愛じゃなくても

美里

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七美は靴を脱ぐのももどかしそうに、章吾の隣にやってきて膝を折った。
 もう黒い服ではなく、いつもの彼女らしく、薄い水色のワンピースを着ていた
 「どうしたんですか。……こんな、」
 積み上げられたカーテンやら傘やら布団やらを目にし、彼女は絶句していた。
 どうしたのか、と、正面から聞かれたら言葉に困る章吾は、ただ首を左右に振った。その両手は、まだ掛け布団を握りしめている。
 一拍、躊躇うような間があって、その後、七美のやわらかい手のひらが、静かに章吾の手に重なった。
 「……私よりも、章吾さんのほうがきっと辛い。」
 え?、と、章吾はようやく顔を上げて七美を見た。
 七美は章吾の目を見返し、今にも泣き出しそうな瞬きを繰り返しながら、それでもかすかに微笑んだ。
 「私が亡くしたのは、お兄ちゃん。……章吾さんがなくしたのは、兄弟と友達と恋人。」
 感情を押し殺した七美の言葉に、素直に頷ければよかった。
 けれど、兄弟と友達と恋人、その最後の一つにはどうしても疑問符がつきまとう。
 七美の白い手のひらが、章吾の手の上で小さく震えていた。
 兄妹みたいに育った七美。章吾は一人っ子で、両親ともがかなり忙しく働いていたため、七瀬、七美の兄妹と、ほとんど家族みたいに扱ってもらっていた。
 だから、兄弟を亡くしたという七美の台詞は事実だ。
 愛想のない章吾には昔から、友人と呼べるのは七瀬くらいしかいなかったから、友達を亡くしたというのも。
 ただ、恋人を亡くしたのかと問われれば、一気に分からなくなる。
 恋人らしいことは一通りした。キスもハグもセックスも。記念日のお祝いだってした。
 それでも、分からない。自分は七瀬を、男である七瀬を、恋人として受け入れられていたのか。
 無言のままの章吾に、七美は言葉を急かしたりはしなかった。こういうところが、七瀬と七美は似ている。
 七瀬はいつも、言葉をなくす章吾を急かしはしなかった。悲しいくらいに。
 俺は章吾が好きだよ、と、七瀬はよく言った。章吾に返事を急かすことなく、逃げ道を残すような言い方で、ただ。
 俺もだよ、と返せていれば、七瀬は死なずにすんだのだろうか。
 「……七瀬を殺したのは、俺かも知れない。」
 ようやく章吾が口にした台詞。
 七美は重ねた指に力を込めた。



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