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6 逡巡
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ナツミが就活スーツ姿で現れた時、店には3組6人の男性客がいたが、皆一斉に彼を見ておっ、と言った。
「ナツミちゃんか?」
「おいおい、美丈夫だなぁ」
中年の二人連れに言われて、ナツミは唇を尖らせる。
「男の姿は褒められても嬉しくないっ」
店内に笑いが起こる。
「わかった、早く女になってきなよ」
ナツミははぁい、と言いながら、店内の窪んだ場所にかかる暖簾の奥に消えた。続いて賄いの弁当がやって来て、ママが暖簾の奥に運ぶ。
「ハルちゃんご飯にしろよ、ナツミも来たしゆっくりするといい」
ママの指示に従い、晴也はバックヤードに入った。ニットのワンピースに着替えたナツミが、鏡を見ながら困惑している。
「どしたの?」
「ハルちゃん……一回家に戻れなかったから髭剃れなくて……ママは仕方ないって言ってくれたけど私がもう店に出たくない気分」
ナツミは性同一性障害の診断を受けている。ただ女装が好きな晴也や麗華と違い、女性でありたいと願って、男の自分を抹殺しながらここでアルバイトをしていた。晴也以上に、彼にとってめぎつねに居る時間は、本当の自分になれるひと時なのに違いなかった。だから彼としては、髭が伸びたままでは女になれないのだ。髭の薄い晴也は、ナツミに同情する。
「カミソリ持ってるからあげる、でも直に当てると危ないな、クリームかミルクのクレンジングで何とかなりそう?」
女装のために剃らなくてはいけない毛は多いので、小さなカミソリは常備している。晴也が畳敷きに上がりながら言うと、ナツミはありがとう、と泣きそうな声になった。
「あっそうだ、ママから話があると思うけど、山形さん出禁になった」
晴也の報告に、コールドクリームを頬に伸ばし始めたナツミが、えっ? と声を裏返した。
「やまりん? どうしたのあのおやじ」
「昨夜俺を襲った」
「ええっ! お店で? 大丈夫だったの?」
ナツミは深刻な表情になったが、口の周りが白いのが笑えた。晴也は彼にカミソリを手渡し、弁当の置かれた小さなちゃぶ台の前で正座する。
「帰り道で待ち伏せされたって感じかな、山形さんめちゃくちゃ酔ってたんだけど」
「酔ってたとしても、やっていいことと悪いことがあるわよ!」
ナツミは皆と同じことを言った。山形に情状酌量の余地無し、である。
「自力で逃げたの?」
「いや、助けてもらった……そのまま交番に行った」
「通りがかった人に? 良かったよね、この辺そういうの見ても知らない振りする人多いもん」
ナツミは簡易カミソリの刃を器用に頬や顎に当てていく。使い慣れているのだ。髭が伸びるのが早いようだから、めぎつねに出勤しない日も、1日2回剃っているのかも知れない。
「通りがかりというか……舞台はねたショウさんが走って来てくれて」
「えっ、先週来たイケメンダンサー?」
晴也はコロッケを口に入れながら頷く。偶然電話が繋がり気づいてくれた話をすると、ナツミはふうん、と目を見開いた。
「とにかく怪我が無くて良かった、ハルちゃんのか細さじゃ酔ったおっさんには抵抗出来ないよね」
晴也は素直に同意した。それ以前に、恐怖で竦んでしまったのだったが。
ナツミはウェットティッシュで白いクリームを拭い取り、オールインワンクリームで肌を整えていく。
彼は皮肉なことに、めぎつねのどのホステスよりも、男性としての体格に恵まれている。それはつまり、女性らしい女装が難しいということだった。身長が高く、中学高校とバレーボールで鍛えた肉体美は、若いこともあって、ショウたちマッスルダンサーに負けずとも劣らない。髭を剃る姿を見ていても、男らしい顔の骨格や、立派な喉仏に色気がある。女の子にモテるだろうに、と晴也は思う。
「ハルちゃんはあのダンサーさんのことは、どうな訳?」
晴也はキャベツを頬張り、どうとは? と質問返しする。
「いや、あの人ハルちゃんのこと気に入ってるみたいだから」
からかってるだけだよ、と晴也は鏡越しにナツミに苦笑してみせる。ナツミはリキッドファンデを塗った肌の上にパウダーを軽くはたいた。
「ハルちゃんは興味ないの?」
「俺ノンケだし」
「もったいない、いい男なのに……ボトル入れてたよね、次来たら私ついていい?」
へ? と晴也は高い声になった。ナツミはラベンダーのアイシャドウをチップで瞼に乗せる。慣れた手つきでつけまつげを装着すると、確認するように鏡に顔を近づけた。
「私あの人割とタイプ」
「……そうなんだ、ナツミちゃんは基本男が好きなの?」
晴也は胸の内が軽くざわめくのを自覚した。彼はふふっと笑う。
「ナツミちゃんか?」
「おいおい、美丈夫だなぁ」
中年の二人連れに言われて、ナツミは唇を尖らせる。
「男の姿は褒められても嬉しくないっ」
店内に笑いが起こる。
「わかった、早く女になってきなよ」
ナツミははぁい、と言いながら、店内の窪んだ場所にかかる暖簾の奥に消えた。続いて賄いの弁当がやって来て、ママが暖簾の奥に運ぶ。
「ハルちゃんご飯にしろよ、ナツミも来たしゆっくりするといい」
ママの指示に従い、晴也はバックヤードに入った。ニットのワンピースに着替えたナツミが、鏡を見ながら困惑している。
「どしたの?」
「ハルちゃん……一回家に戻れなかったから髭剃れなくて……ママは仕方ないって言ってくれたけど私がもう店に出たくない気分」
ナツミは性同一性障害の診断を受けている。ただ女装が好きな晴也や麗華と違い、女性でありたいと願って、男の自分を抹殺しながらここでアルバイトをしていた。晴也以上に、彼にとってめぎつねに居る時間は、本当の自分になれるひと時なのに違いなかった。だから彼としては、髭が伸びたままでは女になれないのだ。髭の薄い晴也は、ナツミに同情する。
「カミソリ持ってるからあげる、でも直に当てると危ないな、クリームかミルクのクレンジングで何とかなりそう?」
女装のために剃らなくてはいけない毛は多いので、小さなカミソリは常備している。晴也が畳敷きに上がりながら言うと、ナツミはありがとう、と泣きそうな声になった。
「あっそうだ、ママから話があると思うけど、山形さん出禁になった」
晴也の報告に、コールドクリームを頬に伸ばし始めたナツミが、えっ? と声を裏返した。
「やまりん? どうしたのあのおやじ」
「昨夜俺を襲った」
「ええっ! お店で? 大丈夫だったの?」
ナツミは深刻な表情になったが、口の周りが白いのが笑えた。晴也は彼にカミソリを手渡し、弁当の置かれた小さなちゃぶ台の前で正座する。
「帰り道で待ち伏せされたって感じかな、山形さんめちゃくちゃ酔ってたんだけど」
「酔ってたとしても、やっていいことと悪いことがあるわよ!」
ナツミは皆と同じことを言った。山形に情状酌量の余地無し、である。
「自力で逃げたの?」
「いや、助けてもらった……そのまま交番に行った」
「通りがかった人に? 良かったよね、この辺そういうの見ても知らない振りする人多いもん」
ナツミは簡易カミソリの刃を器用に頬や顎に当てていく。使い慣れているのだ。髭が伸びるのが早いようだから、めぎつねに出勤しない日も、1日2回剃っているのかも知れない。
「通りがかりというか……舞台はねたショウさんが走って来てくれて」
「えっ、先週来たイケメンダンサー?」
晴也はコロッケを口に入れながら頷く。偶然電話が繋がり気づいてくれた話をすると、ナツミはふうん、と目を見開いた。
「とにかく怪我が無くて良かった、ハルちゃんのか細さじゃ酔ったおっさんには抵抗出来ないよね」
晴也は素直に同意した。それ以前に、恐怖で竦んでしまったのだったが。
ナツミはウェットティッシュで白いクリームを拭い取り、オールインワンクリームで肌を整えていく。
彼は皮肉なことに、めぎつねのどのホステスよりも、男性としての体格に恵まれている。それはつまり、女性らしい女装が難しいということだった。身長が高く、中学高校とバレーボールで鍛えた肉体美は、若いこともあって、ショウたちマッスルダンサーに負けずとも劣らない。髭を剃る姿を見ていても、男らしい顔の骨格や、立派な喉仏に色気がある。女の子にモテるだろうに、と晴也は思う。
「ハルちゃんはあのダンサーさんのことは、どうな訳?」
晴也はキャベツを頬張り、どうとは? と質問返しする。
「いや、あの人ハルちゃんのこと気に入ってるみたいだから」
からかってるだけだよ、と晴也は鏡越しにナツミに苦笑してみせる。ナツミはリキッドファンデを塗った肌の上にパウダーを軽くはたいた。
「ハルちゃんは興味ないの?」
「俺ノンケだし」
「もったいない、いい男なのに……ボトル入れてたよね、次来たら私ついていい?」
へ? と晴也は高い声になった。ナツミはラベンダーのアイシャドウをチップで瞼に乗せる。慣れた手つきでつけまつげを装着すると、確認するように鏡に顔を近づけた。
「私あの人割とタイプ」
「……そうなんだ、ナツミちゃんは基本男が好きなの?」
晴也は胸の内が軽くざわめくのを自覚した。彼はふふっと笑う。
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