夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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12 憂惧

8-2

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 久保の発言に忍び笑いが起きた。晴也の頭に血が昇ったが、挑発に乗るまいと奥歯を噛みしめる。

「……嫌だ」

 とにかくそれははっきりしているので、答えた。久保は唇を歪める。

「会社のためですよぉ? 福原さんが女装してあちらの担当さんたちにお酌なんかしてくれたら、めちゃくちゃ喜んで貰えるって、俺確信……」
「嫌だと言ってる」

 晴也の声が低くなった。部屋の空気が微妙な色を帯びる。声を立てて笑う者もいたが、晴也が本気で腹を立てていることに気づいた者が、おいおい、とこそっと言った。
 久保はしつこく食い下がってきた。

「だから会社のためですよ、何ならウィルウィンの彼氏にも踊って貰うようお願いしてくれませんかぁ? プロ並みのダンサーなんでしょ、もう最高な宴になりますよぉ」

 晴也は晶を引き合いに出されて、頭の中が真っ白になった。意識したことのないような深い場所から、激しく熱いものがもの凄い勢いで込み上げて来る。目の前のくそ生意気な後輩に覚えたのは、おそらく殺意に近かった。こんなに腹が立ったのは、生まれて初めてだと思うくらいだった。腹の底から勝手に言葉が出る。

「幾ら払うんだ」

 久保は目を見開き、はぁ? と言った。晴也は我知らず怒鳴った。

「幾ら払うと訊いてるんだ、俺とショウさんを宴会に呼ぶんだろう⁉」

 晴也の剣幕に久保は明らかにひるんだ。周りもあ然として、2人を見つめている。

「なっ、何言ってんだよ……」
「めぎつねのハルとドルフィン・ファイブのショウにタダ働きさせるのかって言ってるんだよ!」

 たたみ掛ける晴也の声が響いたあと、部屋の中が静まった。何も聞こえなくなった晴也は自分をコントロールできなくなる。

「女装してる俺と話したくて店に来る客がどれだけいると思ってるんだ、それにショウさんは週2回の公演をいつも満席にするプロだぞ、来て欲しければそれに見合った報酬を用意しろ!」

 久保も逆上して、訳わかんねぇよ! と叫ぶ。怒りのせいか、彼の声は震えていた。

「へっ、変態のくせに何なんだよ!」
「変態には変態の矜持きょうじがあるんだよ、おまえみたいな馬鹿にはわからないだろうけどな」
「ふざけんな、あんたもウィルウィンの色男もそれで食って行けねぇからリーマンやってんじゃねえか、何を気取って……」

 晴也はかっとなり、最後まで言わせまいとした。マグカップの中身を久保の醜悪に歪んだ顔に向かって迷わずぶちまけた。

「ぎゃあっ!」

 びちゃっと嫌な音がすると同時に、久保は顔を両手で覆いしゃがみこんだ。周りに座る連中もわあっと声を上げ、思わずといった風に立ち上がる。晴也は久保の頭頂に向かって言い放った。

「俺はともかくショウさんを侮辱するな」
「福原っ!」

 背後でばたばたと複数の足音がした。空になったマグカップを近くのデスクに置き、晴也がゆっくり振り返ると、外回りから一緒に戻ってきた崎岡と早川が呆然としていた。

「これはどういうことなんだ、福原!」

 崎岡がうわった声で言った。終わった、と晴也は思いながら、静かに応じる。

「冷めてたから火傷なんかしてませんよ、たぶん」

 晴也は立ち尽くす2人の間を通り、自分のデスクに向かった。おびえたような視線を向けられながら、作成していた3つのファイルを上書き保存して、パソコンをシャットダウンする。沈黙の中で机の上の筆記具を片づけ、鞄に入れた。

「不愉快なので帰ります」

 晴也は鞄を持ち、崎岡と早川に言った。久保は周りからハンカチやタオルを借り、半泣きで顔と服を拭いている。もう晴也を攻撃する気力も残っていない様子だった。
 ロッカーからコートとマフラーを出して身につけ、その場にいる人たちに一瞥いちべつもくれず、晴也はざわめき始めた部屋を出た。
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