夏の扉が開かない

穂祥 舞

文字の大きさ
50 / 58
3 7月下旬

色相と空①

しおりを挟む
 泰生が復活した木村さんと共に、喫茶淡竹でモーニングのばたばたを捌き終える頃、岡本がキャリーケースを引いて出勤してきた。それを見て、店長の森は呆れ半分に笑う。

「仕事終わってから一回帰りぃや」
「いやぁ、暑いから移動は極力減らしたいんですって」
「まさしく直帰やな」

 岡本は木村さんに苦笑されながら、銀色の四角い箱を、カウンターの中の奥に転がした。
 泰生は、今日岡本が実家に帰ることをやっと察する。彼は泰生に訊いてきた。

「加太の海水浴場、来週の月曜に来ると思といてええ?」
「あ、うん、たぶんそうなる」

 岡本は泰生が旅行で加太に行くと知り、もし会えたら会おうと言ってきた。親戚が海水浴場の海の家を経営しており、帰省中はそこを手伝っているというのだ。よく働くやっちゃなと泰生は思う。
 泰生が早めの賄いのチーズトーストをカウンターの隅で食べ始めると、エプロン姿の岡本が洗い物を始め、木村さんがタイムカードを打刻した。

「文哉くんはお盆明けまで元気でな、泰生くんはまた明日」
「お疲れさまです」

 木村さんは普段なら賄いを食べて帰るのだが、夏休み中の子どもたちの昼食を作るべく、すぐに店を出た。かつては母もそうだったので、泰生には木村さんの事情がよく理解できた。

「で? 長谷川くん、後で石田先生とこ行くんか?」

 森に訊かれて、はい、と頷いた。今日朝一番に、教会の石田牧師がモーニングを食べに来た。この間の礼を言いたかったのだが、忙しくてままならなかったため、教会に行こうと思ったのだ。
 食洗器にグラスを丁寧に並べていた岡本が、こちらを振り返った。

「長谷川いつの間に教会行ってきたん? 何か知らんけど牧師って結構忙しいらしいし、居てはるかな」
「火曜は幼稚園に夕方まで居てる子が多いみたいやし、先生もおると思うわ」

 森の言葉に、さすが近所の情報網だと泰生は感心した。ちょっと暑いのが嫌だが、せっかく情報を得たので、やはり退勤後に教会に行くことにした。



 商店街周辺に勤務する会社員たちは、食事を終えてからコーヒーを飲みに淡竹に来るので、平日は12時半から14時辺りが案外忙しい。泰生はこの波が引き、岡本が賄いを胃袋に収めるまで働いた。お盆明けまでしばらく顔を合わせないので、岡本との別れを少し惜しむ。

「ほな海の家の名前と場所教えて、行けそうやったら行くし」
「おう、食うもんはたぶんまけられへんけど、浮き輪とかパラソルは応相談やで」

 岡本は明るく、またな、と言い、森と一緒に泰生を見送ってくれた。
 泰生はそのまま、商店街を駅のほうに戻って行き、2つの私鉄の駅を通り過ぎて和風建築の教会に向かった。アーケードを抜けた途端に殺人的な陽射しが襲ってきて、あっという間に汗が吹き出す。
 園児がいるので仕方ないのだが、こんな日に限って教会の門が閉まっていた。泰生は迷わずインターフォンを押す。石田が直ぐに出てくれた。

「ああ、長谷川くん? 鍵開けるし30秒で入って」

 門のどこかがカチッと鳴った。泰生は門扉を押したが、鉄の熱さにあちっ! と独りで叫んでしまった。
 教会の入口では今日も蚊取り線香が細い煙を上げていた。蚊が入るなら閉めたらいいのにと先日も思ったのだが、教会の扉は常に開けておくのが原則だという。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】指先が触れる距離

山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。 必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。 「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。 手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。 近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。

こじらせ女子の恋愛事情

あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26) そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26) いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。 なんて自らまたこじらせる残念な私。 「俺はずっと好きだけど?」 「仁科の返事を待ってるんだよね」 宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。 これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。 ******************* この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...