煉獄の歌 

文月 沙織

文字の大きさ
上 下
151 / 181

しおりを挟む
 この男とともに敬を嬲ったときの記憶がよみがえってきて、嶋は吐き気がした。
 安賀組が完全に崩壊したことはすでに嶋も聞いている。あそこは嶋にとっても〝家〟だったのだ。辛くないわけはない。
 馴染みの組員は今は別の組に拾われたり、田舎に帰ったり、若い者のなかには堅気になった者もいるという。それは幸いなことかもしれない。若頭は、少なくとも、組員の今後についてはどうにかしてくれたようだが、当人は、借金のためか、こともあろうに木藤組に飼われることになったのだろう。
 嶋にはにわかに信じられない話だった。いや、信じたくないのだ。あの安賀勇が。安賀猛の跡取り息子が。
 嶋の知っている安賀勇なら、親の仇と噂される男の子飼い、それも男娼に堕ちるぐらいなら、自決していたろう。
「組員の生活を守るためだろう」 
 ぼっそっと、呟くように運転手は言う。
 彼もここで働いているかぎりは堅気ではないだろうが、どこか冷めたところがあって、ヤクザ社会の内情に深入りしたがらないふしがある。
「宇田……さんの要求を呑むかわりに、組員の今後を頼んだそうだ……」
 田中と顔を合わせようとせず、ぼそりと言う。歳は三十にはいってないだろうが、ひどく冷静だ。暴力団の店で働いていても、こういう職種の男たちにありがちな下卑さも露悪さもなく、仕事だと割り切ってやっているところは、大林とも似ている気がする。
 田中は運転手が話にのってこないのに一瞬、鼻白んだが、話を変えるように別のことを口にした。
「知ってるかよ? その宇田さんが今度は、兄弟一緒に楽しみたいって、瀬津さんに言っているのを聞いたんだ」
 これは聞き捨てならなかった。お膳の縁を嶋は握りしめていた。
「で、今度来るときは、敬と安賀の若頭、あ、もう若頭でも組長でもないんだよな、兄貴の方も一緒に楽しむんだとさ。どういうやり方でやるかわかんねぇけれど、想像すると、すごくないか? 覗いてみたいなぁ」
「そんなことしたら、おまえの指が飛ぶぞ」
 どうでもいいことのように言いながら、運転手は食事を終えた。本当に彼にとってはどうでもいいのだろう。
 だが嶋は気が気ではない。
 ここへ来ていろいろ他の従業員や娼婦たちから聞いた話だが、宇田という男には異常な趣味があるらしい。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:816pt お気に入り:2,553

もっと傲慢でいてください、殿下。──わたしのために。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:837pt お気に入り:1,060

誰がための香り【R18】

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:316

敵国の我儘令嬢が追放されたらしいので迎えに行くことにする

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:1,373

婚約者の義妹に結婚を大反対されています

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:51,447pt お気に入り:4,898

貴方の『好きな人』の代わりをするのはもうやめます!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:6,077pt お気に入り:1,776

王太子殿下の子を授かりましたが隠していました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:773pt お気に入り:3,197

処理中です...