たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

文字の大きさ
230 / 237
最終章 2人の未来編

36、お前を幸せにして、俺も幸せになる。そうだろ?

しおりを挟む

 穂華さんの死化粧を施したのはたっくんだった。

 医師から死亡宣告を受けたあと、看護師さんと一緒に穂華さんの身体を拭き清めると、最後にたっくんが彼女の髪を整え、顔に紅をさしていく。

 外は既に雪が止み、窓からは金色の朝焼けが射し始めていた。
 オレンジと金色の光を受けながら、無言で作業を進めていく姿はとても美しく神聖で、私は一言も口を挟まず、黙ってその別れの儀式を見つめていた。



「綺麗だね」
「ああ……ちょっとは若返ったかな」

 現実感の無いまま2人して手を握り、死装束に身を包んでいる穂華さんを見下ろす。

 口元に笑みをたたえ、薄っすら頬をピンク色に染めたその顔は、まるでただ眠っているだけのようで、今にも目を覚ましてたっくんの名を呼びそうだと思った。

「穂華さん……微笑んでたね」
「うん」

「最後は……涙を流してた」
「ああ、いい夢を見ながら逝けて本望だったんじゃねえの?」

 そう言うたっくんの表情はとても穏やかだけど、本心はどうなんだろう……と、その横顔を見ながら考える。


 確かに穂華さんは最期に幸福な夢を見ながら旅立って行った。
 だけどその瞳に写っていたのは、たっくんではなく、最愛の恋人の姿。

 たっくんは、施設で再会後ずっと…… 亡くなるその瞬間でさえも自分を息子だと認識されず、他人の名で呼ばれながら別れを迎えた。


「小夏……なんで泣いてんの?」
「えっ?……ウソっ!」

 慌てて頬に触れると、手の平を水の滴が濡らしていた。

「馬鹿だな……またいろいろ考えて同情してくれてるんだろうけど……俺、大丈夫だよ」

 フッと笑いながら、たっくんが指先で私の涙を拭っていく。

「母さんは本気で恋をして、心から望んで俺を産んだんだ。俺のことを自慢の息子だって……それが分かっただけで、もう……」

 たっくんが頬を震わせ、言葉を詰まらせる。

「俺なんてまだほんの19年しか生きてないけどさ……それでも、俺の人生、捨てたもんじゃないな……って……」

「たっくん……」

 眩しそうに目を細めたその表情かおからは、自分の境遇を恨む様子も悲観する気配も見受けられない。

ーーだけど、それは今だから言えることで……。

 母親の男が変わるたびに住む場所を変え、生活を変え、挙げ句の果てに激しい暴力に晒されてきた。

 私の前から黙って消えることを強要され、身内に冷遇され、瞳の色を偽り…… 最後は他人の家に置き去りにされ、ようやく再会した母親は息子を目の前にしても気付くことなく……。


 痛くて悲しくて苦しくて、絶望の縁で何度も死にたいと思うような辛い日々を……そんな人生を『まんざらでもない』と口にするたっくんに、『本当は違うでしょ?』と踏み込む権利は私には無い。出来やしない。

 私がいくら考えてみたところで、たっくんの本心は分かりようがないし、たっくん本人でさえ、あの頃の自分の気持ちを正確に語ることは出来ないんじゃないだろうか。


 私たちが今持っている記憶なんて、何度もアップデートされ上書きされたニセモノだ。

 そこに自分の願望や期待が混じって都合よく美化されてしまった時点で、 もうあの頃とは違う新しい記憶になってしまっているんだ。


 昔作られたモノクロ映画に色をつけて新しくすれば、それはもう全くの別物。
 色鮮やかにはなるだろうけど、元の魅力は損なわれ、 そこに元々あった世界観は失われてしまう。

 だから私たちが過去を思い浮かべることがあっても、それが本当だとは限らない。


 雪の夜の額の痛みが大したことないように思えるのも、真っ赤な血が美しく見えたのも、今の私がそう思っているだけで、本当は違っていたのかも知れない。

 9歳の時の私は痛みに泣き叫んでいたのかも知れないし、流れる血に恐怖を感じていたかも知れない。


 だけどそんなの私は知らない。あの頃の私の気持ちは、 9歳の私のものだから。

 だから、 あの頃のたっくんの気持ちも、 9歳のたっくんだけのものなんだ。



「たっくんは……今はもう死にたいとか思わない?」
「思うかよっ!幸せにしたい女がいるのに、死んでたまるか!勿体ない」

「ふふっ……勿体ない……って」
「俺はまだまだ幸せになるんだよ。お前を幸せにして、俺も幸せになる。そうだろ?」

「そっか……」


 そして、今のたっくんの気持ちは19歳のたっくんのもので……。


 だけどあなたの気持ちをもっと知りたいから……この日の思い出を2人のものにしていきたいから…… 

「たっくん、私、もっとたっくんの気持ちを知りたい。話してよ」

「えっ、俺の気持ち?……『小夏、好きだぜ』とか『キスしたい』とか言えばいいの?」

「馬鹿っ!穂華さんの前で何言ってるのよ!……私に遠慮しないで、何でも言ってね……って事」

「うん……サンキュ。だけど俺、お前には思いっきり弱音吐いてるし、本音を言ってるぜ?」

「本当に? 今は? もっと甘えたっていいんだよ?」


「それは……」と、たっくんがちょっと口籠ってから、「それじゃ、甘えさせて……」と抱きついて来た。


「ホント、大好き…… 小夏がいてくれて良かった……」

 私の頭に顎を乗せて、グリグリ押し付けてくる。

「うん、よしよし……黙って甘えてなさい」

 そう言って背中をポンポンと軽く叩いていたら、

「お前、ちゃんと分かってんの? 俺がこんな風になるのは、小夏の前だけなんだぜ? こんな俺を知って欲しいと思うのも、全部を知りたいと思う相手もお前だけ……」

 拗ねたような照れたような表情で顔を覗き込んできた。

「まあ……うん、そうだけどね」
「そうだろ?」

「疑問形が多いよね」
「そうだろ?……って、マジかよっ?!」

「ふふっ……マジマジ」
「マジかっ?!ヤバイな」


 ねえ、たっくん……私だって、全てを見せたいと思うのも、全てを知りたいと思う相手もあなただけなんだよ。

 だからもっと沢山聞いて、沢山聞かせて。
 お互いの心の中を伝え合い、不確かな思い出を、ちゃんと2人のものにしていこうよ……。

 ねぇ、たっくん、いいでしょ?
しおりを挟む
感想 264

あなたにおすすめの小説

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...