24 / 36
2
しおりを挟む
見えたよ。
夕はそれだけ言って、陽子の表情をうかがった。
彼女はまだちょっと驚いたような顔をしていたけれど、やがてじわじわとその表情を溶かし、そうかもしれませんね、と呟いた。
「陽子は大丈夫じゃないかもしれません。でもそれって、自業自得なんです。だから、陽子は大丈夫です。」
「……自業自得?」
「陽子は父親を捨てましたから。たった一人の親を、捨ててここまで来ましたから。」
でもそれは……、
夕は、父親の話をしたときに、陽子から漂った女の匂いを思い出す。
自業自得なんて言葉は、陽子のあの匂いを知ってしまえばどうにも彼女には当てはまらない。
それを上手く陽子に伝えられないまま、夕が言葉を探しあぐねていると、陽子はにこりと唇を微笑ませた。
「本当に、ぽいって捨てたんです。なにも持たないで、真っ昼間に、思い立ってすぐ捨てたんです。それで電車をいっぱい乗り継いでお屋敷の前まで来て。そうしたら、たまたま旦那さまがお庭に立っていたんです。……どうしたのかって、聞かれました。だって、陽子は裸足だったから。それで、行くところがないんだって、父親を捨ててきたんだって言ったんです。そうしたら旦那さまは、仕事と住むところをくれました。」
ねえ、夕さま、と、陽子の華奢な手が夕の膝頭をぽん、と打った。
「あのときからずっと、陽子は捨ててきた父親のことを考えない日はありません。……多分もう、お酒の飲み過ぎで死んでしまっていると思いますけど。……だから、夕さまには、藤さんとちゃんと会ってほしいんです。」
その時ちょうど、二人の目の前に電車が止まった。きれいな山吹色をした電車だった。
夕と陽子は、同時にベンチから立ち上がり、電車に乗り込む。
電車はガラガラに空いていて、夕と陽子は進行方向左側に並んで座った。駅員に、海が見えるのは右側、と聞いていたからだ。
夕は黙ったまま、陽子の膝頭をぽん、と打った。
言葉が見つからなかったのだ。
陽子は少しだけ笑って、見つかりますよ、と言った。それは、神様の託宣を告げるみたいにきっぱりとした調子で。
「藤さんは夕さまに会いたがってるんですから、必ず見つかります。」
夕はその時たしかに、陽子の言葉を信じたい、と思ったのだ。
膝の上に置いた千代紙の箱に両手を添えて、夕はじっと窓の外を見つめた。
夕はそれだけ言って、陽子の表情をうかがった。
彼女はまだちょっと驚いたような顔をしていたけれど、やがてじわじわとその表情を溶かし、そうかもしれませんね、と呟いた。
「陽子は大丈夫じゃないかもしれません。でもそれって、自業自得なんです。だから、陽子は大丈夫です。」
「……自業自得?」
「陽子は父親を捨てましたから。たった一人の親を、捨ててここまで来ましたから。」
でもそれは……、
夕は、父親の話をしたときに、陽子から漂った女の匂いを思い出す。
自業自得なんて言葉は、陽子のあの匂いを知ってしまえばどうにも彼女には当てはまらない。
それを上手く陽子に伝えられないまま、夕が言葉を探しあぐねていると、陽子はにこりと唇を微笑ませた。
「本当に、ぽいって捨てたんです。なにも持たないで、真っ昼間に、思い立ってすぐ捨てたんです。それで電車をいっぱい乗り継いでお屋敷の前まで来て。そうしたら、たまたま旦那さまがお庭に立っていたんです。……どうしたのかって、聞かれました。だって、陽子は裸足だったから。それで、行くところがないんだって、父親を捨ててきたんだって言ったんです。そうしたら旦那さまは、仕事と住むところをくれました。」
ねえ、夕さま、と、陽子の華奢な手が夕の膝頭をぽん、と打った。
「あのときからずっと、陽子は捨ててきた父親のことを考えない日はありません。……多分もう、お酒の飲み過ぎで死んでしまっていると思いますけど。……だから、夕さまには、藤さんとちゃんと会ってほしいんです。」
その時ちょうど、二人の目の前に電車が止まった。きれいな山吹色をした電車だった。
夕と陽子は、同時にベンチから立ち上がり、電車に乗り込む。
電車はガラガラに空いていて、夕と陽子は進行方向左側に並んで座った。駅員に、海が見えるのは右側、と聞いていたからだ。
夕は黙ったまま、陽子の膝頭をぽん、と打った。
言葉が見つからなかったのだ。
陽子は少しだけ笑って、見つかりますよ、と言った。それは、神様の託宣を告げるみたいにきっぱりとした調子で。
「藤さんは夕さまに会いたがってるんですから、必ず見つかります。」
夕はその時たしかに、陽子の言葉を信じたい、と思ったのだ。
膝の上に置いた千代紙の箱に両手を添えて、夕はじっと窓の外を見つめた。
10
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる