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第5章 失踪編
4、抱きたい。駄目?
しおりを挟む午後5時過ぎにもう一度観覧車に向かった私たちは、既に出来ていた長蛇の列に戦意消失して、顔を見合わせて同時に「辞めておく?」と口にした。
「もう昼間に乗れたしね」
「小夏は本当にそれでいいの?」
「うん。それにたっくんも明日は朝が早いんでしょ?」
「うん、時間は決めてないけれど、なるべく早く出発したいと思ってる」
名古屋から横須賀の家までは、新幹線と電車を使うと乗り換えも入れて約3時間。今回は節約してバスを使うので、5時間半は掛かるという。
「前は横浜のアパートまでだったけど、今回は横須賀までだから、もっと遠いな……」
「だったら尚更だよ、帰って準備しなきゃ」
「そうだな……気を遣ってくれてありがとうな」
「気は遣ってないよ。私も寒くて限界だったし……あっ、これ」
私が差し出した紙袋を見て、たっくんが怪訝そうな顔をする。
「さっきのお店で見つけて買っておいたの。メリークリスマス!来年もよろしくお願いします」
「ハハッ、なんか新年の挨拶みたいだな」
「ああっ、馬鹿にした!」
「馬鹿にしてないよ、喜んでんだよ」
袋からネイビーブルーのウールのマフラーを取り出して、自分で首に巻いている。
「今年は手編みじゃ無いけれど……そのうちに手編みシリーズにもチャレンジするからね、期待しててね!」
「そんな頑張らなくていいよ。なんか俺が編んだ方が上手そうじゃね?」
本当にその通りなので、グッと言葉を詰まらせていたら、
「ありがとな。小夏がくれるもんなら何でも嬉しい」
そう言って頭を撫でられた。
イケメンはやる事もイケメンだ。
2人で白い息を吐きながらコンビニで2個入りの小さなショートケーキと唐揚げを買って、たっくんのアパートへと向かう。
ヒビの入ったガラステーブルの上で乾杯してジュースを飲んで、フフッと笑い合った。
「たっくんはシャンパンやビールで乾杯したいのかと思ってたけど、私の前ではちゃんと我慢してくれてるんだね」
「何言ってんだよ、ちゃんと禁酒してるっちゅうの」
「えっ、本当に?お店でも飲んでないの?!」
ビックリして、思わず隣のたっくんの方に身を乗り出す。
「本当だよ。お前が未成年だから飲むなって言ったんじゃん。小夏の言うことはちゃんと聞いてるよ」
「凄い!嬉しい!大好き!」
ああいうお店で働いていれば、お客様からも勧められるだろうし、お付き合いで飲むことぐらいはあるだろうと思っていた。
もちろん飲んで欲しくは無いけれど、『escape 』でリュウさんと過ごす時間もたっくんには大切なんだって分かっているし、独立資金を貯めたいという気持ちも理解してるから、私は口出ししてはいけないと思っているのだ。
ーーだけど……お店でポロッと口にした言葉を、ちゃんと覚えて、しかも守ってくれていた……。
「客から贈られた『ロブ・ロイ』とか『スクリュードライバー』を笑顔で躱すのも結構大変なんだぜ。お陰で慣れてきたけどさ~」
「えっ! カクテル言葉は?」
「えっ、言うの?」
言いにくそうにしている横顔をジッと覗き込んで追求したら、首の後ろをサワサワと擦りながら、ボソッと小声で言う。
「ロブ・ロイが『あなたの心を奪いたい』で、スクリュードライバーが『あなたに心を奪われた』。でもいいじゃん、飲んでないんだし」
ーーうわっ、ストレートな告白!
「いいけどさ……やっぱりモテるよね。私、カクテル言葉の本を買って覚えようかなぁ……」
するとたっくんが途端に慌てて私に向き直り、肩に手を置く。
「小夏は酒なんか絶対に飲むなよ!」
「えっ、飲まないよ!意味を覚えたいだけ」
「カクテルの意味なんか覚えてどうすんだよ!他の男から贈られて意識したりするんじゃないぞ!」
真顔で言うものだからクスッと笑えてしまう。
たっくんじゃあるまいし、私がそんなシチュエーションに遭う事なんてあるわけないのに。
「小夏にはカクテルなんかじゃなくて、俺が直接愛の言葉を贈ってやるからさ、そんなの頭に入れんなよ、絶対な!」
必死で懇願されて、クスクス笑いながら頷いた。
「私って愛されてるね」
「当たり前じゃん、めちゃくちゃ愛してるっちゅうの。何を今更言ってんだよ」
「うん……私もたっくんを愛してるよ。本当に。幸せすぎて怖いくらい」
するとたっくんが少しだけ目を伏せて黙り込んだ。長い睫毛がバサリと下りたせいか、表情が翳ったように感じて、なんだか急に不安になる。
「……たっくん?」
たっくんが伏せていた視線を戻して、私を見つめる。
「小夏……抱きたい。駄目?」
「駄目……じゃない……けど……」
だけど、今日はお泊まりじゃないから、あまりゆっくりは出来ない。
「ほら、昨日の夜も同じ布団の中で生殺し状態だったしさ、今日はクリスマスだしさ」
ニコッと笑いながら茶化すように言われて、私も思わず微笑んだ。
「うん……クリスマスだしね」
「だなっ」
言うなり私の背中に片手を回すと、もう片方の手を膝裏に差し入れて、「ヨイショ」と持ち上げる。所謂お姫様抱っこでベッドまで運ばれて、ゆっくりと降ろされた。
上から綺麗なブルーアイで瞳を覗き込まれ、吸い込まれそうになる。今さら照れて、視線を斜めに逃がしながら喋り続けた。
「たっくんて、力持ちだね」
「お前なんか軽いもんだよ」
「でもさ、お姫様でも無いのにお姫様抱っこなんて、ちょっと照れるよね」
「お前は俺のお姫様だよ」
「だけどさ、こういうのって……」
「小夏、ちょっと黙って。キスしたいから」
ハッキリと、そして焦ったそうな口調で言われて観念した。
いまだに慣れない私はお子様だ。せっかくのムードも台無しにしてしまう。
胸の上で指を組み、目も口も閉じてジッとしていると、
「ほら、やっぱり白雪姫みたいじゃん……」
そう優しい声音が聞こえたと同時に、柔らかいキスが落ちてきた。
「馬鹿だな……喋るなって言ったけど、口は開けろよ。熱烈な愛情表現が出来ないじゃん」
ーーあっ……。
今度はちょっと強引に唇を押し付けられて、あとはもう、たっくんの指に唇に身を任せるのみだった。
「小夏……好きだ。小夏……」
私の返事を求めるでもないうわ言のようなその囁きを耳にしながら、私はひたすら幸福を噛み締めていた。
たっくんは夜9時半頃に私を家まで送り届けて母に挨拶をして帰ると、翌朝早く横須賀へと出発して行った。
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