美里

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待つ

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海をずっと下っていった。足取りは重かった。この先どうしていいのか分からなかったからだ。それをあっけらかんと示してくれていた陽子も、もういない。
 とにかく、海を見よう。
 海を見て、その先のことはそれから考えよう。
 夕とて海を見るのは久しぶりだった。海水浴なんかに連れて行ってもらえるような家庭環境ではなかったし、海へ行こうと誘ってくれる友人だっていなかった。だから、本物の海を見るのは、うんと小さな頃、女中の何人かが海へ行くのに一緒に連れて行ってもらって以来だ。
 あのとき夕は、はしゃいで駆けずり回って女中たちを困らせた。今、あの女中たちはどこにいるのだろう。屋敷に仕えているのか、それとも嫁にでも行ってしまったのか。
 そんな事を考えながら、夕は重い足を引きずって林を抜けていく。
 5分か10分か、そんな程度歩いたところで、目の前がひらけた。
 「……海だ。」
 ぽつん、と、夕は呟いていた。
 眼の前には、真っ白に光る海が水平線まで続いている。水面に波はなく、ただ静かに凪いでいて、ずっと遠くの方に漁船が何隻か浮かんでいるのが見えた。夕の正面には、寂れた港が広がる。錆びついた漁船が3隻ぷかぷかと浮かび、淀んだ水がちゃぷちゃぴとかすかな音をさせて打ち寄せている。
 そんな白茶けた風景の中、場違いなものが一つだけあった。
 こちらに背を向ける形で椅子に座っている、姿勢のいい人影だ。椅子は漁港の荷物置き場から拝借してきたのだろうな、というような木の板を長方形に打ち付けただけのものだったが、座る人影は、いかにも高価な和服を身に着けていた。髪は肩につかない程度で、体つきはごく華奢。遠目には性別がよく分からなかった。
 けれど夕には、その人影が男性だとすぐに分かった。そして、名前も。
 濁った潮の匂いがする古びた漁港に立ち尽くす夕は、その人影の名前を口の中だけで呟いた。
 「……藤。」
 すると、その声にならない声に呼応するみたいに、藤色の着物を着た人影がゆっくりとこちらを振り向いた。
 藤だった。最後にあったときからなにも変わらない、満開のうつくしさがそこにはあった
 藤は夕の顔を見ると、すっと視線を下げ、夕が握りしめていた千代紙の箱を見た。
 そして、ほんのわずかにだけ微笑んだのだ。
 
 
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