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第一章 ジャンヌ・クレモルンの結婚
32 変化
しおりを挟むゆるやかな音楽が流れる店内に、考え込むマリーの口元から漏れる唸り声が響いていた。
「うーん………ヘルゼンの商品をうちの店で?それも毛皮の販路を見出すなんて……」
「無謀でしょうか?」
「いえ、ちょっと……かなり……難しいなと」
「だけど、やってみないと分かりません。きっと必要としている人は多いと思うんです。公爵家が仕入れに圧力を掛けているようなので、」
公爵家が、とオウム返しに繰り返すマリーに私は義父から聞き齧った話を共有する。赤毛の女は短く唸り声を上げて口を開いた。
「公爵家なら、知り合いのツテがあります」
「ありがとうございます。でも一応、そっちもアテがあるんです。自分で確認を入れてみようと思います」
「商いの世界は色々と複雑ですからねぇ。ロゼリアの国民としては、単に良い商品が流通してくれたらそれで良いんですけど」
はぁ、と大袈裟に溜め息を吐いてマリーは着飾った人形の方へと目を向ける。様々な衣装に身を包んだグラマラスな人形たちは、各々ポーズを取っていた。
しばらく沈黙が続いた後、そろそろ宝石店へと戻ろうと立ち上がった私の手をマリーが握った。
「あの、奥様!」
「はい?」
「母に気に入られたんですよね?」
「え、えぇ……まぁ」
「一つ方法があります!手っ取り早くて、確実な方法が!」
ポカンと立ち尽くす私の腕を引いてマリーがズンズンと歩き出す。その勢いに引っ張られるがまま、私はコリーナ洋裁店の奥へと入って行った。
◇◇◇
「ジャンヌ様………?」
ヘルゼンの宝石店へと戻った私を見て、店の女たちはみんな揃って口をあんぐりと開ける。
私はどんな顔をすれば良いのか分からず、斜め下を向いたままで「おはようございます」と挨拶を返した。長い沈黙が再び訪れる。
「えっと……すみません、少し派手でしょうか?」
「いえ!とんでもありません!」
おずおずとお伺いを立てた私に帰って来たのは、背後からの力強い声援だった。コリーナ洋裁店から付き添ってくれたマリーが前へと進み出る。
「ヘルゼン商会で宝石を売る方が真面目な学生みたいな容姿で居るのは勿体無いと思います。それに奥様は、この通り綺麗です」
ヘルゼン先輩は知ってるのかしら、と首を傾げるマリーの後ろで私はそわそわと手を擦り合わせる。だって落ち着かないのだ。こんなに身体のラインが出る服を着るのは初めてだし、お化粧だって普段とは随分と違う。
目当てのコリーナには会えなかったものの、マリー曰く洋裁店の店主は相手の美的センスの高さをよく見る人だそうで。
確かに今まであまり気にしては来なかった。
恥ずかしながら努力らしいこともせず、最低限の清潔感には配慮しつつも、女としての価値はおそらく低かったのだろう。
「ありがとうございます……マリーさん」
大切なことに気付くことが出来た。
ヘルゼンの屋敷に入って、ペチュニアの顔色だけを窺って生きて来たけれど、私にはまだ私の人生が残っている。
大人しく言い付けを守っていたところで下される評価はどうせ悪妻。それならばいっそ、堂々と悪妻として生きてみようか。
「リップが少し薄いですねぇ。儚い感じが良いかと思ったんですが、もっと濃い色はお持ちですか?」
私はマリーの目を見据えて笑顔を作った。
「はい。ちょうど真っ赤な口紅をもらったところだったんです。使いこなせないと思っていたけれど、マリーさんに教えていただいたお化粧には合いそうですね」
「まぁ奥様、それは安心ですね!」
「私のことはジャンヌと呼んでください。これからも仲良くさせていただきたいので、お母様にもよろしくお伝えいただければと思います」
「ぜひ……!」
嬉しそうに私の手を取るマリーを見ながら、これからのことを考えていた。
ヘルゼン商会の中で結果を残す必要がある。バッカス・ヘルゼンが私の力を認めてくれるぐらいの功績を何か。ただ酷使される側から、信頼を得て頼られる立場にならないと。簡単に切り捨てられる捨て駒のままでは、前回と変わらない。
「マリーさん、私ワクワクしてきました」
「へ?」
「新しい可能性を教えてくれてありがとう」
「え、可能性……?」
不思議そうに目を丸くするマリーの手を握り返す。何もかも諦めて涙を流すには、まだ早い。
「良い変化になりそうです」
あの赤い口紅を付けて会いに行ったら、アマンダは驚くだろうか。もう道化役は懲り懲りだから、私はこの役割を受け入れるつもりだ。
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