31 / 58
2 7月中旬
蚊取り線香の煙が目に染みる午後②
しおりを挟む
「礼拝堂にどうぞ」
泰生が言葉を発する前に、石田は言って右手奥に入っていく。ついて行くと、不思議な光景が広がった。古い学校のような窓に囲まれた縦長の部屋には、長椅子が2列で縦にずらりと並び、奥に布が掛けられた祭壇が設えられている。天井も床も木なので、大きな十字架が置いていなければ、一瞬寺とも見間違えそうだった。
「蚊が多いんで、蚊取り線香そこらに置いてますけど、気ぃつけてください」
礼拝堂の入り口にも、渦巻きの線香が置かれていた。泰生は後ろのほうの椅子にちょこんと座り、石田が祭壇の左手の扉から出て行くのを見送る。
何か変なところに入りこんでしもたかも。
和風の礼拝堂は緩い冷房でふわっと涼しかったが、何となく潜伏キリシタンがこっそりミサをしている様子を連想させ、どちらかというと薄気味悪さを泰生に感じさせた。
石田は茶の入ったグラスを載せた盆を手に、礼拝堂に戻ってきた。彼は気楽に泰生の右前の椅子の端に座って、身体をこちらに向ける。お茶の礼を述べた泰生は自己紹介して、最近淡竹で岡本と知り合ったことを話した。
「ああ、長谷川くんは大阪から通学してはるんやね」
「はい、僕文学部なんで、3回生になって、京都駅の近くの下京キャンパスから深草の伏見キャンパスに変わりました」
麦茶は良く冷えて美味しかった。石田は泰生の大学の事情には通じていないようだが、岡本も文学部生であることや、部活でチェロを弾いていて、泰生を自分のクラブに誘っているのはうっすら知っていた。
「岡本くんが、途中入部で低音の子が来るかもって話してました、長谷川くんのことでしたか」
「……そのことなんですけど、ちょっといろいろ迷ってて」
相手が牧師でいかにも話しやすそうだとはいえ、泰生はほぼ見ず知らずの人間に自分の悩みを話すのは生まれて初めてだった。どきどきしたが、もういろいろなことを含めて、引き返せないと思った。
「6月まで別の部活をやってました、そこで仲が良かった同期とちょっと拗れて……僕もどうしたらよかったんか今もわからんくて、ずっと引っかかってて……」
旭陽から恋心を打ち明けられたこと、友達としてこれからもつき合って行きたいと答えたこと。そして、その翌日から、旭陽がよそよそしくなったことを、順を追って話す。
旭陽は練習が終わってから、泰生が楽器を片づけるのを待たなくなった。さっさと練習場を後にする。バイバイのひと言も無く帰ってしまい、メッセージも全く寄越さなくなったので、避けられていると気づいた。
ある時、昼休みに食堂で出会ったのに旭陽は気づかないふりをして、連れ立っていた友人と遠くの席に行ってしまった。さすがにこれには腹が立った。
「そんな態度取っといて、俺がクラブ辞める言うたら、掌返したみたいに俺がおらんくなったら寂しいとか何とか言うてきて、何やねんって感じ……マジ胸糞」
言葉が止まらなくなった泰生は、言葉が汚くなってきたことに気づき、はっとして口を噤んだ。呆れられたと思い石田の顔を窺うと、彼は温かい微笑を浮かべた。
「それをずっと誰かに言いたかったんやね」
泰生が言葉を発する前に、石田は言って右手奥に入っていく。ついて行くと、不思議な光景が広がった。古い学校のような窓に囲まれた縦長の部屋には、長椅子が2列で縦にずらりと並び、奥に布が掛けられた祭壇が設えられている。天井も床も木なので、大きな十字架が置いていなければ、一瞬寺とも見間違えそうだった。
「蚊が多いんで、蚊取り線香そこらに置いてますけど、気ぃつけてください」
礼拝堂の入り口にも、渦巻きの線香が置かれていた。泰生は後ろのほうの椅子にちょこんと座り、石田が祭壇の左手の扉から出て行くのを見送る。
何か変なところに入りこんでしもたかも。
和風の礼拝堂は緩い冷房でふわっと涼しかったが、何となく潜伏キリシタンがこっそりミサをしている様子を連想させ、どちらかというと薄気味悪さを泰生に感じさせた。
石田は茶の入ったグラスを載せた盆を手に、礼拝堂に戻ってきた。彼は気楽に泰生の右前の椅子の端に座って、身体をこちらに向ける。お茶の礼を述べた泰生は自己紹介して、最近淡竹で岡本と知り合ったことを話した。
「ああ、長谷川くんは大阪から通学してはるんやね」
「はい、僕文学部なんで、3回生になって、京都駅の近くの下京キャンパスから深草の伏見キャンパスに変わりました」
麦茶は良く冷えて美味しかった。石田は泰生の大学の事情には通じていないようだが、岡本も文学部生であることや、部活でチェロを弾いていて、泰生を自分のクラブに誘っているのはうっすら知っていた。
「岡本くんが、途中入部で低音の子が来るかもって話してました、長谷川くんのことでしたか」
「……そのことなんですけど、ちょっといろいろ迷ってて」
相手が牧師でいかにも話しやすそうだとはいえ、泰生はほぼ見ず知らずの人間に自分の悩みを話すのは生まれて初めてだった。どきどきしたが、もういろいろなことを含めて、引き返せないと思った。
「6月まで別の部活をやってました、そこで仲が良かった同期とちょっと拗れて……僕もどうしたらよかったんか今もわからんくて、ずっと引っかかってて……」
旭陽から恋心を打ち明けられたこと、友達としてこれからもつき合って行きたいと答えたこと。そして、その翌日から、旭陽がよそよそしくなったことを、順を追って話す。
旭陽は練習が終わってから、泰生が楽器を片づけるのを待たなくなった。さっさと練習場を後にする。バイバイのひと言も無く帰ってしまい、メッセージも全く寄越さなくなったので、避けられていると気づいた。
ある時、昼休みに食堂で出会ったのに旭陽は気づかないふりをして、連れ立っていた友人と遠くの席に行ってしまった。さすがにこれには腹が立った。
「そんな態度取っといて、俺がクラブ辞める言うたら、掌返したみたいに俺がおらんくなったら寂しいとか何とか言うてきて、何やねんって感じ……マジ胸糞」
言葉が止まらなくなった泰生は、言葉が汚くなってきたことに気づき、はっとして口を噤んだ。呆れられたと思い石田の顔を窺うと、彼は温かい微笑を浮かべた。
「それをずっと誰かに言いたかったんやね」
20
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】指先が触れる距離
山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。
必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。
「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。
手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。
近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる