしっかり気を引き締めておかないと。
ヘルゼン商会として、毛皮の輸入口を取り付ける。結果を出せばきっと、伯爵は私を正式に商会の運営側として引き入れてくれるはず。
伯爵家の中で掃除婦として人生を終えるなんてあんまりだ。もしも、いつかまたイーサンが心変わりしたとしても、私自身が生き延びる手段を考えないと。
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