雨の夜には

美里

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 「あんたの、お母さんは?」
 我ながら、ひどく遠慮がちな声が出た。彼はそれを鼻で笑って、右足に体重をかけて姿勢を幾らか傾けながら答えた。
 「目が覚めたら、いなかった。酔うと、お前がいないと生きていけないってよく言ってたけど、嘘だったんだろうな。」
 「目が、覚めたら……?」
 「朝起きたら、いなかった。父親は、もっと前にいなくなってる。」
 彼はそう言って、ゆっくりと何度か瞬きをした。その動作を俺は、妙に近しく感じた。
 「俺に、母親みたいなこと、言うなっていうじゃん。あれ、なんで?」
 「……別に。」
 「お母さんのこと、思い出す?」
 「思い出さない。よく考えたら、別に母親らしいことなんかしたことない女だったしな。」
 突き放すような言い方だった。俺は、もっと彼のことを知りたくて、問いを重ねようとしたのだけれど、彼が首を横に振ってそれを拒んだ。
 「疲れた。」
 彼が、ぽつりと呟く。それは、心の底からというよりは、身体の奥底、本当に疲れ切ってしまった決定的な部分から出てきた呟きに聞こえた。それを訊いてしまうと、俺にはもう、それ以上質問なんかできなくなる。親のことを思い出すと、ひどく疲れる。それは俺も同じだった。
 「……寝る? つまり、睡眠ってことだけど。」
 ベッド、貸すよ。
 俺が言うと、彼は低く笑った。教室でいつも聞こえてくる、華やかな笑い声とは全然違う、暗みのある笑い声ではあったけれど、少なくとも、彼がこの部屋で声を立てて笑うのはこれがはじめてだった。
 「寝ても、疲れてる。いつも。」
 彼のごく短い言葉は、やっぱり真に迫っていたし、のっしりと俺の肩にのしかかるような重みがあった。
 「寝るときは、女の部屋で寝る。……ひとりで寝ると、母親がいなくなった朝のことを、思い出す。」
 「……この部屋でも、思い出す?」
 「分からない。」
 お前、女じゃないしな。
 彼の言葉に、俺は絶望してもいいはずだった。女じゃない。そのことに深く悩んだ夜はいくらでもあった。でも、そうならなかったのは、彼の言葉が妙に軽やかだったからだ。俺が女じゃないことを、大してどうとも思っていない感じが滲んでいた。
 「……女じゃないけど、ここで寝たら、ひとりではないよ。俺は、逃げないし、勝手消えたりもしない。」
 彼が、長く重たい息を吐き出した。彼は本当に疲れているのだ。どこまでも深く、疲れが根を張っているのだ。それを悟らせるには、十分なため息だった。
 
 
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