30 / 58
2 7月中旬
蚊取り線香の煙が目に染みる午後①
しおりを挟む
管弦楽団の面々から完全に外堀を埋められた泰生は、観念して入部届を書こうと考えた。しかしどうも胸の中がすっきりしない。
これはもう自分自身の問題でしかないので、泰生は誰か信用の置ける、でも自分のことをそんなに良く知らない人に、思っていることをぶちまけてしまいたくなった。そんな都合のいい人物の顔が、幸いにして今の泰生の頭には数人浮かんだ。
1教科だけの試験を済ませて、泰生は商店街のある駅で迷わず途中下車した。淡竹に向かおうとしたが、テストを済ませた岡本がアルバイトに来る可能性が否定できない。岡本は信頼できる人間だと感じているが、何かのはずみで繋がりかねない同級生のセクシャリティに関する話題を、彼の前では軽々しく出したくなかった。
泰生は商店街の入り口でしばし立ち止まり、スマートフォンを出す。周辺の地図を開くと、確かに「お宮さん」の傍に教会があった。そこを目指し、夏の太陽が照りつける道に踏み出す。
少し昇っている道を進むと、左手に私鉄の駅がいきなり現れた。改札のほうを覗き込むと階段が見えて、ちょうどわらわらと客が下りて来たので、この電車が高架を走っていることに納得する。
さらに進んで、スーパーや不動産店などの前を通り過ぎ、大きな朱塗りの鳥居をくぐった。商店街の入り口からは、私鉄の高架に隠れて見えないのだが、立派な鳥居だ。
泰生は拍子抜けする。想像していたよりも、教会は近かった。左手に続く白い土壁は教会のものらしく、ちゃんと看板もかかっている。お宮さんの鳥居の傍に教会って……と、泰生は1人で突っ込んでしまった。
両開きの立派な門は、片方だけ開いていた。この教会は幼稚園を併設しているらしく、遊具が置かれているのが見える。岡本の話した通り、十字架のついた建物は昔の学校のような木造建築だ。
奥の建物が幼稚園のようだが、午前中保育なのか、人気は無かった。とはいえ、無断で門から入って幼稚園を覗き、変質者だと思われてはいけないので、泰生は勇気を振り絞って真っ直ぐ教会の入り口を目指した。こちらの建物には、大人が集まっている様子である。ちょうど何かが終わったらしく、主に老人が次々と出てきた。
「石田先生にご用ですか?」
杖をついてゆっくり出てきた老婦人に話しかけられた。泰生はびくりとして、早くも逃げ腰になる。
「あっ、はい、えっと、お忙しいですよね? 約束とかしてなくて……」
「今ちょうど勉強会終わったから、大丈夫やと思うよ」
何の勉強会なのかわからないが、のんびりと出てきた老人たちは、暑そうやな、どっかで何か飲んで帰ろか、などと語らっている。老婦人は、下駄箱でスリッパに履き替えたらいいと教えてくれた。
泰生が靴を履き替えていると、ありがたいことに石田牧師が出てきた。彼は眼鏡の奥の目を丸くする。
「こんにちは、いらっしゃい」
そう声をかけられると、一体自分が何をしに来たのかわからなくなる。泰生は言葉を探して深呼吸した。入り口で炊かれている蚊取り線香の匂いが鼻腔をくすぐる。
これはもう自分自身の問題でしかないので、泰生は誰か信用の置ける、でも自分のことをそんなに良く知らない人に、思っていることをぶちまけてしまいたくなった。そんな都合のいい人物の顔が、幸いにして今の泰生の頭には数人浮かんだ。
1教科だけの試験を済ませて、泰生は商店街のある駅で迷わず途中下車した。淡竹に向かおうとしたが、テストを済ませた岡本がアルバイトに来る可能性が否定できない。岡本は信頼できる人間だと感じているが、何かのはずみで繋がりかねない同級生のセクシャリティに関する話題を、彼の前では軽々しく出したくなかった。
泰生は商店街の入り口でしばし立ち止まり、スマートフォンを出す。周辺の地図を開くと、確かに「お宮さん」の傍に教会があった。そこを目指し、夏の太陽が照りつける道に踏み出す。
少し昇っている道を進むと、左手に私鉄の駅がいきなり現れた。改札のほうを覗き込むと階段が見えて、ちょうどわらわらと客が下りて来たので、この電車が高架を走っていることに納得する。
さらに進んで、スーパーや不動産店などの前を通り過ぎ、大きな朱塗りの鳥居をくぐった。商店街の入り口からは、私鉄の高架に隠れて見えないのだが、立派な鳥居だ。
泰生は拍子抜けする。想像していたよりも、教会は近かった。左手に続く白い土壁は教会のものらしく、ちゃんと看板もかかっている。お宮さんの鳥居の傍に教会って……と、泰生は1人で突っ込んでしまった。
両開きの立派な門は、片方だけ開いていた。この教会は幼稚園を併設しているらしく、遊具が置かれているのが見える。岡本の話した通り、十字架のついた建物は昔の学校のような木造建築だ。
奥の建物が幼稚園のようだが、午前中保育なのか、人気は無かった。とはいえ、無断で門から入って幼稚園を覗き、変質者だと思われてはいけないので、泰生は勇気を振り絞って真っ直ぐ教会の入り口を目指した。こちらの建物には、大人が集まっている様子である。ちょうど何かが終わったらしく、主に老人が次々と出てきた。
「石田先生にご用ですか?」
杖をついてゆっくり出てきた老婦人に話しかけられた。泰生はびくりとして、早くも逃げ腰になる。
「あっ、はい、えっと、お忙しいですよね? 約束とかしてなくて……」
「今ちょうど勉強会終わったから、大丈夫やと思うよ」
何の勉強会なのかわからないが、のんびりと出てきた老人たちは、暑そうやな、どっかで何か飲んで帰ろか、などと語らっている。老婦人は、下駄箱でスリッパに履き替えたらいいと教えてくれた。
泰生が靴を履き替えていると、ありがたいことに石田牧師が出てきた。彼は眼鏡の奥の目を丸くする。
「こんにちは、いらっしゃい」
そう声をかけられると、一体自分が何をしに来たのかわからなくなる。泰生は言葉を探して深呼吸した。入り口で炊かれている蚊取り線香の匂いが鼻腔をくすぐる。
20
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】指先が触れる距離
山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。
必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。
「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。
手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。
近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる