遠くて近い世界で

司書Y

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狂犬と引きこもり 1

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 ◇N駅前:翡翠◇

 N駅前。街は喧騒に包まれている。
 2月某日。天気予報が今年一番の寒波。と、お決まりのセリフで表現していた天気は誇張でも何でもなく、刺すような寒気が街を支配していた。じっとしていると指先から凍ってしまいそうだ。けれど、週末の街は行きかう人で溢れている。
 手を繋ぎ笑いあう家族連れ。何がそんなに楽しいのか大声ではしゃぐ学生の群れ。これから飲み会なのか、スーツを着たサラリーマンたち。そして、肩を抱き寄り添う恋人たち。街を行く人たちはみな幸せそうだ。少なくとも、表面上は。

 核が使用されなかったことと引き換えに、長期化した大戦が、終結して40年。技術革新とは無縁であったにせよ、生きている人々の暮らしは、以前の水準に戻り始めていた。自粛されていたイベントや消費行動もここ数年軒並み華やかさを増している。
 このN駅前も例外ではなく、駅前通りが1キロ以上にわたってイルミネーションでライトアップされていて、観光客や恋人たちの定番スポットになっていた。

 駅前のロータリーに設置された花壇と歩道を仕切るレンガの腰壁に尻を預けて、スイはぼー。っと、イルミネーションを眺めていた。駅前通りの左右の街路樹を飾るそれは、淡い青の光だ。

「寒っ……。なんで、暖色にしないんだろ……」

 思わず、呟く。
 ただでさえ今日は今年一番の冷え込みだというのに、イルミネーションの青が余計に寒さを増している気がする。『なんで?』という問いには、キレイだから。と、明確な答えがあるのだが、軽く情緒が迷子になっているスイには理解の範疇外だった。
 スイは週末にはなるべく外出しないように心掛けていた。浮足立ったような街の雰囲気も苦手だったし、もっと嫌いなのは人混みだ。知らない他人が手を伸ばせば届く距離にひしめいているなんて苦痛でしかない。とくに、2・3年前に駅前のイルミネーションが始まってからのN駅前はスイにとっては鬼門だった。
 しかも。だ。誰もかれも締りのない笑顔を浮かべて、幸せを謳歌している。そんなものと無縁の自分にはそれは冷たい色のイルミネーションより眩しくて、見ていると気が滅入るばかりだった。

 羨ましかったんだな。

 スイは思う。
 騒がしいのは苦手だ。なんて、所詮言い訳だ。本当は、ずっとひとりでいる自分が哀れで、羨ましいと認めたくなかっただけだと、今は分かっている。

「来るの……はやすぎた……」

 スマートフォンの時間を確認して、スイは呟いた。
 時間は18時。約束の時間より30分も早い。
 以前ならこんな場所で人を待つのなんてごめんだったから、時間ギリギリに来ただろう。それどころか、ここを待ち合わせ場所になど選ばなかったはずだ。
 けれど、今のスイの気持ちは締りのない笑顔を浮かべて歩く人々と同じだった。約束の時間が待ち遠しい。早く着いたからといって待ち合わせの相手が早く来るわけでもなのに、予定していた時間よりも早く家を出てしまった。結果、すでに15分は待っている。

 正直、こんな日が来るとは思っていなかった。
 どんなに大事に抱えていても、他人への想いはなくしてしまうことがある。過去にそれを体験したことがあるスイは、失ったら半身を捥がれるような相手は作らないと決めていた。一度目は幸運が重なって逃げ延びることができたけれど、二度目はないと思っている。残酷な現実の腕は無慈悲だ。その腕から逃げ出すのは容易ではない。それは、ただの怯えではなくて、確率の問題だ。その腕に掴まったら、もう、選択できる未来は二つしかない。

 諦める。
 か。
 もしくは……。

 そこまで考えて、スイははっと顔を上げた。
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