夏の扉が開かない

穂祥 舞

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3 7月下旬

胸を焦がすもの②

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「私が去年の春に管弦楽団に変わった時も、楽譜が吹奏楽と全く違って割と大変やったんやけど、たぶんコントラバスもそうやと思う……でも惑わされんと弾いて、やることは一緒」

 これは転部という同じ体験を経た戸山からの、貴重なアドバイスだろう。泰生は頷いた。

「はい」

 三村が戸山の後ろから言う。

「長谷川くんは2年半弾いてきてるから、あと1年半は楽譜通りに弾くこと以上に、いい音がいつも出せるように心がけてほしいな……必然的に来年はパートリーダーを任せることになると思うけど、まあその辺はあまり気負わんといて」

 そんで、と高橋が左手に座る下級生たちを見る。

「あとは同級生と早よ仲良くなれたらええな、岡本は来年たぶん部長になるから、長谷川くんのその辺のことも任せるつもり」

 泰生がちょっと驚いて岡本を見ると、彼はにっと笑ってピースサインを送ってきた。
 高橋はイージーモードになって、椅子の上でひょいと足を組んだ。

「パートの人間ともう面通しが済んでるのはええこっちゃ、まあコントラバスパートは安泰や」

 小林と斉藤は、表情に何やらわくわく感を醸し出している。多少弾ける先輩が1人増えるのが、嬉しいのかもしれない。そう思うと、泰生も何となく彼らが可愛く思えた。
 それでやな、と高橋は探るような目線を泰生に送ってきた。

「長谷川くん吹部で鍵盤打楽器触ってたんやって? 百花姫から聞いたんやけど」

 え? と泰生は戸山の顔を見た。彼女は微笑を崩さなかったが、彼女の背後の三村が高橋に苦情を申し立てる。

「やめろ、パーカッションには貸さへんで」
「文化祭だけ頼むわぁ……」

 吹奏楽部では、楽器を演奏しながらフォーメーションをつくって歩くマーチングドリルを、定期演奏会を含めて年に数回やっている。その際コントラバスパートの面々は、パーカッションを手伝うのが通例で、泰生はシロフォンやグロッケンといった鍵盤楽器を担当した。その話をしているらしい。

「いやいや、管弦楽団の本番で使える代物ちゃいます」

 泰生も思わず高橋に言う。しかし彼は引かない。

「コントラバスもパーカッションもこなす、伝説の部員にならへんか?」
「うちの大事な後輩に、訳わからん甘言を弄すんのやめてください高橋さん」

 三村は絶対反対の立場らしい。これは夏休み中に、泰生がどうするか考えることになった。

「とにかく入部おめでとう、後で部員全員と、同回生とパートのグループRHINEも登録してな」

 高橋の言葉を合図に、その場に拍手が起こった。泰生は椅子から立ち上がり、皆に一礼する。胸の奥のほうが、太陽光線を集めた黒い紙のように、ちりちりと焦げていくような感じがした。それは、1回生の時に吹奏楽部に入った時、一瞬感じてすぐ消えてしまったものと同じだった。
 泰生はホルンかユーフォニウムをやってみたかった。しかし同級生に高校生からの経験者がおり、さらにくじ引きで負けたので、コントラバスを任されることになった。その時確かに、胸の中を熱くし焦がした期待感やときめきが、すっと失われたのだ。
 あの時はコントラバスという楽器について、何も知らなかった。今も知っているとは言い難いけれど、もうあんな風にがっかりすることは無い。
 いいと思う。かつて一緒に練習した友人からの言葉が、泰生を後押しする。熱くなった顔を上げると、新しい仲間たちにどう振る舞えばいいのかわからなかったが、自然と言葉が口を突いて出た。

「これから、よろしくお願いします」
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