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第一章 ジャンヌ・クレモルンの結婚
31 日記
しおりを挟む「あぁ……最悪だわ。クレモルンのお屋敷に置いて来たのね。せっかく計画を練ろうと思ったのに、」
私は肩を落として椅子に座り込む。
クレモルン邸に帰っていた期間、結婚する前の二十歳の自分が付けていた日記を見直していた。お花畑のような自分の心中は見るに耐えなかったけれど、薄目で読み飛ばした。
今の私は外見こそ二十歳だが、中身は二十五歳のジャンヌ・クレモルンだ。すべてではないけれど、覚えていることもあるから、未来に起こり得る重大なイベントも日記に追加した。ヘルゼン商会がベーカリーの土地へ移転したこと、当主であるバッカス・ヘルゼンの病気が発覚した時期なんかを。今は記憶がしっかりあるものの、いつどのタイミングで忘れてしまうか分からないから。
(今度屋敷に行ったときに取って来ないと、)
クレモルンの小さな屋敷を思い返すと同時に、綺麗に微笑むアマンダの顔が浮かぶ。
信じたくない。大切な家族が、姉妹のように育った従姉妹が、自分の夫と浮気しているなんて考えられない。第一、アマンダはそんな素振りを見せなかったはず。
ぼんやりと眺めた化粧台の鏡の前には、アマンダから受け取った赤い紅が置かれていた。血のような朱色を、今は身に付ける気になれない。
明日になれば、イーサンが帰って来る。
週末、真偽を確かめなければ。
ぐるぐると部屋の中を歩き回ってみるものの、どうしても落ち着かない。上手くできるのかどうか、自信はまったくなかった。
壁に掛かった時計で時間を確認して、少し早いけれどヘルゼンの宝石店に顔を出すことにした。ここでずっと鬱鬱と過ごすよりかは、街を歩いて店へ向かった方がずっと良い。
昼時を過ぎているせいか、大通りにもそこまでの人手はなかった。時折すれ違うのは年配の夫婦か、連れ添って歩く夫人たちぐらい。家事や育児から解放された女性たちの姿は、眩しく見える。
ショーウィンドウを覗きながら店までの道を歩いていると、背中に声が掛かった。
「ヘルゼンさんの奥様ですか!?」
その大きな声に私が驚きながら振り返る。
こっちに向かってぶんぶんと手を振る若い女の顔を眺めながら、懸命に記憶を辿った。
赤い髪をお団子に結った女は、人懐っこい笑顔を浮かべてこちらに近付いて来る。両手で抱えた大きなケーキの箱を見て私は「あっ」と声を上げた。
「食事会にいらしていた……?」
「はい、そうです!ヘルゼンさんと二年遅れで入隊した第三部隊のマリーです。こんな場所で奥様にお目に掛かれて嬉しいです!」
買い物ですか?と尋ねられたので、私は頷いて散歩の途中だと答えた。
マリーと名乗るこの赤毛の女は、たしかヘルゼン邸でのパーティーでサンドイッチの味を褒めてくれた人だ。クリームとパンの組み合わせを絶賛してくれたからよく覚えている。
「マリーさんは今日はお休みですか?」
「はい!前に土曜に出勤したことがあったので、部隊長が休みをくれたんです。団長は不服そうでしたけど、私の権利なのでこうして楽しんでいます!」
ムンと嬉しそうに胸を張る姿が、どことなく人の良いクリストフ・ピボットと重なった。昨日は宿舎で会えなかったけれど、元気だろうか。
二人して並んで歩きながら、話題は自然と騎士団での生活へと移った。
「私はまだ入隊して年数が経っていないのでお休みもバラバラですけど、ヘルゼンさんはご家庭もあるので基本土日はお休みですよね。宿舎での生活は地獄なので、帰れて羨ましいです」
「マリーさんは家に戻れないのですか?」
「新人は長期休暇でもないと家には帰れません。これまでは抜け出して外に出る隊員も居たらしいですが、ユーリ団長に変わってからはさっぱり……」
「あぁ、厳格な方だと聞いています」
相槌を打つと、マリーは口をへの字に曲げて大袈裟に嫌そうな顔をした。
「厳格っていうか、悪魔です。外面だけは天使みたいですけど、鬼教官ですよ。騙されちゃいけません」
「ふふっ、皆さん同じことを言うんですね」
あまりに必死な顔で力説するので、私はたまらずに吹き出した。ロゼリア騎士団の団長は本人の知らないところで評判を広めているようで。
私たちはあれこれと話題を変えながら大通りを通り抜け、裏道へと入った。そろそろ店が近付いたので「また今度」と切り出そうとしたところで、マリーが足を踏み入れようとしている店の看板が目に入る。
「あら、コリーナ洋裁店に行かれるんですか?」
「はい。母の店なんです!」
満面の笑みで言われて、私は仰天した。
ここ数日悶々としていた気持ちが、少しずつ晴れていくのを感じる。私は意を決してマリーの方へと踏み出した。
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