雨の夜には

美里

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 彼はやっぱり冷たい目をしたまま、ごく低いいつもの声で、みんな逃げた、と言った。
 「……みんなって、母親?」
 母親みたいなこと、言うな。俺がなにかしようとすると、いつもそう吐き捨てる彼の、鬱陶しそうに眇められた目を思い出しながら訊くと、彼は曖昧に首を振った。
 「……母親、父親も、女も。」
 男も、と、続けられることを俺は半ば怖れていたけれど、彼は女も、までで言葉を止めた。彼は、俺以外に男と寝たことはない。そんな場合でもないのに、薄暗い喜びがあった。
 「……逃げたって、なんで?」
 訊けば彼は、また曖昧に首を振る。
 「知らない。いつの間にかいなくなる。」
 そんなことが、あるだろうか。おんなは分かる。自然消滅、という言葉がこの世にはあるくらいだ。でも、母親や父親が、いつの間にかいなくなるものだろうか。
 俺の疑問を表情から読み取ったのだろう、彼は俺をあざ笑うみたいに唇を歪めた。なにも分からないくせに。そう言いたいんだろう。
 「……俺も、父親はいない。なんでだかも、よく知らない。母親とも、不仲だよ。でも、今度会いに行こうと思う。」
 自分がなにを言っているのか、雲の中を歩いているみたいにぼんやりしていた。それでも俺は、彼と話がしたいと必死で。
 「ゲイってばれたんだよ。学校で、それが原因でいじめられて。母親には、分かってもらえると思ってた。仲のいい親子だったんだ。だから、男の子が好きだって、それがばれていじめられたって、言った。そしたらそこから、母親はよそよそしくなったよ。いじめについてもそれ以上は話してない。学校には、あんまり行けなかったな。でも、そのことより、母親に分かってもらえなかったことが辛かった。」
 彼は、俺の言葉を聞いているのかいないのかよく分からない、どうでもよさそうな目をして立っていた。その肩や髪は、冷たい雫で濡れている。俺はようやくそれに気が付いて、中に入って、と彼を促した。すると彼は、首を横に振った。
 「セックスしか、できない。」
 短い台詞だった。俺は一瞬言葉の意味を掴み損ねたくらいだった。
 この部屋に入ってしまえば、話しはもうできない。セックスしかできない。彼は、そう言いたいのだろうか。俺はその言葉を聞いて、咄嗟に返す言葉も浮かばず、でも、少しだけ嬉しかったのも確かだった。彼は、部屋に入らないという選択をしてくれている。それは、俺と話がしたいと、そういう意味にとっていいのだろうか。
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