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第23話 ポピーレッドのワンピース
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ファッションショーの休憩時間や退出の合間をぬって、おばあ様の花園を探すためにメイドたちに話を聞いてきていた。
侯爵邸で働いているメイドたちは、地味なワンピースを着た私に快く話をしてくれた。
彼女たちと同じように雇われて働いている身ということで私に親近感がわいたのだと思う。
これが貴族のお嬢様と思われれば警戒されて、ここまで打ち解けてお話をしてくれなかっただろう。
とりあえずロアンテ侯爵邸はおばあ様の探している場所ではなさそうだった。
おばあ様が迷子になった当時、今のような造作の庭園はここには存在しておらず、青銅の像も存在しないということがわかった。
それだけでなく、青銅についての情報を庭師から得ることもできた。
「青銅は雨に濡れると色が変わったり痛むから、庭にそういうものを置いてる家は少ないんじゃないかなぁ」と。
この情報だけでも、随分と探し先が狭まりそうだ。
しかし、どうやって条件に当てはまる庭園を探そうか。そう思いを巡らしいつの間にか深く考えこんでいたのだろう。
「レティエくん?」
セユンに声をかけられて、はっと顔を上げた。慌ててセユンの方を見れば彼は手にドレスを入れる箱を持っている。
「なんですか?」
「はい、これプレゼント。うちで作ったワンピース……既製品のだけれど入っているんだ。あげるよ」
「え?」
どういうことだろう、と思って目の前のセユンをまじまじと見つめる。この間、本を貰ったばかりなのに、また何かいただくようなことをした覚えがなくて困惑していたら。
「いつも君って落ち着いた色合いの服を着てるよね。それはそれで似合っているけれど、こういうイメージも悪くないと思うんだ」
「えっと……」
「俺が選んだ服、よかったら着てくれると嬉しいよ」
服……。
差し出されたそれを、どうしたらいいかと悩んでしまった。
背の高い彼を見上げると、他意も悪意もなさそうに、ただニコニコとしているだけだ。それはきっと飢えた猫が餌を食べているのを見ている飼い主のような優しさで。
こんなに色々とよくしてもらって……。
私はただ、自分の目的のためにこの人達のところで働いているだけなのに。そう思うと良心が傷む。
もしかしたら、セユンはいつも私がみすぼらしい恰好をしているのが目に余ったのかもしれない。そうだとしたら申し訳ない。
少しは自分も身なりを意識しないと、とうつむいて箱を受け取ると、セユンは満足そうにうなずいた。
◇◇◇
今まで、オーダーした服ですらこんなことをしたことがないのだけれど。セユンからもらった服を着て、鏡の前の自分に見入る。
春に咲く罌粟の花を思わせるような赤みがかったオレンジのワンピースだった。
デザインはとてもシンプルで活動的なひざ下のボックスプリーツで。平民の女性ならよそゆきにぴったりだろう。
明るい色の服を着ると、白くうすらぼけている自分の色合いが曖昧になり、ますます自分の存在感がなくなると思っていた。
鮮やかな色は自分の印象を希薄にして。そう思っていたのだけれど、服の明るい照り返しが肌や髪に映えて血色がよく見える。
今まで私が服を引き立てるとばかり思っていたが、そうでないこともできるのだ、と新たに発見した気分になった。
「意外に似合ってるみたい……よね」
背中側はどうなっているのだろうと、くるっと鏡の前で後ろを見ようと振り返ったら。
「似合ってるわよ?」
唐突に声を掛けられて飛び上がった。
声の有りかを見たら、いつの間に入ってきたのだろう。誰かと思えば母がそこにいた。
「お母さま……」
「貴方、最近よく出掛けてるみたいね」
そう言われて、何か勘づかれていないだろうか、と身構えてしまった。
もしミレーヌ以外の誰かに私の仕事を勘づかれるとしたら、婦人の開くサロンに出入りしている母だろうから。
今のところ、プリメールがファッションショーの依頼を受けるようなサロンは上流階級が多く、母が出入りするあまり身分の高くない貴族階級とは重なっていない。だからこそファッションショーを行っているサロンで母と落ち合うなんてことはないとは見ているが、いつばれるかわからない。用心を重ねるに越したことはないのだ。
「なんか最近、レティエは綺麗になったわね」
おっとりと母は娘の私を見つめている。首を傾げて、まじまじと私を見る母の動きに合わせて、彼女の美しい金色の髪がゆったりと豊かに波打っている。
家の中だから無防備にほどかれている腰まで届く長い髪。それが揺蕩うのを見て昔はこの髪に憧れていたのを思い出した。
「肌が綺麗になって、昔より姿勢が良くなったのかしら? なんか堂々として見えるわね。いいことだわ」
背が高いことを気づかないうちに引け目に感じていて猫背気味だったのかもしれない。それがショーで魅せるための努力で姿勢を意識するようになって変わったようだった。
それにミレーヌに合わせて、無意識に目線が低くなるようにもしていたような気がする。
「今まで着なかったような色のドレスにも袖を通すようになったからか、雰囲気が変わったようにも思えるわ。でも貴方、その色、嫌いなんじゃなかったの?」
「そんなことはないですよ?」
ただ明るい色はミレーヌの方がよく似合っていたので、私が着るのはおこがましいような気がしていて、手に取ることをしなかっただけだ。
「嫌いな色なら別に着ることないわよ。昔からそう言っていたでしょう?」
「そんなこと言われた覚え、ないんですけれど……」
「そうだったっけ? うちには娘が二人いるから、もうどちらに言ったかごっちゃになってしまうわ。歳かしら」
「…………」
お母さまは歳関係なくそのような人だと思います、とは、いくら実娘とはいえ、言えなかったので、さりげなく視線を外すにとどめた。
「貴方はそれが嫌いだと勝手に誤解していて、貴方は本当は興味があったのに私たちが与えないようにしてたかもしれないわ。喧嘩しないように二人に同じものを与えるべきって、オルタール子爵夫人に言われていたのに、ダメね……」
ママ友の名前まで出してため息をついている母に、苦笑しかできない。
「私たち、もうそんなことで喧嘩するような子供じゃないですし、お母さまはまだ年寄りではないでしょう? それに好きな色と似合う色は違いますし」
「あら、お洒落に興味ないと思っていた貴方がそんなことを言うようになるなんて。ミレーヌの影響? それともそれも本で読んだ知識?」
「し、強いて上げれば本ですね」
お洒落に興味ないと言った覚えはないのだが、母の中で私はそういう娘に見えているらしい。
もっともその誤解をいまさら訂正しようとも思わないのだけれど。
言ってどうなるものでもないと思うし、母の私たちへの色眼鏡を解消するのは手間がかかりそうだと諦めているというのもある。
「よかったわ。貴方が身綺麗にすることに興味覚えてくれて。そろそろ貴方の結婚の話も出てくるでしょうしね……」
おっとりと母が言うことには、彼女が通ってきた道だけあって説得力があった。そう言われることは今が初めてではない。貴族の娘ならそう言われて育ってきているものなのだから。
だから私はずっと覚悟を決めている。
「はい……」
「貴方は引っ込み思案な子だから、結婚も無理して考える必要ないからね」
慰めるように、母は私の顔を覗き込んでそう囁いた。
家にとって必要な結婚はミレーヌにさせるから、貴方は心配しないでいいの。
そう、母が心の奥で考えている声が聞こえるようで、憂鬱になった。
貴族の娘として産まれてきても、結婚していい家と縁をつけるというその義務すら果たせない。
その駒としても見てもらえていない、役立たず。
それが自分なんだ、と思うとやるせなくなった。
侯爵邸で働いているメイドたちは、地味なワンピースを着た私に快く話をしてくれた。
彼女たちと同じように雇われて働いている身ということで私に親近感がわいたのだと思う。
これが貴族のお嬢様と思われれば警戒されて、ここまで打ち解けてお話をしてくれなかっただろう。
とりあえずロアンテ侯爵邸はおばあ様の探している場所ではなさそうだった。
おばあ様が迷子になった当時、今のような造作の庭園はここには存在しておらず、青銅の像も存在しないということがわかった。
それだけでなく、青銅についての情報を庭師から得ることもできた。
「青銅は雨に濡れると色が変わったり痛むから、庭にそういうものを置いてる家は少ないんじゃないかなぁ」と。
この情報だけでも、随分と探し先が狭まりそうだ。
しかし、どうやって条件に当てはまる庭園を探そうか。そう思いを巡らしいつの間にか深く考えこんでいたのだろう。
「レティエくん?」
セユンに声をかけられて、はっと顔を上げた。慌ててセユンの方を見れば彼は手にドレスを入れる箱を持っている。
「なんですか?」
「はい、これプレゼント。うちで作ったワンピース……既製品のだけれど入っているんだ。あげるよ」
「え?」
どういうことだろう、と思って目の前のセユンをまじまじと見つめる。この間、本を貰ったばかりなのに、また何かいただくようなことをした覚えがなくて困惑していたら。
「いつも君って落ち着いた色合いの服を着てるよね。それはそれで似合っているけれど、こういうイメージも悪くないと思うんだ」
「えっと……」
「俺が選んだ服、よかったら着てくれると嬉しいよ」
服……。
差し出されたそれを、どうしたらいいかと悩んでしまった。
背の高い彼を見上げると、他意も悪意もなさそうに、ただニコニコとしているだけだ。それはきっと飢えた猫が餌を食べているのを見ている飼い主のような優しさで。
こんなに色々とよくしてもらって……。
私はただ、自分の目的のためにこの人達のところで働いているだけなのに。そう思うと良心が傷む。
もしかしたら、セユンはいつも私がみすぼらしい恰好をしているのが目に余ったのかもしれない。そうだとしたら申し訳ない。
少しは自分も身なりを意識しないと、とうつむいて箱を受け取ると、セユンは満足そうにうなずいた。
◇◇◇
今まで、オーダーした服ですらこんなことをしたことがないのだけれど。セユンからもらった服を着て、鏡の前の自分に見入る。
春に咲く罌粟の花を思わせるような赤みがかったオレンジのワンピースだった。
デザインはとてもシンプルで活動的なひざ下のボックスプリーツで。平民の女性ならよそゆきにぴったりだろう。
明るい色の服を着ると、白くうすらぼけている自分の色合いが曖昧になり、ますます自分の存在感がなくなると思っていた。
鮮やかな色は自分の印象を希薄にして。そう思っていたのだけれど、服の明るい照り返しが肌や髪に映えて血色がよく見える。
今まで私が服を引き立てるとばかり思っていたが、そうでないこともできるのだ、と新たに発見した気分になった。
「意外に似合ってるみたい……よね」
背中側はどうなっているのだろうと、くるっと鏡の前で後ろを見ようと振り返ったら。
「似合ってるわよ?」
唐突に声を掛けられて飛び上がった。
声の有りかを見たら、いつの間に入ってきたのだろう。誰かと思えば母がそこにいた。
「お母さま……」
「貴方、最近よく出掛けてるみたいね」
そう言われて、何か勘づかれていないだろうか、と身構えてしまった。
もしミレーヌ以外の誰かに私の仕事を勘づかれるとしたら、婦人の開くサロンに出入りしている母だろうから。
今のところ、プリメールがファッションショーの依頼を受けるようなサロンは上流階級が多く、母が出入りするあまり身分の高くない貴族階級とは重なっていない。だからこそファッションショーを行っているサロンで母と落ち合うなんてことはないとは見ているが、いつばれるかわからない。用心を重ねるに越したことはないのだ。
「なんか最近、レティエは綺麗になったわね」
おっとりと母は娘の私を見つめている。首を傾げて、まじまじと私を見る母の動きに合わせて、彼女の美しい金色の髪がゆったりと豊かに波打っている。
家の中だから無防備にほどかれている腰まで届く長い髪。それが揺蕩うのを見て昔はこの髪に憧れていたのを思い出した。
「肌が綺麗になって、昔より姿勢が良くなったのかしら? なんか堂々として見えるわね。いいことだわ」
背が高いことを気づかないうちに引け目に感じていて猫背気味だったのかもしれない。それがショーで魅せるための努力で姿勢を意識するようになって変わったようだった。
それにミレーヌに合わせて、無意識に目線が低くなるようにもしていたような気がする。
「今まで着なかったような色のドレスにも袖を通すようになったからか、雰囲気が変わったようにも思えるわ。でも貴方、その色、嫌いなんじゃなかったの?」
「そんなことはないですよ?」
ただ明るい色はミレーヌの方がよく似合っていたので、私が着るのはおこがましいような気がしていて、手に取ることをしなかっただけだ。
「嫌いな色なら別に着ることないわよ。昔からそう言っていたでしょう?」
「そんなこと言われた覚え、ないんですけれど……」
「そうだったっけ? うちには娘が二人いるから、もうどちらに言ったかごっちゃになってしまうわ。歳かしら」
「…………」
お母さまは歳関係なくそのような人だと思います、とは、いくら実娘とはいえ、言えなかったので、さりげなく視線を外すにとどめた。
「貴方はそれが嫌いだと勝手に誤解していて、貴方は本当は興味があったのに私たちが与えないようにしてたかもしれないわ。喧嘩しないように二人に同じものを与えるべきって、オルタール子爵夫人に言われていたのに、ダメね……」
ママ友の名前まで出してため息をついている母に、苦笑しかできない。
「私たち、もうそんなことで喧嘩するような子供じゃないですし、お母さまはまだ年寄りではないでしょう? それに好きな色と似合う色は違いますし」
「あら、お洒落に興味ないと思っていた貴方がそんなことを言うようになるなんて。ミレーヌの影響? それともそれも本で読んだ知識?」
「し、強いて上げれば本ですね」
お洒落に興味ないと言った覚えはないのだが、母の中で私はそういう娘に見えているらしい。
もっともその誤解をいまさら訂正しようとも思わないのだけれど。
言ってどうなるものでもないと思うし、母の私たちへの色眼鏡を解消するのは手間がかかりそうだと諦めているというのもある。
「よかったわ。貴方が身綺麗にすることに興味覚えてくれて。そろそろ貴方の結婚の話も出てくるでしょうしね……」
おっとりと母が言うことには、彼女が通ってきた道だけあって説得力があった。そう言われることは今が初めてではない。貴族の娘ならそう言われて育ってきているものなのだから。
だから私はずっと覚悟を決めている。
「はい……」
「貴方は引っ込み思案な子だから、結婚も無理して考える必要ないからね」
慰めるように、母は私の顔を覗き込んでそう囁いた。
家にとって必要な結婚はミレーヌにさせるから、貴方は心配しないでいいの。
そう、母が心の奥で考えている声が聞こえるようで、憂鬱になった。
貴族の娘として産まれてきても、結婚していい家と縁をつけるというその義務すら果たせない。
その駒としても見てもらえていない、役立たず。
それが自分なんだ、と思うとやるせなくなった。
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