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11 風雪
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少し冷めた紅茶を二人して飲み干すと、晶は鞄から米粉の食パンと大きなりんごを出し、朝食べようと言って晴也に手渡した。そしてリビング兼寝室に行き、着替え始める。何げにその逞しい肩や腕を見ながら、自宅のように寛ぐ彼が微笑ましくなった。
「で、一緒に暮らす気になってくれた?」
「昨日の今日でどう結論を出すんだよ」
晴也は言ったが、本棚に置いている、何となく貴重品を入れているお菓子の缶を開けた。
「これ、スペアキー」
晴也の差し出した鍵を、目を丸くして見つめてから、晶は手を出した。その上に落としてやる。
「交換だ、俺も持ってきた」
晶は鞄の中に手を入れて、キーケースを出した。そこから1本の鍵を外して晴也の手を取り、握らせた。それはひんやりと冷たく、晴也の家のものよりも重かった。
「好きな時に来て、勝手に入って寝ていてくれてもいい」
そんなことはしないだろうが、晴也はうん、と小さく応じた。晶はキーケースの空いた場所に、晴也の部屋の鍵をつける。やけに嬉しそうである。
「プロポーズをOKしてもらったらこんな気持ちかもしれないと思ってる」
「え……それは違うと思うけど」
晶の家の鍵を缶に入れていた晴也はやや焦って言った。鍵を渡すことが、そんな意味を伴うことだとは。晶は芝居がかって言った。
「そういうハルさんのちょっとした好意的な振る舞いに男たちは狂わされる……」
「知るか、そんなの責任持てない」
「とんだオム・ファタルだなぁ」
何それ、と晴也が言うと、晶は笑いながら応じた。
「魅力的で男を夢中にさせて破滅させる女をファム・ファタルって言うだろ? それの男版」
「……ビッチってことか?」
「そんな安っぽい意味じゃないよ、とにかく俺にはライバルが多いということを確信したから心しとく」
馬鹿な、と晴也は思う。合鍵を渡そうと思ったのは晶だけだ。家族にだって渡していないのに、誰がライバルだというのだろう。
晶はキーケースを鞄に入れて、ベランダ側の窓に向かう。さっき晴也がそうしたように、カーテンを少し開けて外を見る。
「きつくなってる?」
「うん、俺が着いた時よりは確実に」
晴也は晶の横に立った。明かりの点いた家の窓がもう少なくなっていて、外はほぼ真っ暗だったが、雨よりもゆっくり落ちてくるものがどんどんベランダに積もるのがわかる。
「来て良かった、こんな夜にハルさんを独りにしておけない」
「どういう理由でだよ」
「雪の夜って静かだろ? 寂しくなるから」
「別に……」
冷たい返事を無視するように、晶は晴也の肩に腕を伸ばして、横抱きにした。そのまま降る雪を眺めていると、3時間ほど前に晶たちが踊っていた曲が、晴也の頭の中に流れてきた。
「この街に降り積もってく……真っ白な雪の華……」
柔らかな声が音を紡ぐ。自分の脳内に響いていたところをそのままなぞった晶の歌声に驚いて、思わず彼の横顔を見る。
「あれサトルが演りたいって言ったんだ」
「ふうん……1曲目からバラードって珍しくない?」
晶はこちらを向き、眼鏡の奥の目に柔らかな笑みを浮かべた。
「2曲目の予定だったんだ、急遽時間を短くするために1曲目をカットして……天気にも合うから1発目にしようって」
そっか、と晴也は呟いた。
「……あれ良かった」
「そう?」
「うん、胸に迫ったよ」
「目の肥えたハルさんに言ってもらえると嬉しいな」
「……サトルさんにも雪が降るのを一緒に見る相手がいるのかなぁ」
晴也の言葉に晶はふふっと笑った。
「どうかな……たまに匂わせるんだけど」
実際に窓の側に立っていた時間は僅かだったが、晴也には長く穏やかなものに感じられた。こんな時間を手放したくない。晶の体温を右肩に感じながら晴也は思う。
「で、一緒に暮らす気になってくれた?」
「昨日の今日でどう結論を出すんだよ」
晴也は言ったが、本棚に置いている、何となく貴重品を入れているお菓子の缶を開けた。
「これ、スペアキー」
晴也の差し出した鍵を、目を丸くして見つめてから、晶は手を出した。その上に落としてやる。
「交換だ、俺も持ってきた」
晶は鞄の中に手を入れて、キーケースを出した。そこから1本の鍵を外して晴也の手を取り、握らせた。それはひんやりと冷たく、晴也の家のものよりも重かった。
「好きな時に来て、勝手に入って寝ていてくれてもいい」
そんなことはしないだろうが、晴也はうん、と小さく応じた。晶はキーケースの空いた場所に、晴也の部屋の鍵をつける。やけに嬉しそうである。
「プロポーズをOKしてもらったらこんな気持ちかもしれないと思ってる」
「え……それは違うと思うけど」
晶の家の鍵を缶に入れていた晴也はやや焦って言った。鍵を渡すことが、そんな意味を伴うことだとは。晶は芝居がかって言った。
「そういうハルさんのちょっとした好意的な振る舞いに男たちは狂わされる……」
「知るか、そんなの責任持てない」
「とんだオム・ファタルだなぁ」
何それ、と晴也が言うと、晶は笑いながら応じた。
「魅力的で男を夢中にさせて破滅させる女をファム・ファタルって言うだろ? それの男版」
「……ビッチってことか?」
「そんな安っぽい意味じゃないよ、とにかく俺にはライバルが多いということを確信したから心しとく」
馬鹿な、と晴也は思う。合鍵を渡そうと思ったのは晶だけだ。家族にだって渡していないのに、誰がライバルだというのだろう。
晶はキーケースを鞄に入れて、ベランダ側の窓に向かう。さっき晴也がそうしたように、カーテンを少し開けて外を見る。
「きつくなってる?」
「うん、俺が着いた時よりは確実に」
晴也は晶の横に立った。明かりの点いた家の窓がもう少なくなっていて、外はほぼ真っ暗だったが、雨よりもゆっくり落ちてくるものがどんどんベランダに積もるのがわかる。
「来て良かった、こんな夜にハルさんを独りにしておけない」
「どういう理由でだよ」
「雪の夜って静かだろ? 寂しくなるから」
「別に……」
冷たい返事を無視するように、晶は晴也の肩に腕を伸ばして、横抱きにした。そのまま降る雪を眺めていると、3時間ほど前に晶たちが踊っていた曲が、晴也の頭の中に流れてきた。
「この街に降り積もってく……真っ白な雪の華……」
柔らかな声が音を紡ぐ。自分の脳内に響いていたところをそのままなぞった晶の歌声に驚いて、思わず彼の横顔を見る。
「あれサトルが演りたいって言ったんだ」
「ふうん……1曲目からバラードって珍しくない?」
晶はこちらを向き、眼鏡の奥の目に柔らかな笑みを浮かべた。
「2曲目の予定だったんだ、急遽時間を短くするために1曲目をカットして……天気にも合うから1発目にしようって」
そっか、と晴也は呟いた。
「……あれ良かった」
「そう?」
「うん、胸に迫ったよ」
「目の肥えたハルさんに言ってもらえると嬉しいな」
「……サトルさんにも雪が降るのを一緒に見る相手がいるのかなぁ」
晴也の言葉に晶はふふっと笑った。
「どうかな……たまに匂わせるんだけど」
実際に窓の側に立っていた時間は僅かだったが、晴也には長く穏やかなものに感じられた。こんな時間を手放したくない。晶の体温を右肩に感じながら晴也は思う。
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