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6 逡巡
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美智生は小さく笑う。晴也も鏡の前に座り、眼鏡を外してクレンジングシートで顔を拭いた。やはり瞼の腫れぼったさは隠せそうにない。
晴也がコンタクトレンズをなかなか入れられないのを見て、美智生がいつもと様子が違うことに気づいた。
「ハルちゃん、その目どうしたんだよ」
「……情けなくて昨夜だいぶ泣いてしまって」
化粧をしていなくてもきれいな形をした眉の間に、美智生は薄く縦皺を入れた。
「自分を責めるな、ハルちゃんに非は無い」
「でも俺が甘いからこんなことになったんでしょう?」
晴也はやや拗ねたような気分になり、言った。
「それは今後気をつけようって話だ、昨夜のことで自分を責める必要はないよ」
会社で他人との交流を絶っている反動だろうか。晴也はファンデーションを頬にのばしながら分析する。少なくともめぎつねで接触する人に対しては、晴也は「自然に」接している。それが優し過ぎるという評価をされるのならば、やはりもう少し何か気をつけなくてはいけないのだろう。
昨夜から気になっていることが、もうひとつあった。昨夜山形に抱きつかれた時、昼間晶に同じようにされた(前からと後ろからの違いはあったが)時には感じなかった、激しい嫌悪感があった。普段から山形に対しては、会話するのはともかく、触られるのは微妙だったとは言え、あまりに感じ方が違い過ぎはしないか。
要するに自分は、あの調子の良いダンサー……などと言っては恩人なのに失礼だが、彼から触れられるのは平気なのだ。確かに、彼を嫌いではない。しかし、好きという訳ではない。女相手ならまだしも、晶は男である。
晴也はこっそりと溜め息をついた。土台を整えても、瞼の腫れぼったさは隠せなかった。困る晴也に美智生は言った。
「セーター紺色なの? 青系とかグレー系のシャドウを入れたらどうかな、暖色系はやめた方がいい」
そんな色のアイシャドウを持っていないので、美智生に借りた。グレーを目の際に入れ、水色をふわっと乗せる。
「ああ、だいぶごまかせるし、ちょっとクールなハルちゃんもいいじゃないか」
自分でも悪くはないと思った。
「青や緑のマスカラって使えるぞ、試してみたらいいよ」
美智生は深緑のマスカラも貸してくれた。意外にも顔に馴染んでくれる。鏡に映る自分を見つめていると、シャッター音がした。晴也は首を美智生に振り向ける。
「えっ、今撮りました?」
「うん、ハルちゃんが元気に出勤して、新しい魅力を開発中ってショウに報告しとくわ」
晴也は複雑な気分になる。昨夜晶の家でくつろぎ過ぎた気がしてならない。それこそ、襲われても文句を言えない状況だった。……弱味を晒した。
「あっ、返事早っ」
眉を描いていた美智生が、震えたスマートフォンに目をやった。画面をスワイプして、がははと笑う。
「ショウが喜んだ」
美智生がこちらに向けてきた画面には、自分の写真と、その下に両手を胸の前で組み目を輝かせている犬のスタンプがあった。
「……キモいです」
するとそこに新しいメッセージが現れた。
「今日は練習でそちらに行けないので、ハルさんのことよろしくお願いします」
何様のつもりだ。晴也が変な顔をしたので、美智生も画面を覗いた。
「おやおや、ハルちゃん愛されてるねぇ」
「昨夜のことは感謝してますけど、ショウさん何か俺について勘違いしてる気がします」
「恋愛なんて皆勘違いから始まるもんだ」
美智生は低く笑いながらスマートフォンのキーボードを叩く。
「OKって返しとこう、責任重大だ……あいつさぁ、飄々としてる風でいて、思い込み激しくて欲しいものを絶対手に入れたいタイプじゃないかなぁ」
晴也はチークブラシを取り上げたまま固まった。美智生の言う通りのように思えたからだった。
「……実は昨夜、ショウさん山形さんのこと傷つけかねない勢いだったんです、マジヤバかったんでちびりそうになりながら止めたんですよ」
晴也はもやもやしていたものを吐き出す。美智生しかいないので話したくなった。
「ちょっと想像できないけど、ハルちゃんがそれだけ大事なんだろ……俺だってそんなシチュエーションに遭遇したらブチ切れて相手を半殺しにするかも」
「……そんなものなんですか?」
「暴力は良くないぞ、でもハルちゃんは誰かのことで我を忘れて必死になった経験が無いのかな?」
無い、のだろう。だから晶の態度が理解できないし、自分のせいで豹変されるのが怖い。あれから彼は、怖がらせて悪かったと計3回謝ったが。
「さすが童貞処女だ、おまえの道は茨の道だってショウに言っておこう」
「わぁもう、いいですぅ……」
晴也はもやもやがすっきりするどころか、濃くなってしまったのを感じながら、口紅をポーチから出した。晴也の思惑に関係なく、今日もめぎつねはいつもの時間に開店する。
晴也がコンタクトレンズをなかなか入れられないのを見て、美智生がいつもと様子が違うことに気づいた。
「ハルちゃん、その目どうしたんだよ」
「……情けなくて昨夜だいぶ泣いてしまって」
化粧をしていなくてもきれいな形をした眉の間に、美智生は薄く縦皺を入れた。
「自分を責めるな、ハルちゃんに非は無い」
「でも俺が甘いからこんなことになったんでしょう?」
晴也はやや拗ねたような気分になり、言った。
「それは今後気をつけようって話だ、昨夜のことで自分を責める必要はないよ」
会社で他人との交流を絶っている反動だろうか。晴也はファンデーションを頬にのばしながら分析する。少なくともめぎつねで接触する人に対しては、晴也は「自然に」接している。それが優し過ぎるという評価をされるのならば、やはりもう少し何か気をつけなくてはいけないのだろう。
昨夜から気になっていることが、もうひとつあった。昨夜山形に抱きつかれた時、昼間晶に同じようにされた(前からと後ろからの違いはあったが)時には感じなかった、激しい嫌悪感があった。普段から山形に対しては、会話するのはともかく、触られるのは微妙だったとは言え、あまりに感じ方が違い過ぎはしないか。
要するに自分は、あの調子の良いダンサー……などと言っては恩人なのに失礼だが、彼から触れられるのは平気なのだ。確かに、彼を嫌いではない。しかし、好きという訳ではない。女相手ならまだしも、晶は男である。
晴也はこっそりと溜め息をついた。土台を整えても、瞼の腫れぼったさは隠せなかった。困る晴也に美智生は言った。
「セーター紺色なの? 青系とかグレー系のシャドウを入れたらどうかな、暖色系はやめた方がいい」
そんな色のアイシャドウを持っていないので、美智生に借りた。グレーを目の際に入れ、水色をふわっと乗せる。
「ああ、だいぶごまかせるし、ちょっとクールなハルちゃんもいいじゃないか」
自分でも悪くはないと思った。
「青や緑のマスカラって使えるぞ、試してみたらいいよ」
美智生は深緑のマスカラも貸してくれた。意外にも顔に馴染んでくれる。鏡に映る自分を見つめていると、シャッター音がした。晴也は首を美智生に振り向ける。
「えっ、今撮りました?」
「うん、ハルちゃんが元気に出勤して、新しい魅力を開発中ってショウに報告しとくわ」
晴也は複雑な気分になる。昨夜晶の家でくつろぎ過ぎた気がしてならない。それこそ、襲われても文句を言えない状況だった。……弱味を晒した。
「あっ、返事早っ」
眉を描いていた美智生が、震えたスマートフォンに目をやった。画面をスワイプして、がははと笑う。
「ショウが喜んだ」
美智生がこちらに向けてきた画面には、自分の写真と、その下に両手を胸の前で組み目を輝かせている犬のスタンプがあった。
「……キモいです」
するとそこに新しいメッセージが現れた。
「今日は練習でそちらに行けないので、ハルさんのことよろしくお願いします」
何様のつもりだ。晴也が変な顔をしたので、美智生も画面を覗いた。
「おやおや、ハルちゃん愛されてるねぇ」
「昨夜のことは感謝してますけど、ショウさん何か俺について勘違いしてる気がします」
「恋愛なんて皆勘違いから始まるもんだ」
美智生は低く笑いながらスマートフォンのキーボードを叩く。
「OKって返しとこう、責任重大だ……あいつさぁ、飄々としてる風でいて、思い込み激しくて欲しいものを絶対手に入れたいタイプじゃないかなぁ」
晴也はチークブラシを取り上げたまま固まった。美智生の言う通りのように思えたからだった。
「……実は昨夜、ショウさん山形さんのこと傷つけかねない勢いだったんです、マジヤバかったんでちびりそうになりながら止めたんですよ」
晴也はもやもやしていたものを吐き出す。美智生しかいないので話したくなった。
「ちょっと想像できないけど、ハルちゃんがそれだけ大事なんだろ……俺だってそんなシチュエーションに遭遇したらブチ切れて相手を半殺しにするかも」
「……そんなものなんですか?」
「暴力は良くないぞ、でもハルちゃんは誰かのことで我を忘れて必死になった経験が無いのかな?」
無い、のだろう。だから晶の態度が理解できないし、自分のせいで豹変されるのが怖い。あれから彼は、怖がらせて悪かったと計3回謝ったが。
「さすが童貞処女だ、おまえの道は茨の道だってショウに言っておこう」
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