夏の扉が開かない

穂祥 舞

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3 7月下旬

色相と空②

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 ほんのりと涼しい木造の礼拝堂に入り、思わずひと息ついた。祭壇の左手の扉から、こんにちは、と言いながら石田が出てくる。あの奥が牧師の居室なのだろう。

「淡竹で朝うた時、何か言いたそうな顔してはったから、来はると思てました」

 石田は微笑し、今日もよく冷えた茶を出してくれた。泰生は礼を言う。

「こないだはありがとうございました、お話しした友達から先週RHINEが来て、誤解ではないですけど、そういうのが解けたというか……」

 それはよかった、と応じた石田は、何となく泰生の言葉を予想していたようでもあった。

「でもやっぱりあっちは俺のことが、そういう意味で好きみたいなんで、あんまりしばしば顔は合わさんほうがいいのかなって思ってます」
「何で? 関係、元に戻したかったんでしょ?」
「いや、俺はそうですけど、もしかしたらあっちがしんどいかなって」

 ふんふん、と石田は頷いた。

「こないだ話せへんかったんですけど、長谷川くんの大学は仏教系やし、色相って言葉知ってるかな」

 いきなり振られて、泰生は目を瞬いた。大学では、1回生の時に全員が仏教の概論を1コマ履修することになっている。あまり自信が無かったが、答えた。

色即しきそく是空ぜくうしき、のことですか?」
「そうそう、僕は家がクリスチャンやし、キリスト教の勉強しかしてへんからあれやけど、目に見えるものとか、実在するものを指すんやったね?」

 あ、たぶん、と泰生は言った。確か講師も、ざっくり言うとそう、と説明していた。石田は続ける。

「こないだ長谷川くんの話を聞いた時、最初相手の子に連絡してみたら早いやんって言おかと思ったんやけど、やめといたんです……ちょっと見えへんものに振り回されてるのかなと」

 泰生はその言葉に、納得せざるを得なかった。旭陽とのことを、重く悪いように考え過ぎていたように、今は思う。

「まあ、色もまた空なりって般若心経で言うてるし、キリスト教も常々見えへんもんに思いを致してます……でもたまに、見えへんもんに気持ちを持ってかれ過ぎて、見えてるもんまで見えんようになるのは、実際よくあるんやけど、気ぃつけなあかん時がありますね」

 石田は、見えないもののことばかり考え過ぎるには、まだ泰生は若いと言う。

「要するに、行動してみることも大事やと、おじさんに近づいている身として言いたい訳です……それでも、目に見えへん縁が無ければ関係が戻らへんのも、僕の経験上の事実なんやけどね」

 はい、と泰生は素直に答えた。自分がこの1ヶ月悩んだことや振り回されたことなど、10年後には、振り返ったらアホちゃうかと笑ってしまうほど些細な事象になるかもしれない。「色」を見据えず「空」ばかり見る、独りよがりな煩悶だったかもしれない。でも、これが無ければ先に進めなかったという確信はある。
 泰生は香ばしい麦茶に口をつけ、旭陽と近いうちに会おうかと思った。旭陽がしんどいかどうかも、顔を合わせてみないとわからない。
 石田はやはり柔和な笑みを眼鏡の奥の目に浮かべ、言った。

「たまには岡本くんと礼拝に来てください」
「……えっと、それって面白いですか?」
「社会勉強です、受洗しろとは言いませんし、うちはカルトと違いますよ」

 あ、なるほど。これも「色」を見ることなんかな。泰生は勝手に納得して、石田の顔を見る。お互いに、自然と笑顔になった。
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